2019年3月2日土曜日

八百屋お七、地獄の便り。「幻お七」全訳





平成19年、仙台電力ホールで踊った「幻お七」紹介の続きです。

井原西鶴(1642~1943年、浮世草子・浄瑠璃作者)が書いた「好色五人女」をもとに、いろいろな物語や唄が作られました。その中のひとつを紹介させてください。

※ここが地獄の一丁目。「幻お七」という踊り、の記事はこちら
※地獄の数え唄「幻お七」鈴ヶ森刑場への道、の記事はこちら







ご存知のとおり、江戸時代は仏教が優勢な時代です。そのため、唄のジャンルに「地獄もの」と呼べるような、地獄の責め苦を並べ立てる悪趣味なものがあります。誰が何のためこのような唄を唄い始めたのかわかりませんが、その唄の流れはなんとなく因果ものに似ており、説教節の一種のように見えます。「地獄もの」が、実際のところ仏師が始めたものかどうかは不明です。しかし仏教のいましめを広く民衆に理解させる手段として、効果的だったのは確かです。

地獄の獄卒にその身を苛(さいな)まれる犠牲者は、誰もが知るような恋多き有名人になることが多く、たとえば色男で知られる「在原行平(ありわらの ゆきひら、「行平地獄物語」)」、恋多き女「高尾太夫(「高尾さんげ」)」、恋のため罪を犯した「八百屋お七(八百屋お七追善)」などです。


平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」


今回ご紹介するのは「八百屋お七」の地獄ものです。三味線譜の方は残っているかわかりません。そのためどんな曲かはわからず、歌詞だけが確認できます。内容はほぼエログロナンセンスと言って良く、どこまで本気で書かれたものかも、わかりません。

そうはいっても「幻お七」では、「紅蓮地獄(ぐれんじごく)に堕ちる女」(櫓お七の踏襲)を表現するのですから、江戸時代の「地獄」のイメージをお伝えしないわけにはゆきません。ちなみに「紅蓮地獄(ぐれんじごく)」は八寒地獄(はっかんじごく)にあたり、寒さのあまり皮膚が破れて真っ赤に、血まみれになる地獄です。だから「幻お七」の中で、昇る梯子の踏み板が「氷の道」と呼ばれるのです。

ところでこの歌詞には「照日巫女(てるひのみこ、ただの「日巫女」とも言う)」という、わが国最古の口寄せ巫女が登場します(卑弥呼=日巫女)。照日巫女(てるひのみこ)は個人名のように使われたり、たんなる口寄せ巫女の総称に使われたりもする古い名前で、シビュラ(Sybil)という、ギリシア・ローマ世界における伝説の巫女と同様の存在です。





////// 「八百屋お七追善」歌詞(「松の落葉集」)

◆原文
戯れ遊ぶ夢の世や、江戸のお七は恋故に、朝(あした)の煙と消え果てて、
罪も我が身に恋衣、うらなく交わす言の葉の、
吉三は夜毎恋い焦がれ、せめて冥途の便りもと、
照る日の御子(てるひのみこ=照日巫女、口寄せの巫女)を頼みつつ、
お七に再び梓弓(あずさゆみ)、手向(たむけ)の水こそ哀れなり。
天清浄地清浄、内外清浄六根の清浄、
(てんしょうじょう ちしょうじょう ないげしょうじょう ろっこんしょうじょう)
世々(せぜ)も変わらじと。

◆現代語訳
たわむれ遊ぶような世の中を生きて、
江戸のお七は恋ゆえに、夜明けの露のようにこの世から消え果てた。
たとえ罪の女だろうと、吉三にとってみれば自分恋しさのあまり犯した罪、
くったくのない言葉を交(か)わした昔が懐かしく、
可哀そうに吉三は夜毎(ごと)お七に恋焦がれ、
せめて冥途の便りが聞きたいと、
口寄せの照日巫女(てるひの みこ)に頼み、
憑依のための梓弓(あずさゆみ)をお七へ捧げ、水を手向(たむ)けた。
天清浄地清浄、内外清浄六根の清浄(のりと)
(てんしょうじょう ちしょうじょう ないげしょうじょう ろっこんしょうじょう)
これからも一生変わらず、お慕いします、と。


