2019年3月9日土曜日

花になれ。「越後獅子」という踊り






江戸の昔、しま模様のもんぺをはき、錏(しころ、兜の後ろから垂れて首後方をまもるもの)の付いた小さな獅子頭を頭につけ、子どもが親方の指示で演じる大道芸の獅子舞がありました。児童労働が禁止された現在では、街頭から消え失せた芸能です。子どもたちが越後から来るから、その名も「越後獅子」、江戸では「角兵衛獅子」と呼ばれ、かつてはたいへん人気がありました。

そんな大道芸集団を描いた舞踊、長唄「越後獅子」を紹介させていただきます。

※男と女「越後獅子」布晒しの謎を解、の記事はこちらく
※男の恋唄、三番叟と長唄「越後獅子」全訳、の記事はこちら




絵草紙・越後獅子の子ともたち



////// 概略

長唄「越後獅子」は本名題(ほんなだい)を「「遅桜手爾葉七字(おそざくらてにはのななもじ)」と言い、文化8年(1811)3月15日、江戸・中村座で3代目 中村歌右衛門(1778~1838年)が初演した七変化舞踊です。

同じ年同じ月の6日初日、3代目 坂東三津五郎が江戸・市村座で踊った七変化舞踊「源太」の中で中村歌右衛門をあてこするような部分があり、怒った中村歌右衛門が急遽(きゅうきょ)作らせた中に「越後獅子」があったと言われています(5代目 芳村孝次郎筆、1874~1962年)


七変化
(1) 長唄「傾城(けいせい)
(2) 長唄「座頭(ざとう)
(3) 長唄「業平(なりひら)
(4) 長唄「越後獅子(えちごじし)
(5) 長唄「橋弁慶(はしべんけい)
(6) 長唄「相模蜑(さがみあま)
(7) 長唄「朱鐘馗(しゅしょうき)

現在も上演されるのは「越後獅子」と「相模蜑(さがみあま)」だけです。

作曲
九代目 杵屋六左衛門(きねやろくざえもん、1756~1819)

作詞
篠田金次(1768~1819年、のち2代目 並木五瓶=なみきごへい)

振付
市山七十郎(いちやま しちじゅうろう、2代目か3代目か不明)



長唄「越後獅子」の作詞者・篠田金次(しのだきんじ)は江戸・中村座の座付作者です。中村歌右衛門の指示でたった一日で「越後獅子」を作り上げたため、地唄「越後獅子」の歌詞をほぼそのまま利用したと揶揄されます。ところが、どういうわけか、わたしにはあまり似ているように見えません。トリビュートしているのは確かです。けれど長唄歌詞が描こうとする世界は、地唄「越後獅子」より、だいぶ雄大に感じます。

平成13年、仙台電力ホール、歌泰会「越後獅子」




////// 地歌筝曲「越後獅子」について

地唄が悪いと言っているわけではありません。

地唄はいつもどおり、品よく面白くまとまっています。長唄「越後獅子」に比べると、少しばかり小さい印象を受ける、というだけのことです。




ところで、
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- 作者不詳「越後獅子」※地歌筝曲-
末松山の白布(しらぬの)の 縮み(ちぢみ)は肌のどこやらが 見え透く国の風流を

[現代語訳]
陸奥(みちのく)の白布で作った越後縮(ちぢみ)は、肌のどこかが透けてしまう風流なもの、そんなお国かたぎを
****************

上記は地唄「越後獅子」に登場する歌詞ですが、奥州・陸奥(みちのく)名産の献上品「細美(さいび)」つまり「細布=ほそぬの、せばぬの、栲(たえ)」を指しています。

「細布(ほそぬの)」は奈良・平安の昔まで奥州・陸奥(みちのく)でしか作れなかった上質の白布で、その当時の他国産に比べて巾が狭く、それを纏(まと)うとアチコチ透けて見えて色っぽかったようです(謡曲「錦木」=「また細布は機ばりせばくて、さながら身をもかくさねば」)。その細布で縮(ちぢみ)を作れば、そりゃあ肌のどこかはだいぶ透けたことでしょう。

平成13年、仙台電力ホール、歌泰会「越後獅子」



また地唄「越後獅子」歌詞では、奥州・陸奥(みちのく)にあった伝説の山「末の松山」も取り上げられます。「末の松山」は現在の宮城県多賀城市付近にあったという山の名前で、清少納言の父・清原元輔(きよはらの もとすけ、908~990年、清原武貞と同じ清原深養父の子孫)の和歌で有名です。
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- 清原元輔の和歌 ※後拾遺集・小倉百人一首-
契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 なみこさじとは

[現代語訳]
末の松山には絶対津波が来ないように、お互いの想いは永遠だと泣きながら契ったのに
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末の松山は「宮城県多賀城市八幡地区にある丘」のこと、という言い伝えがあり、東北大震災の際には多くの人が避難しました。実際、そのあたりまで津波は来ませんでした。




つづいて、地唄「越後獅子」歌詞の全部と、長唄「越後獅子」歌詞の一致する部分を抜き出します。地唄は生真面目で品が良く、長唄に比べると少しだけ堅苦しい感じです。いっぽう長唄は、唄の意味はつながりにくいものの躍動感に溢れ、愉(たの)しい出来です。わたしは、どちらも好きですよ。

平成13年、仙台電力ホール、歌泰会「越後獅子」




////// 地歌筝曲「越後獅子」歌詞(全訳)

◆原文

作詞者不明
峰崎勾当(みねざきこうとう、生没年不詳、18~19世紀に活躍)作曲
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越路潟(こしじがた) お国名物さまざまなれど 田舎なまりの片言まじり
しらうさぎ(「獅子頭」の間違いと言う)なる言の葉(ことのは)
おもしろがらしそうなことを
直江浦(なおうら)の海士(あま)の子が 七つか八つ目うなぎまで

