2019年4月30日火曜日

奥州探題の城あとの桜「館山公園」2019



春ですね~。
ようやく春が来たという実感がわいてきました。

宮城県はこれから、花の季節に突入します。
写真は4月24日ごろ(2019)の、宮城県宮城郡利府町「館山公園」の桜の下です。

「館山公園」は鎌倉時代の奥州探題(おうしゅうたんだい)・留守氏の家臣が建てて、あとから留守氏のものになりました。留守氏は江戸時代には「水沢伊達家」とも呼ばれた、仙台伊達家の一門です。

留守氏の利府城は北の守りとして重要視されていましたが、豊臣秀吉公の小田原城攻めに参陣しなかったため、廃城にされてしまいました。


宮城県宮城郡利府町「館山公園」



現在は城址が「館山公園」となり、開放されています。
桜の横枝が目の前いっぱいに広がる、見事な桜が咲くところです。



宮城県宮城郡利府町「館山公園」


写真は夕方に撮ったものです。昼はもっと明るく、夜は花見客で大騒ぎです。お奨めは昼間のうちでしょうか。よろしければ、是非。



※本日4/26、宮城県冷たい雨が降り続いてます。5月になると、お花散ってるかも。。。申し訳ありません<(_ _;)>。

本文・写真ともに水木歌惣。Copyright ©2019 MIZUKI Kasou All Rights Reserved.







2019年4月29日月曜日

怨念のかたまり。「静と知盛」知盛の段(舞踊鑑賞室)





あら不思議や 海上を見れば 西国(さいこく)にて滅びし平家の公達(きんだち)
一門の月卿(げっけい)雲霞(うんか)のごとく 浪に浮かびて見えたるぞや


(台詞)抑々(そもそも)これは桓武天皇九代(くだい)の後胤(こうえい)、平知盛幽霊なり あら珍しや 如何に義経 思いもよらぬ浦浪の

平成25年、仙台電力ホール、歌泰会「静と知盛」


声を知辺(しるべ)に出舟(いでふね)の 声を知辺(しるべ)に出舟(いでふね)


(台詞)知盛が沈みし 其のありさまに


又義経をも海に沈めんと 夕波に 浮べる 薙刀(なぎなた)とり直し
巴波の紋あたりを払ひ 潮を蹴立てて あく風を吹かけ
(まなこ)もくらみ 心も乱れて 前後を忘(ぼう)ずるばかりなり
其の時義経少しも騒がず 其の時義経少しも騒がず


平成25年、仙台電力ホール、歌泰会「静と知盛」


打物(うちもの)ぬき持ち、現(うつつ)の人に向ふがごとく
言葉をかはして戦ひ玉へば 弁慶押し隔て
打物(うちもの)(わざ)にて叶ふまじと
数珠さらと押(おし)もんで

東方降三世(とうほうに ごうさんぜ) 南方軍陀利夜叉(なんぽう ぐんだりやしゃ)
西方大威徳(さいほう だいいとく) 北方金剛夜叉明王(ほっぽう こんごうやしゃみょうおう)
中央大聖不動明王(ちゅうおう だいしょうふどうみょうおう)の策(さつく)にかけて祈り祈られ

平成25年、仙台電力ホール、歌泰会「静と知盛」


悪霊次第に遠ざかれば 弁慶舟子に力を合せ
御舟(みふね)を漕(こぎ)のけ 汀(みぎは)に寄すれば
(なほ)怨霊は慕ひ来るを追払ひ
(いのり)退け 又曳く汐にゆられ流れ 又曳く汐にゆられ流れて


平成25年、仙台電力ホール、歌泰会「静と知盛」


(あと)白浪とぞなりにける 跡(あと)白浪とぞなりにける

+++++++++++++++

明治18年、東京・新富座、9代目 市川団十郎(1838~1903年)らにより初演された歌舞伎舞踊の長唄「船弁慶」を、舞踊家・坂東三津之丞(1896~1966年)が舞踊劇に変えたものです。


※  悲しみをこらえて。「静と知盛」静の段(舞踊鑑賞室)
※  来世で会いましょう。長唄「静と知盛」という踊り(全訳)




義経主従を追いまわす、怨霊・平知盛の段をご紹介しました。

写真は水木歌惣のもの、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







2019年4月27日土曜日

宮城県桜づくし_2019



宮城県にも、桜の季節がやってきました。

2019年4月17日、宮城県宮城郡利府町にある「楊岐寺(ようぎじ)の種まき桜」が開花していたので、撮影してみました。近隣の人々が種まき時期の目安にしたと言われる有名なシダレザクラで、満開になると、さらに綺麗です。楊岐寺(ようぎじ)は実は、わたしの師匠・水木歌泰(みずきかやす)先生の、お家なんです。

宮城県宮城郡利府町「楊岐寺の種まき桜」
※宮城県宮城郡利府町利府八幡崎




ところ変わりまして、こちらはわたしの家の近く、宮城県登米市迫町(はさまちょう)「山王の桜」です。

宮城県登米市迫町「山王の桜」


先週観に行ったときには、まだ開花してませんでした。

宮城県登米市迫町「山王の桜」


4月20日にまた見に行き、咲いているのを確認しました。だいぶお年寄りの桜なので、今年も咲くか心配だったのです。樹齢600年、えらい。おめでたい。

宮城県登米市迫町「山王の桜」


「山王の桜」は、坂上田村麻呂(758~811年)が植えたものとも言われ、また一説に西行法師(1118~1190年)が植えたとも言われる伝説の桜で、町の指定天然記念物になっている、エドヒガンザクラです。
※宮城県登米郡迫町北方北浦字相が沢 北浦権現前



満開になったら、とても綺麗ですよ。よろしければ、是非。

本文・写真ともに水木歌惣。Copyright ©2019 MIZUKI Kasou All Rights Reserved.




