日本舞踊基本用語解説集



本文・イラストともに上月まこと。一部パブリックドメインの写真や絵画を利用しています。Copyright ©2018- KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.



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因果の小車(いんがのおぐるま)
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能や長唄など邦楽では、伝統的に「輪廻」や「因果」を、牛車(ぎっしゃ)の車輪にたとえます。たとえば、下記の歌が参考になります。
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- 作者不詳「閑吟集(かんぎんしゅう、1518年成立)」-
思ひまはせば小車(おぐるま)の 思ひまはせば小車(おぐるま)の わづかなりける うき世かな

[現代語訳]
考えてみれば小さな車輪のように、考えてみれば小さな車輪のように、浮世を急いで駆け抜けたような人生であった。
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いっぱんに「因果はめぐる小車(おぐるま)」もしくは、簡略化して「因果の小車(おぐるま)」などと呼ばれる概念です(プラトンの「国家」の中の、「エルの物語」を思い起こさせますね=Plato,Myth of Er)

「因果の小車」は現代に近づけば近づくほど、「水車」や「風車」、「花笠」「傘」にアレンジされます。

要するに「丸くて」「くるくる廻(まわ)る」ものです。文様・意匠としては「牛車」「花車」「水車」などになります。

変り種(だね)として、不倫の代償として生前にちらちら顕(あらわ)れて人を精神的に追い詰める、地獄の使者(牛頭・馬頭)を載せた「燃える牛車=火車(かしゃ)」もありますよ。借金を残して死んだ者を迎えに来る、いわゆる「火の車」より、よっぽど怖いと思います。
※火車(かしゃ、ひのくるま)は、幕末には「猫また」と混同されて妖怪扱いになります。

火車(火の車)





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踊口説(おどりくどき)
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「踊口説(おどりくどき)」は仏教の声明(しょうみょう、仏教音楽)を起源とした音曲に踊りの振りをつけたもので、踊念仏(おどりねんぶつ)や盆踊りの同類です。誰が最初に始めたものか不明ですが、もっとも有名な「祇園踊口説(ぎおんおどりくどき)」では、明暦(1655~1658年)の頃、京都・祇園で風流法師が突然唄いながら踊りだし、周囲を巻き込んで広まったものとされています(「松の落葉集」、1704年刊行)

なかでも浄瑠璃の系譜(長唄、常磐津、清元、ほか)に残る「踊口説(おどりくどき)」は、出家姿でなお売笑しながら地獄のさまを説いて歩いたという、「歌比丘尼(うたびくに、唄比丘尼とも)」の影響が無視できません。歌比丘尼(うたびくに)は地獄・極楽の図など見せて歩いたため「絵解比丘尼(えときびくに)」や「勧進比丘尼(かんじんびくに)」とも呼ばれます。基本的に口寄せ・売笑を生業(なりわい)とし、酒席へ招かれて安価に唄と踊りを披露した、室町時代~江戸時代の遊行(ゆうぎょう)芸人です。

この女性たちが唄って踊ったのが、「祇園踊口説(ぎおんおどりくどき)」や「道念節(どうねんぶし)」「相の山節(あいのやまぶし=伊勢音頭のこと)」のような口説(くどき)でした。仏教にうながされて始まったという「口説(くどき)」が、どういうわけか三味線音楽にはすべからく「売笑婦の嘆きの物語」として残っているのは、その流布の過程に売笑婦がかかわっていたからです。彼女たちはもちろん源氏物語や小野小町も唄って踊りましたが、自分たちの境遇に近い「傾城もの」を披露するときには、いっそう熱がこもったようです。

かつて我が国の盲人の最高位は「検校(けんぎょう)」という社寺の監視役で、その支配下の布教担当として比丘尼(びくに)たちが存在しました。渡来した三味線を和風に変えたのは盲人音楽家の功績ですが、その流布に歌比丘尼(うたびくに)たち、しいたげられた女性たちの奮闘があったことを、忘れてはいけません。

唄(歌)比丘尼



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邦楽歌詞はシンボル主義
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邦楽歌詞は「共通シンボル=暗喩」で成り立っています。
代表的な共通シンボルを、下記に列記しておきます。


(1)車輪、笠、傘、風車、水車、など丸いもの
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因果と煩悩のシンボルです。
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丸くてくるくる廻せるものは輪廻転生と、輪廻転生の原因となる因果や煩悩の暗喩です。