錦絵・櫓お七

◆原文
思いし夫(つま)のこなさんが、水を手向けて御回向(おんえこう)は、
過ぎし添い寝の約束(かねごと)と、引き替わりたる梓弓(あずさゆみ)
(から)の鏡もかけ曇る、煙の地獄焦熱の、責(せめ)の苦しさ其のつらさ、
閻魔さんの恋知らず、阿呆羅刹(あぼう らせつ)の野薄(のすすき)たちが、
言わんす事を聞かさんせ、一度出家と名の付いた、こなんに恋を何故にした。
憎い奴とてある事か、碓(からうす)地獄へ落とされて、
大切(だいじ)の情の掛所(かけどこ)を、朝夕ついて責めらるる。
それに何ぞや流行節(はやりぶし)、六蔵鬼(りくどうの おに)が張り上げて、
五尺いよこのそれそれ、五尺てん手拭さんさ中染めたえ、

◆現代語訳
わが夫(つま)と思い定めたこなさんが、
みずから水を手向(たむ)け、
御回向(おんえこう)くださるとは嬉しいこと。
過ぎた昔の叶わなかった添い寝の約束と、
引き換えのような梓弓(あずさゆみ)
それによって許された、この世とあの世の逢瀬だわね。
せっかくだから言うけれど、
ぴかぴかに磨いた唐鏡(からかがみ)も曇ってしまうほどの、
灼熱地獄(しょうねつじごく)で責めさいなまれ、つらい思いをしています。
閻魔さんは恋を知らないわからんちん、
アホンダラなうえ羅刹に生きる野ススキのような下等な連中が、
こら、言われることがわからないのか、
一度出家すると決まった男に何故恋をしたと、しつこく責め立てるのです。
憎ったらしいと思っても、碓(からうす)地獄へ落とされて、
二度と情を交(か)わせないよう、
朝な夕な、大きな臼(うす)に入れられ、
餅のように杵(きね)で突き責められているのです。
そのうえ何なの、六蔵鬼(りくどうの おに)が声を張り上げ、
「五尺いよこの、それそれ」と、おかしな唄を唄うのです。(流行した兵庫県の五尺節)
「五尺いよこのそれそれ、五尺てん手拭さんさ中染めたえ」と。(同上)

絵草紙・挿花の吉三

◆原文
此の碓(からうす)も取り置けば、
(か)の楊貴妃や小町にも、負けじと親の育てたる、五輪五体のその指を、
誓いの咎(とが)に切り捨(す)つる、その罪科(つみとが)が憎いとて、
十の指をば十日目に、一つつ捥(も)いで落とさるる、二人の親の寝所を、
そっと抜け出て忍びしを、親の目を抜く不孝とて、両目忽(たちま)ち針の先、

◆現代語訳
~残酷なので、自粛します~


◆原文
水もたまらずつぶさるる、その外(ほか)責苦の数々を、
(くら)べば剱(つるぎ)の山に越え、深さ奈落の底とても、
劣らぬ程の苦しさも、こなさん故と苦にならず、
(しか)しうき世に存(ながら)えば、何か思いは有明(ありあけ)の、
月とも日とも思うまじ、若木の花は散り果てて、残る老木の父様(ととさま)や、
(かか)さんたちの御嘆(おなげき)が、却って猛火の雨と降る、
必ず諌(いさ)めて下さんせ。

◆現代語訳
水地獄もたまらない、毎日つぶされているのです。
そのほかにも責め苦の数々を、あじわっているところです。
責め苦の数は比べてみれば剱(つるぎ)の山を越えるほど、
苦しみの深さは、奈落の底に劣りません。
それほどの苦しみですが、全部こなさんに会いたかったからなので、
少しも苦ではありません。
こなさんは浮世に生きているのだから、
この逢瀬を喜んだあまり、こりゃ有明(ありあけ)の月だぞ、日だぞ、
などと、ひとりがってに晴れ晴れとせずに、
若い者が死んだあとに残ったわたくしの父(とと)さま、
(かか)さまのお嘆きを、おもんぱかってくださいね。
そのお嘆きが地獄で猛火の雨と降り、
このわたくしを苦しめることになると、両親によく言い聞かせ、
必ず諌(いさ)めてやって、わたくしを救ってくださいませね。