※本日4/26、宮城県冷たい雨が降り続いてます。ゴールデンウィーク中も、お花はもたないかもしれません。申し訳ありません<(_ _;)>







2019年4月24日水曜日

女獅子はもだえ泣く。「鏡獅子」の原型「枕獅子」全訳





先日公開した、長唄「鏡獅子(春興鏡獅子)」という踊りの説明の、続きです。

※獅子だらけ、長唄「鏡獅子」(舞踊鑑賞室)
※人生いろいろ「鏡獅子」という踊り
※阿国歌舞伎の系譜。長唄「鏡獅子」全訳






9代目 市川団十郎(1838~1903年)に「たいせつに育てた娘たちには、踊らせたくない」と思わせてしまった長唄「枕獅子」ですが、これが演目としてはとても素晴らしいものです。明治期の演劇改良運動で、その価値まで否定されてしまった感があるのは残念なことです。

「娘に踊らせたくない」云々は、伝統芸能の継承という目的の前では意味がありません。時代の理想像で新作するのも良し、そのまま保存するのも良しですが、保存すべきものは保存できるうちにしておいていただきたいものです。

ということで、何か心に響く唄ですのでここで是非、歌詞を紹介させてください。踊る踊らないは、好きにしたら良いのです。ちなみに自分も踊っていないため、写真は「春興鏡獅子(しゅんきょう かがみじし)」です。はい、ごめんなさい。

扇獅子(おうぎじし)



////// 長唄「枕獅子」概略

■本名題■
英獅子乱曲(はなぶさ ししのらんぎよく)


■初演■
寛保2年(1742)、江戸・市村座にて初代 瀬川菊之丞(1693~1749年)が初演


■作曲■
不詳


■作詞■
初代 瀬川菊之丞(初代 瀬川路考、1693~1749年)


作曲は杵屋新右衛門(生没年不詳)だろう、と言われています。三味線・唄は松島庄五郎(生年不詳~1764年)と坂田兵四郎(1702~1749年)、黄金コンビが務めました。

作者・瀬川菊之丞は獅子ものを得意とした人気女形で、後段の獅子も女形のまま演じたと言われます。ただし「手獅子(てじし)」を使ったか「扇獅子(おうぎじし)」を使ったかは曖昧で、本によって違います。いずれにせよ傾城の扮装のまま、獅子を手に持って演じたことは確かです。振付は明治期に断絶してしまい、わからなくなりました。


唐獅子の屏風




////// 長唄「枕獅子」のなりたち

長唄「枕獅子」は、芳沢金七(生没年不詳)作曲、初代 瀬川菊之丞(1693~1749年)作詞、地唄「石橋」をもとに作られたといわれます。

享保19年(1735)に初演されたらしいこの演目は、別名「番(つがい)獅子」とも呼ばれ「獅子もの」の歴史では重要な位置を占めるものです。後年の安永4年(1764)初演、長唄「番(つがい)獅子(本名題「袖模様四季色歌」)との関係はよくわかりません(あまり似てません)

===============
地唄「石橋」概略
===============
・通称:「番獅子(つがいじし)
・初演: 享保19年(1735)。杵屋喜三郎の三味線、瀬川菊之丞(1693~1749年)
・作曲: 芳沢金七(生没年不詳)・若村藤四郎(生没年不詳)
・作詞: 初代 瀬川路考(瀬川菊之丞、1693~1749年)

===============
地唄「石橋」歌詞(一部)
===============
面白や 時しも今は牡丹の花の咲きやみだれて
散るは散るは 散り来るは 散るは散るは 散りくるは
散れ散れ散れ 散れ 散りかかるようで おいとしうて寝られぬ
花見て戻ろ 花にはうさおも打ち忘れ
(現代語訳)
風流なことに、ちょうど今どきは牡丹の花が咲き乱れる時期。
今にも散り始めそうで、
今にも散り始めそうで、
ちれちれと、散り始めるように見えて、あぁ、心配で夜も寝られない。
だからまた、花を見に行っては戻るを繰り返す。
花を見ればつらい浮世を、忘れることができるから。


なお、ほとんどの獅子ものは謡曲「石橋(しゃっきょう)」が起源だとされています。さらに言えば謡曲「石橋(しゃっきょう)」は、「牡丹」の描写を唐の詩人・白居易(はっきょい、772~846年、あざな「楽天」で「白楽天」)の詩「牡丹芳(ぼたん よし)」から取っています。どの部分が謡曲「石橋(しゃっきょう)」オリジナルで、どの部分が漢詩「牡丹芳(ぼたん よし)」かは、註解の方で説明しますね。




//////「枕獅子」歌詞・註解(歌詞に登場する順序で取り上げています)

◆あらすじ
傾城は客と枕を並べる生業(なりわい)に疲れ、二十そこそこの若さにもかかわらず「冷たい女」と噂されている自分自身に、心底嫌気が差している。馴染みの相手は気のきかない男で、傾城の悩みをいたわるどころか、来ると言っておいて来ないことさえある。ある朝、髪を上げず後ろで結んだだけの簡単な身支度でこの男を二階から見送ったあと、傾城は寂しさと自責の念から次第に物狂いになる。


◆川崎音頭
長唄に取り込まれた伊勢音頭は、いわゆる「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」系の参詣端唄や巡礼端唄ではありません。もとは「間(あい)の山節」という伊勢の民謡に、伊勢近在の川崎(伊勢市河崎)の音頭=川崎音頭が混ざったものです。それを伊勢の内宮と外宮(げくう)のあいだにあった旅籠(たびかご)で遊女たちが歌い踊り、広めたようです。

「間(あい)の山節」も「川崎音頭」も、「おけさ節」のように相互関係のない短歌を並べた唄ではなく、一貫したテーマと音曲をもった長い歌です。

===============
(あい)の山節(一部)
===============
ゆふべ朝(あした)の鐘の声 寂滅為楽(じゃくめついらく=「涅槃経」より)と響けども 聞いて驚く人ぞなき 花は散りても春は咲く 鳥は古巣へ帰れども 行(ゆ)きて帰らぬ死出の旅
(現代語訳)
朝も夕も聞こえる梵鐘の音、「真のよろこびは煩悩を越えた先の涅槃にある」と、説くように響くけれど、それを聞いたからといって、いまさら驚く人なぞいなかろう。花は散っても春はまた来る。鳥はあちこち飛び廻ってもいつか古巣に帰るものだが、死出の旅ばかりは、行けども帰る道はない。

===============
川崎音頭(一部)
===============
はるばると きつつなれにし花笠や
ついの小袖に ついの帯 姿うつくし旅の空
関の清水にかけうつす 水に鏡は筒井筒
ふりわけ髪も 程(ほど)すぎて 夜ごと夜ごとの通い路(ぢ)
(現代語訳)
はるばるとやってきたものだ。同じものを着て、着慣れ馴染んでやってくる花笠衆。
揃いの小袖に揃いの帯。姿美しい、旅の空の衆。
関の清水でとるお潔(きよ)めの、水鏡に映る筒井筒の人、
幼な髪が肩より先へ伸びるころ、夜ごと通ってきたお前の面影。