(う)むや網(あみ) その綱手(つなて)とは 恋も心も米山(こめやま)
当帰(とほき)浮気の 黄蓮(おうれん)
なに糸魚川(いといがわ) 糸魚(いとうお)
もつれもつるる草浦(くさうら)の 油うるしとまじわりて

末松山の白布(しろぬの)の 
(ちぢみ)は肌のどこやらが 見え透く国の風流を
うつし 太鼓や笛の音も 弾いて唄ふや 獅子の曲(きょく)
向かえ小山の 紫竹竹(しちくだけ) 枝節揃えて切りを細かに

十七が 室の小口に昼寝して 花の盛りを夢に見てそろ
夢の占方(うらかた) 越後の獅子は 牡丹は待たねど
富貴(ふっき)はおのが姿に咲かせ 舞ひ納む 姿に咲かせて舞ひ納む


◆現代語訳
越後の国のお国名物はさまざまにあるのだけれど、
田舎なまりの片言ながら、
角兵衛獅子の唄によさそうな、
ご見物さまに、面白がっていただけるような言葉を並べるのであれば、
まずは直江浦(なおうら)の浜で育った漁師の子は、七つ八つになるころには、
八目うなぎを漁(すなど)る網を、編(あ)めるほどになるということ。

その綱の糸の先を握る相手には、やがて恋の思いを一心に込め(こめやま)
浮薄な気性を遠ざけ(当帰、薬の名前)
たびたび逢瀬(黄蓮、薬の名前)を重ねるようになるのです。
なにを厭(いと)うことがあるでしょう(糸魚川)
恋の糸(糸魚)はもつれにもつれ、浦辺の水草のよう。
油が漆(うるし)とまじわるようなもの(テレピン油)
相性が良すぎて、別れることができないのです。

平成13年、仙台電力ホール、歌泰会「越後獅子」

恋の国・陸奥(みちのく)の白布を使った越後縮(ちぢみ)は、
着ればどこか肌が透けてしまうような、とても風流で色っぽいもの。
わたしたちはその風流なお国かたぎを芸に写し、
うつくしい太鼓を打ち、うつくしい笛を吹くのです。
弾いて唄うは、獅子の唄。
紫竹山の霊験あらたかな紫竹に向かい、枝節を揃え切り口を丁寧になめして。

そら、十七の子が水屋の入り口で、
ひる日なかから眠りに落ち、花の盛りを夢に見ています。
紫竹を使った、夢占いの結果やいかに(易経に使う筮竹=ぜいちく)
越後の獅子は、牡丹の花を背負ってはいないが、
豊かさ、美しさ、高貴さというものは、
おのが力で、おのが姿に咲かせるものなのだ、と。
はい、そのように舞い納めましょうとこたえ、
おのが姿を花のように咲かせ、
そのように舞いを納めた、越後獅子の子なのでありました。







////// 長唄「越後獅子」歌詞(抜粋)

◆原文

~省略~
越路(こしぢ)がた お国名物は様々あれど、
田舎訛(なま)りの片言(かたごと)交じり
しらうさになる言の葉を 雁の便りに屆けてほしや
小千谷縮(おぢやちぢみ)のどこやらが、見え透く国の習いにや
縁を結べば兄(あに)やさん、兄ぢゃないもの夫(つま)じゃもの

~省略~
牡丹は持たねど越後の獅子は
おのが姿を花とみて、庭に咲いたり咲かせたり、

~省略~
弾いて唄うや獅子の曲 向かい小山のしちく竹、
いたふし揃えて、きりを細かに
十七が室(むろ)の小口(こぐち)に昼寝して、
花の盛りを夢に見て候(そうろう)
見渡せば 見渡せば 西も東も花の顔、
(いず)れ賑わう人の山 人の山


平成13年、仙台電力ホール、歌泰会「越後獅子」

◆現代語訳

~省略~
越後の国のお国名物はさまざまにあるのだけれど、
田舎訛(なま)りの片言(かたごと)交じりが、そのひとつのように言われて悲しい。
うさぎが白くなったという季節の知らせを、せめて雁の便りに届けてほしいよ。
小千谷縮(おぢやちぢみ)は着ればどこやら透けて見えるような、
色っぽくて風流な布。
女房にとって俺がまさにそれなのだが、そんな風流な布を作る風流な国の常として、
「兄(あに)やさん」だった男が、
いつのまにやら縁を結び「兄(あに)」じゃないもの、「夫(つま)」だもの、
となったのだった。

~省略~
越後の獅子は高価な牡丹の花なんぞ背負ってはいねぇが、
笛と太鼓で、おのが姿を花のように咲かせ、
清涼山には及びもつかない簡素な石庭(せきてい)に遊んでも、
みずから花と咲いてみたかと思えば、
同輩を助け、花と咲かせてやるものだろ。

~省略~
弾いて唄うは、獅子の曲。
向かいの小山から、糸竹(しちく)の林の三味(しゃみ)の調べ。
板節を揃えて撥(ばち)を切り、
さぁ節を揃え、切りを細かに、松の木陰に舞って花と咲いてみせようじゃないか。
そら、十七の子が水屋の入り口で、
ひる日なかから眠りに落ち、花の盛りを夢に見てござそうろう。
夢の中で目覚めてふと見渡せば、見渡せば、西から東まで一面の花。
どっと賑わい、いつか集まる祭礼の、人の群れ、人の群れ。

//////

※男と女「越後獅子」布晒しの謎を解、の記事はこちらく
※男の恋唄、三番叟と長唄「越後獅子」全訳、の記事はこちら





長唄「越後獅子」の描写力が、やっぱり凄いなと思う、わたしです。

踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







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