絵草紙・手習いお七

◆原文
(よ)の人千夫萬夫(せんぷまんぷ)より、君が手向(たむけ)の香花(こうげ)には、
罪も消え行く後(のち)の世は、ひとつ荷(はちす)に二人寝て、
積もる恋しさ語り度(た)く、思い廻せどなかなかに、
冥途の使い繁(しげ)き故、名残惜しくも帰るぞえ、さらばと言うも跡絶ゆる、
(あずさ)の上ぞ哀れなり、吉三は恋しさいや勝(まさ)り、
兎に角菩提を祈らんと、花の姿をふり捨てて、墨の衣に引き替わる、
煩悩即ち菩提なり、歌うも舞うも法(のり)の声、貰い涙に袖絞る、目元に汐がえ

◆現代文
世界に千人万人の人がいて、誰が回向(えこう)してくださろうが、
貴方さまが手向(たむ)けてくださる香花(こうげ)にまさるものはありません。
罪を償い終わった後生(ごしょう)には、
ひと房の蓮(はちす)の花弁に二人で寝て、
積もる恋の想いを語りたいと願っているのだけれど、
冥途の使いがさっきから繁々(しげしげ)と来てわずらわしく、
名残惜しいけれど、もう帰ります。じゃあね、と言うきり、お七は消えた。
お七の気配だけがしみじみと、梓弓(あずさゆみ)の上に残っていた。
吉三は、ますます恋しさが募(つの)ったあげく、
今はとにかく菩提を弔わなければと心が急(せ)いて、
花のような小姓姿を振り捨て、すぐさま墨ごろもに変った。
煩悩はすなわち菩提なり。
唄うも舞うも、
すべては仏性(ぶっしょう)のあらわれである。
(かたわら)で見守った人々も、貰い泣きで袖を濡らし、
目元がしょっぱくなったほど。




//////遊女文化と仏教の地獄思想

現代人のわたしたちの目に不可解に映るのは、「八百屋お七追善」のなか、お七が地獄の獄卒に責められるのは「仏師になる予定の相手に女犯(にょぼん)の罪を犯させたこと」「親を欺(あざむ)き恋を貫いたこと」「親に貰った肉体を、起請文を書くため小指を切るなど切り刻んだこと」です。放火の罪は、いっさい問われません。つまりこの時代の仏教が重要視したのは、性的な清純さと家父長制度への従順であって、まるで儒教のように感じます。

この教えの結果として、「遊女は死ぬと、みな地獄へ堕ちる」と言われました。吉原遊郭などを「苦界(くがい)」と呼ぶのは、そこで生活する遊女が今、苦しいからではなく、死ねば必ず地獄の責め苦を受けるからです。

平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」


「幻お七という踊り」の記事を読み、気づいた方もいらっしゃったかと思います。「幻お七」作詞者(原作者)である木村富子は旧姓を赤倉と言い、明治44年(1911)の吉原大火まで吉原遊郭にあった「中米楼(なかごめろう)」の娘です。その父親の名前が「赤倉鉄之助」、この名前に見覚えのある方は多いはず。映画やテレビドラマになった「吉原炎上」の揚屋の主人の名前です。




//////吉原遊郭と木村富子

木村富子の父方の祖母が加賀藩のお狂言師だったことは、「幻お七という踊り」の記事にも書きました。赤倉家はもとは武家ですが、木村富子の祖父・祖母(お狂言師)の代に「中米楼」を買って経営に乗り出しました。映画やドラマの主人公「久野(のち角海老楼へ移り「紫太夫」と名乗る)が所属していた頃は、総領娘だった長女で舞踊家の赤倉古登子(のちの喜熨斗古登子)が経営し、兄弟の赤倉鉄之助とその妻夫婦が帳場を廻しています。これは強く断言しておきますが、映画・ドラマの「吉原炎上」で描かれる下品な吉原遊郭と遊女のイメージはまったくデタラメで、「赤線地帯(1956年、溝口健二監督)」など、敗戦直後の貧しい娼婦の悲哀を描く、映画の影響を受けすぎていると思います。

絵草紙・奥座敷でお狂言師演じる歌舞伎狂言を愉しむ女性たち

自分も何度か、「お狂言師」の芸を受け継ぐという方にお会いしたことがあります。また、かつて吉原遊郭にいたという女性たちのバーへお邪魔したことや、吉原遊郭で演奏していたという男女のもと芸人の方、昔は放蕩者で遊女に養われていたというお年寄りにまでお会いしたことがありますが、どなたもみんな「キリリとしゃんと」した方たちでした。全員ご老人でしたが、内側から匂い立つように美しい人たちです。映像で言えば、坂東玉三郎監督・吉永さゆり主演「夢の女」という映画の世界が、事実に一番近いように感じます。映画・ドラマの「吉原炎上」を鵜(う)呑みにしないでくださいね。