昭和51年、迫体育館、歌泰会「鏡獅子」


◆平元結(ひらもとゆい)
「丈長(たけなが)」とも言う巫女のような髪型。要するに下の方へ結んだポニーテールで、髪を上げない簡易な結い方。


◆ひぞりも鶴のはしたなく
ひぞりは「曲がる」こと、「鶴のはし」は鶴の嘴(くちばし)です。江戸期の流行歌や長唄に、結婚しない男女の腐れ縁のような長い関係を「鶴」にたとえるものがあります(歌木検校作「あやづる」など)。ここでは「曲がった笄(こうがい)は鶴の嘴(くちばし)に似ているじゃない。あァ我ながら、こんな宙ぶらりんな恋が嫌になる」と、いう意味になります。ちなみに「はしたなし」は、「はしなし(端無し)」と同語で、「どっちつかずの状態」を表わす言葉です。


◆二階の梯子
女郎は初回のお客は揚げ屋の出入り口まで見送りに出ますが、馴染み客には二階で別れます。


◆朧月夜や時鳥(ほととぎす)
ほととぎすは夜にも啼(な)くのですが、美声ではなく「キョキョキョキョ(クェクェ、、、とも)、、、」という、ちょっと耳障りな鳴き声です。鶯(うぐいす)とは違います。月夜の幻想を、台無しにされるイメージです。


◆半日の客(かく)たりしも
漢の明帝時代・永平五年(508)、 劉晨(りゅうしん)と阮肇(げんちょう)の二人が楮(こうぞ)を取りに天台山へ登り、道に迷って神女に助けられます。半日遊んだだけで下山したのに、下界では既に七代が経過していたという浦島太郎のような物語(短編小説集「幽明録」より、「天台神女」)です。


狩野芳崖「獅子図」

◆飛騨(ひんだ)の踊り
中国から三味線が流入した早い時期、検校(けんぎょう)たちが和風にアレンジし独自の演奏法を作りました。「飛騨組(ひんだぐみ)」はそのひとつで、石村検校(生年不詳~1642年)の音曲です(「松の葉集」1703年刊行)


◆二十日草 君はつれなや
白居易(はっきょい)の「牡丹芳(ぼたん よし)」の中で、牡丹の寿命は二十日とされています。牡丹の花は異名が多く、謡曲「石橋(しゃっきょう)」ではもうひとつの異名「深見草(ふかみぐさ)」が使われます。一方、「春興鏡獅子(しゅんきょう かがみじし)」では「二十日草」と「深見草(ふかみぐさ)」、両方の異名とさらに「牡丹」が登場します(よくばりすぎ!)
===============
牡丹芳一部)
===============
花開花落二十日 一城之人皆若狂
(現代語訳)
花が開いて落ちるまで二十日
ひとつの城郭(長安)の人々が、一人残らずにわかに物狂いとなる


◆陽向(ようごう)
神仏が降臨することです。


◆獅子団乱旋(しし とらでん)
渡来ものの舞楽(ぶがく)の名前です。本当は「団乱旋(とらでん)」だけです。「獅子団乱旋(しし とらでん)の舞楽の砌(みぎり)」とは、「獅子の団乱旋(しし とらでん)を舞ったときに」ぐらいの意味です。謡曲「石橋(しゃっきょう)」由来の表現です。


◆黄金の蘂(こうきんの ずゐ)
黄金の雄しべ雌しべ。白居易(はっきょい)の「牡丹芳(ぼたん よし)」から取られた歌詞です。
===============
牡丹芳一部)
===============
牡丹芳 牡丹芳 黄金蕊綻紅玉房 千片赤英霞爛爛 百枝絳點燈煌煌
(現代語訳)
牡丹うるわし
牡丹うるわし
紅い玉のような花房(はなぶさ)のなかで、黄金の蘂(しべ)がほころび
紅い霞(かすみ)が千の瑠璃(るり)のように、房なりになって爛々(らんらん)と輝く
数百の枝が、煌々(こうこう)と輝く真紅の燈明を、点々と支えているのだ


◆大巾利巾(だいきんりきん、大筋力)の獅子頭(ししかしら)
謡曲「石橋(しゃっきょう)」から取られた歌詞で、「百獣の王」のような意味です。「大筋力(だいきんりき)」が仏語と混ざって発展した語だということです。

===============
謡曲「石橋(しゃっきょう)(一部)
===============
たいきんりきんの獅子頭。打てや囃せ(はや)や 牡丹芳(ぼたん よし) 牡丹芳(ぼたん よし)。黄金の蕊(しべ) 現れて 花に戯(たわむ)れ枝に伏し転(まろ)び。
(現代語訳)
百獣の王たる獅子は頭(こうべ)を振る。鼓を打て、歌い囃(はや)せ。牡丹うるわし、牡丹うるわし。牡丹の雌しべ雄しべが顕(あらわ)れ黄金色に光り輝くや、獅子は花に戯(たわむ)れ、枝に体をこすりつけたり、転げまわったり。

葛飾北斎筆「勇士騎獅子図」

◆獅子の座にこそ なおりけれ
獅子は文殊菩薩の台座、つまり乗り物です。要するに、文殊菩薩の乗り物で、それが「獅子の座」です。ですから「獅子の座にこそなおりけれ」とは、「文殊菩薩さまの足許(あしもと)に戻った」という意味です。


***
註解、長くて恐縮です。日常使わない語・漢詩由来の語が多いせいですね。

ちなみに日本で大人気の「白楽天(はくらくてん)」こと「白居易(はっきょい)は、中国ではあまり評価が高くなく、わたしの知る中国人に代表作「長恨歌(ちょうごんか)」を知る人はいませんでした。「長恨歌(ちょうごんか)」は謡曲や邦楽歌詞に頻出する、「七夕の夜の、かささぎの羽の橋」や「連理の枝(れんりのえだ)」が描写される楊貴妃を歌った漢詩です

中央の大学を出たエリートでさえ「長恨歌(ちょうごんか)」を知らず「白居易(はっきょい)が婦人の歌を歌ったって? そんな馬鹿な!」言ってました(笑)。好みの違いでしょうか。「牡丹芳(ぼたん よし)」を知っているかどうか、確かめる気にもなりませんでした。




////// 「枕獅子」歌詞・全現代語訳

◆説明
「あらすじ」にあるとおり、主人公の傾城は馴染み客を二階から見送ったあと、物狂いにおちいります。遊女の自己憐憫(じこれんびん)と、結婚できない相手への強い執着心のせいです。その過程が歌詞の中でていねいに描かれるため、痛々しく感じる作品です。

9代目 市川団十郎(1838~1903年)は「春興鏡獅子(しゅんきょう かがみじし)」の、獅子の精に憑依される踊小姓(おどりこしょう)・弥生を可哀そうがったようですが、わたしも「枕獅子」の主人公・傾城が、可哀そうに見えて仕方ありません。弥生は一晩寝れば元気になりそうです。でもこの傾城は、正気に返っても立ち直ることはないでしょう。