因果というのは、キリスト教などで言う「原罪」にあたり、生まれる前から抱えてきた、その人のおおもとの罪です。いっぽう煩悩は生まれたあと、慾やこだわりのせいで自身が作った罪のことです。


(2)笠、蓑(みの)、傘など雨風をしのいでくれるもの
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仏の慈悲のシンボルです。
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因果応報から、一時的に守ってくれる仏の奇特(きとく)の暗喩になります。
歌舞伎舞踊・日本舞踊の物語世界は仏教思想に立脚しているため、因果応報を不可逆的に解決するには出家しか、ありません。


(3)「比翼の鳥」と「連理の枝」
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永遠の恋のシンボルです。
逢瀬の場面においては、「愛のいとなみ」そのものを表わします。
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「比翼の鳥(ひよくのとり)」は互いにひとつの翼とひとつの目しか持たない鳥が、夫婦で体を合わせて飛ぶという中国の古い伝説です。
※気持ち悪い。。。。

「連理の枝(れんりのえだ)」は根は分かれている二本の木が、枝の上でひとつにつながる様子を言うようです。中国の古い考え方で、仲良しの象徴だそうです。
※魔女が生まれそう(魔女は木の股から生まれます)。。。。

「体を合わせて」「ひとつにつながる」で、「愛のいとなみ=性交」の暗喩となるわけです。

「比翼の鳥」も「連理の枝」も、唐代中期の詩人・白居易(772~846年)の「長恨歌(ちょうごんか)」を参考にしているようです。

ただし「長恨歌(ちょうごんか)」は安史の乱(755~763年)で都(みやこ)を追われた唐の皇帝・玄宗(985~762年)が、みずからの帝位を守るため寵愛の后・楊貴妃(719~756年)を縊死(いし)させ、あとで陰陽道の道士にその魂を探させる身勝手すぎる物語です。玄宗皇帝が約束した「比翼の鳥」も「連理の枝」も、実現しませんでした。

むしろ「果たされなかった恋の約束」のシンボル「比翼の鳥」「連理の枝」が、我が国文芸に「永遠の恋の象徴」としてとりこまれてしまったのは、個人的には「源氏物語」が原因だと思っています。

「源氏物語」は「果たされなかった恋」のオマージュのような作品のため、「長恨歌(ちょうごんか)」をたくさん引用します。その「源氏物語」を引用することで、時代が下がるほどシンボルの意味がエロい方向へ混乱したのだと思います。

江戸期に流行した三教一致論(徳川政権が推奨した儒教思想に、仏教・神道をすりあわせて布教する僧侶の説法)のせいで、文芸において性的な表現ができない事情もありました。


(4)「かささぎの橋」
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恋の約束が果たされることのシンボルです。
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七夕の夜、雨が降って(催涙雨)天の川を渡れない織姫と彦星のため、鳥のかささぎが群れ飛び、天空に折り重なってふたりのための橋となり渡らせてくれるという、中国の古い言い伝えです。

「長恨歌(ちょうごんか)」のなかで、「比翼の鳥」「連理の枝」に続いて玄宗皇帝が口にします。

能の楊貴妃


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引き抜き、ぶっかけ、など衣装の「早変わり」
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現在の歌舞伎・歌舞伎舞踊は野郎歌舞伎と呼ばれた男性演者のための演目です。そのため、特に女性の役(女形)で「早変わり」という、舞台上で一瞬にして衣装が変わる演出が多く見られます。野郎歌舞伎の女形は「ケレン」という、サーカスの曲芸のような動きを見せるのが売りものだったからです。

初期の歌舞伎作者・女形「初代 瀬川菊之丞」



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(うたい)がかり・能(のう)がかり
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長唄など三味線音楽の中に登場する能の一節を「謡(うたい)がかり」と言い、その舞踊の所作を「能(のう)がかり」「本間(ほんま)がかり」と言います。「かかる」とは、他の分野から一節とりこむことを言うようです。

ただし「能がかり」は「能そのもの」ではありません。たとえば能では動作の際に足裏を見せませんが、歌舞伎舞踊ではホンの少し足裏を見せて踊ることで、音曲の軽妙洒脱さに同調します。能の足さばきそのものを復元しても、三味線の良さを活かせません。歌舞伎舞踊には歌舞伎舞踊なりの、能表現があるわけです。

「能がかり」が登場するのは、まずは「三番叟」、そして「船弁慶」や「獅子もの」など、古くて謡曲由来の演目です。

歌舞伎の三番叟



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