実際の「中米楼」の様子は、久野の孫という人が書いた「絵草紙 吉原炎上」という本に詳しく、また、初代 市川猿之助の妻・喜熨斗古登子(赤倉古登子)の晩年のインタビュー「吉原夜話」にも残されています。

平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」

要するに木村富子は遊郭文化(実家が揚屋「中米楼」)と唄(母方が琴古流尺八宗家)に詳しく、むしろその中で育った人でした。そのため「黒塚(くろづか)」にせよ「幻お七」にせよ、世間から地獄に堕ちると揶揄されるような主人公をきわめて愛情深く、且つ、罪の中心から目をそらさず、ありのまま描写する傾向があります。

これだけはお伝えしなければいけません。木村富子は最晩年に国策作品の製作にかかわり、「南洋萬歳」(1944年)という舞踊劇を書いて外国から批判されています。夫の木村錦花も、子息の5代目 澤村源之助(1907~1982年)も伝統芸能の中で生きていたのですから、木村富子が国家の政策に従うのは仕方のないこと、いち芸術家の責任を問うべきではないと考えます。第二次世界大戦後まで生きていたら、戦中作品を批判されて悔しい思いをしたかもしれません。さいわいに、と言って良いかはわかりません。木村富子は昭和19年(1944)に没し、現在は東京の天龍寺(東京都品川区)に眠っています。

平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」



//////「幻お七」歌詞・原文

恋風に ほころびそめし 初ざくら
花の心も白雪の うきが上にも降り積みて
解けぬ ゆうべの もつれ髪

いつか人目の すき油
おもい 丈長(たけなが) むすび目も
しどけなり振り かの人を
(しの)ぶ押絵の 羽子板に
いとしらしさの 片えくぼ
そっと突いて 品遣(しなや)り羽子も
二つ三つ四つ いつの日に
遭わりようものぞ 遭いたさに
無理を湯島の神さんへ
梅も絶ちましょ 白桃に
妹背(いもせ)わりなき 夫婦雛(みょうとびな)

あやかりたさの振袖に 
(た)が空焚(そらだき)の移り香や
あるか無しかのとげさえも ふるう手先に 抜きかねる
寂漠(しじま)がえんの はしわたし
のぼりて嬉し 恋の山


平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」


「おお さっても見事な嫁入りの」

花の姿や 伊達衣装
いろ土器(かわらけ)の 三つがさね
祝いさざめく その中に
うちの子飼いの太郎松(たろまつ)
ませた調子の 小唄ぶし

誰に見しょとて 五百機(いおはた)織りやる
いとしけりやこそ 五百機(いおはた)
(つま)をほらほら 吹く春風に
あらうつつなの 花吹雪

狂う胡蝶や 陽炎(かげろう)
燃ゆる思いも そのままに
今はかいなき 仇枕(あだまくら)

(お)うて戻れば 千里も一里(いちり)
遭わで戻れば 又千里 ほんにえ

夢の浮世にめぐり遭い おもい合うたるその人の
おもかげ恋し 人恋し
遭いたや見たやと 娘気(むすめぎ)

「おお お前は吉さま」

狂い乱れて降る雪に それかあらぬか面影(おもかげ)
かしこに立てば そなたへ走り
ふっと見上ぐる 櫓(やぐら)の太鼓

平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」


「あれあれ 吉さまを連れて何処へ ええ憎い恋知らず 返しゃ 戻しゃ」

打つやうつつか 幻を
(しと)う 梯子(はしご)の踏みどさえ
一足づつに 消ゆる身の
(はて)は 紅蓮(ぐれん)の氷道(こおりみち)
危うかりける 次第(しだい)なり




//////「幻お七」歌詞・全現代語訳(全訳)

心の中に恋の風が吹き荒れ、初桜が咲いています。
積もった冷たい雪のうえにも、花の心が降り積もるのです。
夕べ抱き合ったかのように、風に吹かれて、髪がもつれて解(ほど)けません。