昭和51年、迫体育館、歌泰会「鏡獅子」

◆歌詞(太字が現代語訳)
<女郎の葛藤>

樵歌牧笛(しょうかぼくてき)の声 人間万事さまざまに
世を渡り行く其の中に ためし少なき川竹の 流れ立つ名の憂き事ばかり
寄せては返す浪枕 定めなき世の中 世の中に 誠(まこと)をあかす恋の闇
忍ぶ枕や ひぢ枕 思ひぞこもる新枕(にいまくら)
とんと二つに長枕(ながまくら)
されば迷(まよい)の そのかみや
天の浮橋(あまのうきはし)渡りそめ 女神男神の二柱(ふたはしら)
恋の根笹(ねざさ)の伊勢海士小舟(いせあまおぶね) 川崎音頭口々に

きこりの唄の旋律が風に乗って流れついたかと思えば、
羊を追う牧童の笛の音も、聞こえてきます。
何につけ、ひとの生き方はさまざまなものですね。

浮世を渡って生きるわたしのそれは、
水辺に生(お)いる川竹のようなもの。
浮名を流すのが生業(なりわい)という、
つらいことばかりの人生です

寄せては返す浪(なみ)のように、わたしの枕には夜毎(よごと)
ちがう男が頭を休めます。
運命は定まらず流転し続けて浮世に呑み込まれ、
それでも女のまことを尽くそうと、
恋の闇の中へ、より深く迷い込んでゆくわたしです。

忍んでやってくる男との、忍び寝の枕にさ迷い、
馴染み客と語り合う、ひぢ枕に癒され、
初めてのお客との、新枕(にいまくら)に想いのたけを込め、
ふたつ枕をとんと並べ、来ないお前のために、ひとり寝の長い夜を待ち明かす。

それは全部迷いの神が辿(たど)った道、
天の浮橋(あまのうきはし、国産み神話の最初の段)を最初に渡った、
伊邪那美命(いざなみ)さま、伊邪那岐命(いざなぎ)さま。
女神男神(めがみおがみ)、二柱(ふたはしら)の神が創った恋の道です。

小舟(こぶね)に乗った伊勢の海女が唄いはじめ、
根笹がじわっと土中に広がるように、
世の中に知れ渡った川崎音頭(伊勢音頭のこと)には、
こんな風に唄われています。


昭和51年、迫体育館、歌泰会「鏡獅子」

<馴染みの男への執着>

人の心の花の露 濡れにぞ濡れし鬢水(びんみず)の はたち鬘(かづら)の水臭き
道理流(ながれ)の身ぢゃものと
人に歌はれ結い立ての 櫛の歯(くしのは=口の歯、うわさ)にまでかけられし
平元結(ひらもとゆい)の結い髷(ゆひまげ=いひわけ)
(かゆ)いところへ簪(かんざし)の とどかぬ人に繋(つなが)れて
帽子抑(おさ)えの針の先 つくづくどうか笄(こうがい=どうかこうか)
ひぞりも鶴のはしたなく 梯子廓(はしごくるわ)の別れ坂

人の心の涙は、花の露のようなもの。
櫛に水をつけ、鬢(びん)のほつれ毛をしっかり梳(す)いて。
はたちになるかならぬかという若さでも、
恋の生業(なりわい)のせいで、水臭い髪じたくになりました。
そりゃ道理、しょせん浮世を流れる身じゃろうにと、
他人に面白く歌いはやされ、噂され(櫛の歯=口の歯)る遊女のわたしです。

平元結(ひらもとゆい、簡単なまとめ髪)に結った言い訳ではないですが、
かゆいところに手が届くような、よく気がつく優しい男に添いたかったけれど、
そうでもない男と縁を結んだせいで、簪(かんざし)で頭を掻くかわりに、
帽子押さえの針の先でつんつんと、
どうにかこうにか頭を掻いているような毎日です。
わん曲した笄(こうがい)は、鶴のくちばしに似てますね、
「鶴のくちばし」は「端無し」な、長くて宙ぶらりんな恋を連想させます。
二階の梯子は、馴染みの男を見送る別れ坂なのでございます。


扇獅子(おおぎじし)

<物狂いの始まり>

春は花見に 心移りて山里の 谷の川音雨とのみ 聞こえて松の風
(げ)に誤(あやま)って半日の客(かく)たりしも 今身の上に白雲の
その折(おり)過ぎて 花も散り 青葉茂るや夏木立 飛騨(ひんだ)の踊りは面白や

春には花見に参りましょう。
山里にすっかり心を奪われているところへ、ふいに谷の川音が響き、
雨が来るかと思っていると、松を吹き抜ける、ただの風の音でした。
実際に松風に騙され、半日山の神の客人となっただけで、
下山してみると白雲のような白髪の老人になった例もあるのです。
そんな春の盛りの時期が過ぎて花が散ってしまうと、夏木立に青葉が茂ります。
飛騨(ひんだ)の踊りは風流ですね。





早乙女がござれば 苗代(なわしろ)水や五月雨(さつきあめ)
(はつ)の人にも馴染むは お茶よ 誰が邪魔して薄茶となるならば
こちゃこちゃ こちゃ知らぬ ほんにさ
うらみかこつも実(じつ)からしんぞ 気に当たらうとは 夢々(ゆめゆめ)知らなんだ
見るたびたびや聞くたびに 憎(にく)てらしい程(ほど)可愛(かあ)ゆさの
起請誓紙は疑ばらし おお よい事の よい事の 朧月夜や時鳥(ほととぎす)

田植えの乙女がござれば、水を湛(たた)えた苗代(なわしろ)に、
春めいた五月雨(さつきあめ)が降り注(そそ)ぎます。
初回のお客には、茶事を催して馴染んでいただきましょう。
誰が邪魔して恋の濃茶が薄茶になってしまうかなんて、こちゃ、こちゃ知らぬこと。
ええほんとうに。

怨み言を言いつのるのは、心が本気の証拠です。
気に障ったのならごめんなさい、お気に障るとは夢にも思わないことでした。
逢えば逢うほど、お手紙を頂戴すれば頂戴するほど、
我ながらどうしてここまでと、憎らしくなるほど恋しさが募(つの)ったせいでした。
起請誓紙(きしょうせいし)は、お互いの猜疑心を晴らすため。
ええ、良いことでしょう? 怒らないでください、良いことなのです。
穏やかな朧月夜に、時鳥(ほととぎす)がうるさく啼き喚いていますね。

昭和51年、迫体育館、歌泰会「鏡獅子」


<幻聴幻覚>

時しも今は牡丹の花の 咲くや乱れて 散るは散るは
散り来るは 散り来るは
ちりちり ちり散りかかる様(よう)で おいとしうて寝られぬ
花見てもどろ 花見てもどろ
花には憂さをも打ち忘れ 咲き乱れたる 風に香(か)のある花の浪

折りしも今は牡丹の花が咲き乱れる時期、咲いたとたんに咲き乱れ、
今にも散り始めそうで、
今にも散り始めそうで、
ちりちり、ちり散り始めそうに見えて、あぁ、気になって夜も寝られません。
花を見に行って、また戻りましょうか。
花を見に行って、また戻ってくれば良いのです。
花を見れば、つらい浮世を忘れます。
咲き乱れる花の香(かおり)が、花の浪になって風と一緒に吹き寄せるからです。


着連れて連れて 顔は紅白薄紅(こうはく うすべに)さいて
口説けど口説けど 丁度二十日草(はつかそう、牡丹の異名) 君はつれなや
ヲヲ それ夫(それ)ぢゃ 誠(まこと)に花車(まなぐるま)
くるりやくるりや くるりくるり くるくるくる
牡丹に戯(たわむ)れ獅子の曲 実(げ)に石橋(しゃっきょう)の有様(ありさま)

ほら、花の化身の花笠衆がやって来ました。花の顔は紅白に、薄紅色に染まっています。
すがってもくどいても二十日でお別れ、あなたはつれない人ですね。
ああ、それそれじゃ、まこと因果の花車(はなぐるま)
くるりやくるりや、くるりくるり、くるくると廻って。
どうして? 牡丹に戯(たわむ)れる獅子の音曲が聞こえます。
あたかも、石橋(しゃっきょう)のありさまを、見せようとするかのように。

昭和51年、迫体育館、歌泰会「鏡獅子」

<正気を失う>

その面(おもて)僅かにして 苔(こけ)滑らかに谷深く
下は泥犂(ないり、地獄のこと)も白浪の
音は嵐に響き合ひ 笙歌(しょうが)の花降り
簫笛琴箜篌(しょうちゃくきんくご) 夕日の雲に聞こゆべき

石橋(しゃっきょう)というのは深い谷に架かる、巾狭く(約3cm)苔むした橋のこと。
下は奈落の白波の、さざ波の音が風の嵐と響き合い、
笙歌(しょうが)の声が、散る花のように谷川へ燦燦と降るのです。
竪琴(たてごと)、笛、琴、箜篌(くご、竪琴に似た弦楽器)の音色(ねいろ)が、
夕日の雲にも音曲を聞かせようと、天空を目指して飛翔してゆきますよ。


目前の奇特(きとく)あらたなり
暫く待たせ給へや 影向(ようごう)の時節も 今いく程によも過ぎじ
獅子団乱旋(しし とらでん)の舞楽の砌(みぎん) 牡丹の花房 香(にほひ)充ち満ち
大巾利巾(だいきんりきん、大筋力)の獅子頭(ししかしら)
打てや囃(はや)せや 牡丹芳牡丹芳(ぼたんよし、ぼたんよし)
黄金の蘂(こうきんのずゐ)現はれて
花に戯(たわむ)れ 枝に臥(ふ)しまろび
(げ)にも上なき獅子王の勢(いきおい) 靡(なび)かぬ草木も無き時なれや
万歳千秋と舞い納め 万歳千秋と舞い納め
獅子の座にこそ直りけれ

目の前に展開される奇跡は、仏の世界が確かに存在すると証明するものです。
しばらくお待ちなさい、神仏降臨による邂逅(かいこう)の時は、
いま少しで実現し、すぐに終わってしまうから。
そう言う声が聞こえるや、獅子団乱旋(しし とらでん)の舞楽が始まり、
牡丹の花房には花の匂いが充ち満ちて。
仏の力を備えた獅子が顕(あらわ)れると、頭(かぶり)を振るのでございます。

昭和51年、迫体育館、歌泰会「鏡獅子」

鼓を打て、歌い囃(はや)せ。
牡丹うるわし、牡丹うるわし。
そのうるわしい牡丹から黄金の雌しべ雄しべが出現するや、
獅子は花に戯(たわむ)れ、枝に体をこすりつけては、転げまわって。
まこと百獣の王と讃(たた)えられる獅子王の勢い、
心を奪われない草木も無いと思われたところで、
獅子は「万歳千秋(世は永遠に!)」とばかり、舞いを納めます。
「万歳千秋(世は永遠に!)」と舞い終わり、
文殊菩薩さまの足許(あしもと)戻った獅子なのでした。

//////



傾城(女郎)の嗚咽(おえつ)のような、悲しい唄です。「花に戯(たわむ)れ、枝に臥(ふ)しまろび」という歌詞部分が、もうまるで「身もだえしながら嘆き悲しんでいる」としか読めないほど。

今は忘れられた遊女の悲しみを浄化してあげるため、たくさん演じてあげた方が良いように思います。でも、音曲はしんみりとして、踊るには難しそうです。

音曲は残ったものの振付は明治期で失われてしまったところ、故・6代目 中村歌右衛門(1917~2001年)氏が7代目 藤間勘十郎(現・3代目 藤間勘祖)氏振付付けで復活上演しました。その後は何度か上演記録があります。ただし後段が立役獅子の扮装になってしまうなど、演目の趣旨にそぐわない演出が多いようです。「枕獅子」では、どっぷり悲しい女獅子が観たいのです。


※獅子だらけ、長唄「鏡獅子」(舞踊鑑賞室)
※人生いろいろ「鏡獅子」という踊り
※阿国歌舞伎の系譜。長唄「鏡獅子」全訳





どなたか、チャレンジしてくださらない?

踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







2019年4月21日日曜日

悲しみをこらえて。「静と知盛」静の段(舞踊鑑賞室)






今日思い立つ旅ごろも 今日思い立つ旅ごろも
帰洛(きらく)をいつと定めぬ。
静は賜わる烏帽子(えぼし)を着け 扇をとりて立ち上がり 時の調子をとりあへず


(台詞)渡口の遊船は 風静まって出(い)

波濤(はとう)の謫所(たくしょ)は日晴れて見ゆ



平成25年、仙台電力ホール、歌泰会「静と知盛」



(台詞)立舞うべくもあらぬ身の 袖うち振るも恥しや

春の曙 しろじろと 雪と御室(おむろ)や 地主(ぢしゅ) 初瀬(はつせ)
花の色香にひかされて 盛りを惜しむ諸人(もろひと)
散るをいとふや 嵐山

平成25年、仙台電力ホール、歌泰会「静と知盛」


花も青葉の 夏木立 茂り 鞍馬の山越えて
啼いて 北野の時鳥(ほととぎす)
(ただす)の森の 秋立ちて 涼しき風に乙女子(をとめご)
手振り優しき七夕の みやこ踊(おどり)のとりなりは
その名 高尾や通天(つうてん)の 紅葉恥かし紅模様(べにもよう)