いつか、ひとめでいい、お遭いしたいと思案しながら、髪すきの油をとり、
悩みながら長い髪を結びますが、その結び目もすぐに解けてしまいしどけなく。
なりふり構わず、彼(か)の人へ想いを馳せる、わたしです。

(か)の人に似た押絵羽子板の、
かわいらしい片えくぼをそっと指でつついてから、
しなしなと色っぽく、羽根つきのふりをして遊んでみたり。
二つ打ち、三つ打ち、四つ打ち、あといくつ打ち数えたら、
あの人に遭えるのでしょうか、
遭いたいのです。
無理を承知で湯島天神さんへお願いしてみました、
天神さまになった菅丞相(かんしょうじょう)さんにあやかり、
梅断ちをして、代わりに白桃を食べています。
そうして男と女はわからないものね、と、
大人ぶって夫婦雛(めおとびな)に話しかけたりするのです。

夫婦雛(めおとびな)にあやかりたいと思いながら、まだこのように振袖姿。
ああ。空焚きで染み込ませたこの香のかおりは、あの人の移り香、
あるかなしかの棘を抜いてあげようと、手先を動かすにも、
あの人のお顔が美しすぎて、手が震えたほどでした。
ふたりとも、お互いがお互いに見入ってしまい、
ずっと沈黙が続きましたね。
その沈黙が、恋の始まりでした。
恋の山に登ることができて、嬉しくて仕方がない今のわたしです。
山から里を見下ろしたところ、花嫁行列が目に留まりました。


平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」

「ああ、なんて見事な嫁入り仕度(じたく)でしょう。」

花嫁の色とりどりの伊達衣装と、美しい三つ重ねの調度品が目に入ります。
行列を取り囲み、祝いに賑わうその中には、
大人の声で小唄を歌い、花嫁を言祝(ことほ)いでいる、
うちの奉公人の太郎松(たろまつ)が、いるではありませんか。
(ああ、そんならあれは、わたし自身の嫁入りなのだねぇ)

誰に見せようと、あんなに色とりどりの機(はた)を織ったのでしょうか。
愛しいあなたのためだからこそ、色とりどりの機(はた)を織ったのですよ、
着物の褄(つま)が、吹きつける春風に、ほらほらと軽く翻(ひるがえ)ります。
ああ、花吹雪が舞い始めました。これはいったい、現実なの?

胡蝶が舞い狂い、
足許には陽炎(かげろう)が、もやっとばかり立ち昇ります。
燃える想いを捨て置かれ、
今は甲斐なく感じる、独り寝の、
憎いほどに寂しい、わたしの枕の部屋なのに。

お会いすることができれば、千里の道も一里に感じます。
お会いすることができなければ、
千里の道は千里のうえにまた千里です、ああ本当に。

確かなものなどない人の世にもかかわらず、
夢のように出会いが叶い、
相愛となることができた、その人の
おもかげが恋しい、その人が恋しい、逢いたい、見たい、
その娘ごころを、わかってください。

「おお、そこにいるお前は、吉さまではないか」

さてもこうして、狂い乱れるように降る雪のなか、
あるかないか、わからないほど微(かす)かな面影が、
お七の目には見えている。
幻影がそちらへ立ったと見ると、そちらへ走り寄り、
ふっと見上げたところ、そこに火の見櫓の太鼓があった。

「あれあれ、吉さまを連れて何処へ行くのじゃ」
「ええ、憎い奴め。わたしたちの恋を知らず、邪魔をするか。吉さまを返せ、戻せ」

平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」

お七は邪魔者を打とうとするのだが、
それが現(うつつ)か幻(まぼろし)か、もう、わからない。
吉三郎を慕って昇る梯子の踏み板は、ひと足ごとの死への道行き。
その果てに紅蓮地獄(ぐれんじごく)の待ち受ける、氷の道なのだけれど。
お七が危うい道へ踏み込んだのは、こういう事情だったので、ございますよ。

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※ここが地獄の一丁目。「幻お七」という踊り、の記事はこちら
※地獄の数え唄「幻お七」鈴ヶ森刑場への道、の記事はこちら




可愛らしい十五歳(数えで十六歳)のお七を演じるのはちょっと勇気がいりますが、大人の演者には後半に魅せどころがたくさん用意されていますよ。簡単ではありませんが、おすすめの演目です。

踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







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