平成25年、仙台電力ホール、歌泰会「静と知盛」



野辺の錦(にしき)も冬枯れて 竹も伏見の白雪に 
宇治の網代(あぢろ)の川寒(かはさむ)み あさる千鳥の音も鳴きつれて 
吹雪に交(まぢ)り立舞うも 朝(あした)まばゆき 朝日山影(あさひやまかげ)


平成25年、仙台電力ホール、歌泰会「静と知盛」


静は名残り惜しまれて 涙にむせぶ 御(おん)別れ
見る目も哀れなりけり

+++++++++++++++


※  怨念のかたまり。「静と知盛」知盛の段(舞踊鑑賞室)
※  来世で会いましょう。長唄「静と知盛」という踊り(全訳)



悲しみを押し殺して別れのための舞を見せる、静御前の段をご紹介しました。

写真は水木歌惣のもの、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







2019年4月18日木曜日

説教くさいぞ!浅草観音さま。常磐津「独楽(こま)」全訳






以前公開した、「独楽(こま)」という踊りの記事の続きです。







////// 湯島天神さま探訪記

東京へ行ったら一度行ってみたいと思っていた湯島天神さま。清元「傀儡師(かいらいし)」という踊りで、八百屋お七が「恋」と書いた「書初め」を奉納する神社です。頻繁に東京へ出ますが、今までご縁がありませんでした。

みなさんは、この神社へ行くとき、どうやって行くと思われますか? 住所を調べると「湯島三丁目」とあるので、今年の一月、わたしはJR「御茶ノ水」駅で下り、さだまさしの歌で知られる「聖橋」を渡ったところの「湯島」という神社で、息子の受験合格を祈願しました。

そうして意気揚々と「お参りおわったよ!」と東京住まいの従姉妹に写メを送ったところ、「そこは湯島天神ではない」と言われてしまい。。。


湯島天神さまへお参りするには、JRであれば「御徒町」駅、本来なら東京メトロ千代田線「湯島」駅で下りるのが正しいらしいです。地方人であるわたしには、湯島へ行くのに上野近辺で下りるイメージはありませんでした(フォークソング「檸檬」のせい?)

わたしが息子の合格祈願をしたのは菅原道真公をお祀りする「湯島天満宮(湯島天神さん)」ではなく、五代将軍 徳川綱吉公が作った孔子廟「湯島聖堂」でした。武家の子弟に儒学を広めるため建てたという学問所の跡で、孔子を祀る神社です。考えてみれば、そもそもわたしは「湯島天神=湯島聖堂」と思っていたのです。

そうは言っても、こちらもご霊験あらたからしく、おかげさまで息子は無事合格しました。やれやれ。

探訪記と書きましたが、実際には「探訪できなかった記」ですね。


2019年1月の湯島聖堂




////// 常磐津「独楽(こま)」概要


■初演■
昭和3年(1928)、東京歌舞伎座
2代目 市川猿之助(猿翁=えんおう、1888~1963年)

■作曲■
3代目 常磐津文字衛(ときわず もじべえ、1888~1960年)

■作詞■
木村富子(1890~1944年)

■振付■
2代目 花柳寿輔(はなやぎ じゅすけ、1893~1970年)



常磐津「独楽」には、浄瑠璃「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の「車曳(くるまひき)」と、「賀の祝(がのいわい)」の場面が取り込まれています。

曲独楽売の商い




////// 常磐津「独楽(こま)」に取り込まれた「菅原伝授手習鑑」

浄瑠璃「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」は延享3年(1746年)、大坂・竹本座初演の戯曲です。初代 竹田出雲(生年不詳~1747年)ほか複数人による合作で、平安時代に実際に起きた大臣・菅原道真(825~903年)の失脚から、死んで天神となり政権に祟るまでをドラマチックに描くものです。

菅原道真が愛した梅の樹が、大宰府へ配流(はいる)された主人のもとへ飛んで行ったという伝説(「源平盛衰記」など)をもとに、主君・菅丞相(かんしょうじょう=菅原道真)から松、梅、桜、の樹を下げ渡された家臣・白太夫と、その三人の息子たち・松王丸、梅王丸、桜丸の悲劇を語ります。


****************
- 菅原道真(825~903年)が詠んだ和歌「大鏡(平安時代後期)」-

東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春な忘れそ
(現代語訳)
春風が吹いたなら、また花の香を届けておくれ。主(あるじ)を失ったからと言って、春を忘れるほど嘆いてはいけないよ。


湯島天神の梅


「車曳(くるまひき)」は菅丞相(かんしょうじょう)側の馬引きである桜丸と梅王丸が、主君を失脚させた時平(しへい)が載る牛車を襲い、時平(しへい)側の馬引きである松王丸と、牛車を曳き合って争う場面です。

「賀の祝(がのいわい)」は白太夫七十歳の祝いのため、「車曳(くるまひき)」のあとで三人息子が集まる目出度い日の場面です。息子たちは父の手前、争(あらそ)ったことを隠しています。しかし菅丞相(かんしょうじょう)失脚の原因を作った桜丸は、その日責任をとり、父・白太夫と梅王丸の前で自害することになるのです。

常磐津「独楽」が「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」を取り込んだ第一の理由は、独楽の古名が「小松ぶり」だったからでしょう。第二に、車曳(くるまひき)の「さっさ引け引け」という歌詞が、曲ゴマを操る動作と重なるからでしょう。しかし「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」は悲劇なため、近代的でスピード感のある常磐津舞踊「独楽」のなかでは、少しばかり違和感のある、不幸なイメージの挿入になっています。

車曳(くるまひき)




////// 常磐津「独楽(こま)」に漂う、浅草観音さまのいたずらの匂い


****************
- 「独楽売 萬作(こまうりの まんさく)」あらすじ-

正月元旦の朝、独楽売 萬作(こまうりの まんさく)が浅草寺の雷門の前で売立口上し、見物客を前に曲ゴマの技(わざ)を披露します。やがて興が乗った萬作はみずからがコマに変身し、抜き身の刀の上を廻る「刃渡り」という曲ゴマを観せながら、人々の前から消えてゆくのです。


以前の記事で、ナンセンスすぎるこの物語の終幕を「浅草観音さまの、いつもの悪ふざけだろうか」と、書きました。浅草寺の観音さまは、悪戯(いたずら)好きで知られます。有名なところでは姥ヶ池(「浅茅が宿」とも)の伝説があります。
****************
- 姥ヶ池(浅茅が宿)伝説-

浅草雷門の下で娘に客引きさせ、客になった男だけ石の枕に寝かせる老婆がいた。男が寝入るともうひとつの石で上から打って頭を潰し、荷物を奪うのだ。あるとき美しい稚児が客になり、娘をつくづくと篭絡(ろうらく)した。娘はうっとりしたあまり自分の部屋へ戻らずにそのまま客の枕で寝ていて、老婆に頭を潰されて死んだ。老婆は嘆き悲しみ、客の遺体を投げ込んでいた池へ自分も身を投げて死んだという。娘を誘惑した稚児は、浅草観音さまの化身だと言われている(「江戸から東京へ」大正2年刊行)

姥ヶ池は、いまも花川戸公園(東京都台東区)に一部が残っています。

浅草寺の雷門

ところで、あまり知られていませんが、浅草観音さまは開闢以来一度もご開帳なさってません。推古天皇36年3月16日(628)、当時はまだ海だった浅草で漁師の網に一寸八分の仏像(聖観音像=しょうかんのんぞう)が掛かかります。これを持ち帰った漁師が仏師になって祀ったのが、浅草の観音さま信仰の始まりです。その後、浅草寺は何度も戦災で消失しますが、そのたび観音さまは「自分から避難し、寺が再建されるとまた自分から戻って来た」と言われています。本当に戻ってらっしゃったのか、誰も確認していません。

そもそも一寸八分のご本尊さまです。5cmくらいですから。漁師の網って、推古天皇の時代でもだいぶ細かかったんですね。

いらっしゃるのか、いらっしゃらないのか。天子さまや徳川家康公を含めて誰も見たことがなく、それでも霊験あらたかなのが浅草観音さまです。江戸人の洒落の集大成とでも、言いましょうか。生まれも育ちも浅草だというご老人は、「誰も見たことないから、ありがたいんじゃないか」と、笑います。洒落というのは、関西の専売特許ではないようです。

ところで江戸時代の人々は「シラミ」を「観音さん」と、呼んでいました。その形が千手観音(せんじゅかんのん)に似ているから、など説明されますが、単純に小さいからのような気もします。ムズムズすると「観音さんが、またいたずらを」などと言ったようです。



////// 常磐津「独楽(こま)」歌詞・註解と、伝説あれこれ

◆新玉(あらたま)
お正月のことです。


◆門礼(かどれい)
お正月に門のところで年始の挨拶をして廻る人々を指します。「廻らば廻れ門礼も」というのは、「花笠」という流行歌(「松の落葉集」など)や河東節・外記節「傀儡師」に出てくる、「廻れ廻れ風車」をもじったように思います。


◆気散(きさん)じな
のんきな、というぐらいの意味です。

平成29年、日本舞踊協会、仙台電力ホール「独楽」

◆味(あぢ)に拗(す)ねたる松の振り
「逢はじに拗ねたる、松の枝振り」という意味の掛詞のようです。「松=待つ」です。梅には声をかけたのに、声を掛けられなかった松が主人に逢うことができず拗ねていたとも読める(掛詞(1))し、一方で「淡路の松」(掛詞(2))とも読むことができる、複雑な洒落です。

===============
掛詞ー(1)ー
とても有名な「大宰府の飛び梅」ですが、もうひとつ「板宿(いたやど)の飛び松」という伝説もあります。

実は主人の大宰府配流に際して、菅原道真の家から飛び立ったのは梅の樹だけではありません。大宰府へ向かう途中「板宿(いたやど)(兵庫県神戸市須磨区板宿町)というところに立ち寄った菅原道真は、このように詠んだと言われます。

****************
- 菅原道真(825~903年)が詠んだ和歌「天神本地(てんじんのほんち、天神縁起など)」-

梅は飛び 桜は枯るる世の中に 何とて 松のつれなかるらむ
(現代語訳)
梅は飛び、桜は悲しみで枯れてしまったというのに、何故、松は冷たいのだろう。

するととたんに菅原道真の邸宅(京都)にあった松の樹が飛来し、その地に根付きました。大正時代に落雷で枯れましたが、板宿(いたやど)には今も巨大な松の根が保存されています。「大宰府の飛び梅」「板宿(いたやど)の飛び松」と、並び称される伝説です。

===============
掛詞ー(2)ー
「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」「寺子屋」では、時平(しへい)の馬引きとして兄弟と反目しあった松王丸が、父の主君・菅丞相(かんしょうじょう)の子の身代わりに自身の息子を差し出します。このエピソードのもととなったのは、伊勢平氏の本拠地・淡路島の記録です。伊勢平氏頭領・平清盛(1118~1181年)が大和田泊(おおわだのとまり)を整備した際、30人の人柱(ひとばしら)が必要になったのですが、それを押し止(とど)め、自分からすすんで身代わりの人柱(ひとばしら)となった小姓があり、その名前が「松王丸」です。

寺子屋

「淡路の松」は、見ず知らずの他人のため、自分の命を差し出した「松王丸」のやさしさを想起させる言葉なのです。


◆二階の盃
女郎買いをする客は、揚げ屋の二階で夫婦の契りを模した盃ごと・三々九度をしなければいけませんでした。神主は立ち会わず、「花車」と呼ばれた揚げ屋の女房が執りしきる形式だけの結婚式です。江戸の昔、二世を誓わない同士が男女の営みをすると、生きたまま地獄へ堕ちると言われていたせいです。

ですがこの盃ごとが仮のもので、閻魔さまの鏡の前ではなんら効果がないことを、女郎たちは知ってました。そのため、揚げ屋の二階で交わす三々九度は、女郎にとっては悲しいことであり、「因果の小車」を象徴する苦行のひとつでもありました。


◆独楽の起源
歌詞の中では菅丞相(かんしょうじょう)を独楽の起源のように扱いますが、架空のエピソードです。


平成29年、日本舞踊協会、仙台電力ホール「独楽」


////// 常磐津「独楽(こま)」歌詞・全現代語訳

◆原文

(にぎわ)ひは花の東(あづま)の浅草寺
金龍山(浅草寺の山号)の名にしるき
今日新玉(あらたま)の縁起よく 商い始め 来そはじめ
ご利生(りしょう)も 身に澤潟屋(おもだかや)
八百八町ご贔屓(ひいき)を めぐりくるくる 独楽売(こまうり)

さぁさぁこれは お子ども衆のお慰(なぐさ)み 評判の独楽ぢゃ 独楽ぢゃ

商う品は大独楽小独楽 廻らば廻れ門礼(かどれい)
屠蘇(とそ)の機嫌の調子よく 沖ぢゃえ 沖ぢや 朝夕まわる汐(しお)
さしたり引いたり帆がまわる 舟にゆられて眼がまわる
えぇしょんがえ 身は気散じな世わたりや
大路(おおぢ)をわたる初東風(はつこち)
浮かれうかれて来たりける

エヘン 古めかしくも言い立ては そもそも独楽のはじまりは

(ふ)りし延喜(えんぎ)の御代(みよ)かとよ
時平(しへい)の大臣(おとど)の よこしまより 筑紫へ遠くさすらいの
菅丞相(かんしょうじょう)が 愛樹(あいじゅ)の梅

平成29年、日本舞踊協会、仙台電力ホール「独楽」

東風(こち)吹かば 匂ひおこせ とよみたまふ
君が情けの通ひては 花もの言はねど都(みやこ)より ひと夜のうちに飛び梅の
その枯木(かれき)にて 手ずさみの 姿も優な小松ぶり(独楽の古名)
(かぶ)りの紐をきりりとしやんと巻いて 投げては えいと引く
さっさ引け引け 五色の独楽や御所車(ごしょぐるま)
ありやありや こりやこりや やっとな
酒がすぎたか目元が桜 梅は笑へど常(つね)の癖 味に拗ねたる松の振り

三つ子の親は七十の 賀の祝ひとてなますやら
米炊(か)し味噌摺(す)り あたふたと
きざむ嫁菜(よめな)の姉妹(あねいもと) 色香を添へてなまめかし
約束かたき心棒(しんぼう)に やがてもうけし 子持独楽(こもちごま)
孫彦玄孫(まごひこやしゃご)と末広(すえひろ)
黄金銭独楽(こがねぜにごま) うなり独楽(ごま)
ごんごん独楽の鳴りもよく 天下とるとる 投げ取りの
曲はさまざま それ 綱渡り(つなわたり)


燕廻(つばめまわ)しや 風車 めぐる月日が縁となり 一寸(ちょっと)格子へ
煙管(きせる)の火皿(ひざら)が熱くなるほど 登りつめ
二階で廻る さんさん盃(さかづき)
とんだりはねたり 雷門(かみなりもん)の助六さんでは無けれども
衣紋流し(えもんながし、曲ゴマの芸)の居続けは しんぞ命の雪見酒
おっとそこらで とまらんせ
止めても止まらずくるくると 寿命は尽きぬ 独楽しらべ
めでたかりける 次第なり



◆現代語訳

花の吾妻の浅草寺、山号・金龍山の名で有名なその山へ、
縁起をかつぎ正月元日の朝から商い始めに来ております。
これなるは、重くご利益をたまわっている、澤潟屋(おもだかや)でございます。
広く江戸八百八町にご贔屓(ひいき)をたまわろうと、
独楽売(こまうり)だけに、くるくる巡(まわ)っているのでございます。

(台詞)
さぁさぁ、これが子ども衆の遊び道具、評判の独楽というものじゃ。

商う品は大きなものから小さなものまで。
廻るならば、お廻りなさい。
ご近所挨拶に廻るのも、振舞いの屠蘇に浮かれて調子良く。
吉原行きの舟に乗れば、沖じゃ、沖じゃとはしゃいで廻る。
朝な夕な、潮が差してはまた引いて。
風に吹かれて帆が廻れば、今度はこちらの眼が廻る。
えぇ、しょうがない、この身は暢気(のんき)な世渡りだ。
大通りを吹き抜ける春風に乗り、浮かれ浮かれてやって来たのでございます。

平成29年、日本舞踊協会、仙台電力ホール「独楽」

(台詞)
えぇへん。古めかしい言い立てをさせていただくならば、そもそも独楽の始まりとは。

ずっと昔の延喜(えんぎ)の御代(みよ)のこと(901~921年)
大臣・時平(しへい)の邪(よこしま)な換言で筑紫へ流されてしまった、
菅丞相(かんしょうじょう)さんが愛した梅の樹です。

春風が吹いたら香りを届けて欲しいと、お詠みになったところ、
主君のお気持ちが通じたのか、ものを言わない花ではあるが、
京の都(みやこ)から一夜のうちに大宰府まで飛来したのでございます。
その樹が枯れたとき、菅丞相(かんしょうじょう)さんが手遊びに、
姿の美しい「小松ぶり」を作ったのが始まりです。
コマの使い方はと言えば、
冠の紐をきりりとしゃんと巻きつけ、投げてはえいっと引くのでございます。
さっさ引け引け、五色の独楽と御所車、
ありゃありゃ、こりゃこりゃ、やっとな。
酒が過ぎたか目元が桜色に染まり、梅は咲き染(そ)め微笑みますが、
逢いたい人に逢えず、拗ねているのは松の枝振り(独楽の古名は「小松ぶり」)です。


梅王丸、桜丸、松王丸の親・白太夫の七十の賀の祝(古希)のため、
その嫁たちは魚を捌(さば)いたり、米を炊いたり、味噌をすったり、あたふたと。
嫁菜(葉物野菜)をきざむその姉妹(あねいもと)たちが、
祝いの席に色香を添えてなまめかしく。
そういう女とかたく契りを交わして辛抱すれば、子持ちになれるし、
孫も玄孫(やしゃご)も授かりましょう。子孫は末広がりに広がるのです。
そうすれば黄金(こがね)も手に入るし、銭がうなることでしょう。
ごんごんと成りあがり、天下を取る取る、投げ縄を投げて独楽を取るようなもの。
独楽の曲芸はさまざまです。たとえば、それ、綱渡りをごろうじろ。


燕廻(つばめまわし)はいかが。次には風車の技(わざ)を、お観せいたしましょう。
月日が巡るうちにはご縁があり、ちょっと遊郭の格子を覗くこともあるでしょう。
二階の盃ごとでは緊張のあまり、
煙管(きせる)の火皿(ひざら)が熱くなるのも気がつかず、
うろたえたまま三々九度を交わすのです。

平成29年、日本舞踊協会、仙台電力ホール「独楽」

運命の独楽は飛んだり跳ねたり。
雷門(かみなりもん)の助六さんではないですが、
衣文坂(新吉原の土手)に居続けるのは、命をかけて雪見酒をするようなもの。
おっと、そこらで止めておきなさい。
そう言って止めても、止まることなく独楽はまだ、くるくると。
廻る独楽の寿命は尽きず、因果の唄を奏(かな)で続けます。
こうして目出度い正月の日は、今年も過ぎていったのでございまする。

//////


近年の新作のため、音曲だけ聞くと口説(くどき)くささが少なく爽快な踊りです。ところが歌詞を丁寧に解きほぐせば、やっぱり口説(くどき)が出てきます。というか、意外なことに、ちょっと説教くさかったですね(笑)





百廻り(独楽の技)に思いを込め、因果なんか吹っ飛ばせ! ぐらいの勢いで踊るのが、よろしいかと思います。

踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







TOPへ戻る