2019年7月12日金曜日

藤間勘そめ先生の米寿のお祝い





先日6月26日、日本舞踊協会宮城県支部・前支部長であった、藤間勘そめ先生の米寿の祝いが仙台国際ホテルで催されました。

司会はもとNHKアナウンサーの葛西聖司(かさいせいし)氏、歌舞伎役者さんとの競演が多い勘そめ先生らしく、テレビでもご活躍の片岡愛之助氏が奥様といっしょに駆けつけてくださり、狐忠信の舞踊を披露してくださいました。

お上手だし、奥様はお綺麗でしたよ(当然ですね)


2019年6月26日、藤間勘そめ先生米寿の祝


写真は、いつもの宮城県支部役員の記念写真です。まるで女子会のようにはしゃいで喜ぶ、わたしたちです。※真ん中の黒い着物の方が、藤間勘そめ先生です。






勘そめ先生、どうぞこれからもずっとお元気で、末ながく長生きしてくださいませ!


本文・写真ともに水木歌惣。Copyright ©2019 MIZUKI Kasou All Rights Reserved.








2019年7月6日土曜日

新舞踊劇の最高傑作!長唄「黒塚」という踊り





自分が踊った演目はまだまだあるのですが、いったんデジタル化した写真はぜんぶ使いきってしまいました。今後は上演経験はあるけれど写真のない演目や、将来演じてみたい演目などもこのブログで取り上げてゆく予定です。

写真をデジタル化できない場合やそもそも上演してない場合は写真なしのまま、自分たちで準備したイラストだけの記事になります。申し訳ありませんが、宜しくお願いいたします。

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ということで、唐突ですが「これぞ世紀の傑作!」というものを紹介したい衝動にかられ、明治以降に始まった新舞踊劇の最高峰! 澤瀉屋(おもだかや)の「黒塚」を紹介させていただきます。もの凄くアクロバティックな振付があり、もちろん自分は踊ったことはありません。若かったらチャレンジするだろうかと考えてみても、やはり無理と思ってしまうほど。

残念ながら女性には、ハードルが高いように感じる踊りです。






////// 長唄「黒塚」概要

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謡曲「黒塚」(観世流「安達が原」)
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■あらすじ
全国巡礼の旅に出た那智(現在の和歌山県)の山伏・東光坊祐慶(とうこうぼうゆうけい)とその一行が、陸奥国(むつのくに)安達ヶ原(現在の福島県二本松市)で、老婆に一夜の宿を借り、枠桛輪(わくかせわ)という道具で糸繰りをする老婆の身の上話など聞くが、この老婆は実は旅人を殺して食う鬼であった。そう気づいて逃げ出す一行を、老婆は鬼の形相に変わって追いかける。一行は鬼を祈り伏せ、老婆の鬼は闇の中へ消えてゆくのだった。

■作者
能の作者を記録した所謂(いわゆる)「作者付」ごとに記述がくいちがいます。
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(1)近江能楽・日吉座の犬王(いぬおう、犬阿弥、道阿弥とも名乗る。生年不詳~1413年)
※1524年刊行「能本作者注文」より

(2)世阿弥(ぜあみ、1363頃~1443年)
※1516年頃刊行「自家伝抄」より

(3)金春禅竹(こんぱるぜんちく、1405~1471)
※1765年刊行「二百十番謡目録」より
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「近江能」と呼ばれる近江国、日吉(ひえ)神社・多賀神社で活動した能楽師たちの演目が最初のようですが、詳しいことはわかっていません。寛正6年(1465年)観世流による上演記録が残っています(室町時代の官吏の日記「親元日記」)

謡曲「黒塚(安達が原)」

これらの謡曲は、下記の和歌がきっかけで生まれたものだと言われています。
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-平兼盛(生年不詳~990年、歌人)「捨遺和歌集」(1006年頃刊行)
みちのくの 安達が原の黒塚に 鬼こもれると いうはまことか

[現代語訳]
奥州・みちのくの安達が原というところの黒い塚に、鬼が隠れているという話があるが本当だろうか
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この和歌の題材になった奥州の安達が原、現在では福島県二本松市の阿武隈川(あぶくまがわ)の畔(ほとり)には、鬼婆が棲(す)んで人を食べていたという伝説の岩場があり、能物語の主人公になった、東光坊祐慶(とうこうぼうゆうけい、実在とされるが生没年不詳)が開いた真弓山観世寺(まゆみざん かんぜじ、726年建立、天台宗)が存在します。

本当のところ「黒塚」は、伝説が先か和歌が先か、わからない物語です。

月岡芳年「奥州安達がはらひとつ家の図」


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人形浄瑠璃「奥州安達が原」
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■あらすじ
~四段目「一つ家」~
安倍貞任(あべの さだとう)、安倍宗任(あべの むねとう)兄弟の母・岩手(いわて)は兄弟の軍資金集めのため、奥州・安達が原で追いはぎ強盗をしているが、病気平癒(びょうきへいゆ)のため孕み児(はらみご)の生き血が必要となり、道に迷って宿を乞うてきた、妊娠中の女性の腹を割(さ)く。

■初演
宝暦12年(1762年)、大阪・竹本座。

■作者
竹田和泉、近松半次、北窓後一、竹本三郎兵衛による合作



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吾妻能狂言(能と三味線)、長唄「安達が原」
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■あらすじ
謡曲「黒塚(安達が原)」を踏襲

■初演
明治3年(1870)、宝生流・日吉吉左衛門(ひよしきちざえもん、詳細不明)が、自身が製作した同じ吾妻能狂言・長唄「船弁慶」と一緒に上演

■作詞
謡曲「黒塚(安達が原)」の歌詞をそのまま利用

■作曲
2代目 杵屋勝三郎(1820~1896年)

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歌舞伎舞踊、長唄「黒塚」
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■あらすじ
謡曲「黒塚(安達が原)」を踏襲

■初演
昭和7年(1932)、6代目 尾上梅幸(1870~1934年)が東京・歌舞伎座で初演

■作者(作詞)
木村富子(1890~1944年)

■作曲
3代目 杵屋栄蔵(1890~1967年)

■振付
2代目 花柳寿輔(寿応、1893~1970年)

6代目 尾上梅幸の直接の依頼によって製作したと、木村富子が書き残しています(1943年発行「浅間富士」)。能仕立ての舞台だったと言うことです。

イラスト・上月まこと「喜ぶ岩手」

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歌舞伎舞踊、長唄「黒塚」※澤瀉屋(おもだかや)バージョン
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■あらすじ
山で暮らす老婆・岩手は巡礼旅の山伏一行に宿を提供する。糸を繰りながら僧侶を相手に身の上話などするうち、いかなる罪も悟りを開けば成仏できると説(と)かれて非常に喜ぶが、実は岩手は人を殺す山姥であった。夜寒(よざむ)をしのぐため薪(たきぎ)を取りに外へ出ると、岩手は心が晴れた想いがして月影を浴びながらわらべ唄を歌って遊ぶが、そこ逃げる途中の客の従者に遭遇する。客たちは外出した岩手の寝室を覗き、宿主(やどぬし)の正体が鬼であり山姥だと気がついてしまったのだ。岩手は落胆して鬼の形相をあらわし山伏たちを追い回すが、一行によって祈り伏せられ、闇の中へ消えてゆく。
イラスト・上月まこと「怒りの岩手」

■初演
昭和14年(1939)、2代目 市川猿之助(猿翁、1888~1963年)が東京劇場で初演。2代目 市川猿之助は作者・木村富子の従兄弟。
※木村富子についてはこちらの記事を参照してください。

■作者(作詞)
木村富子(1890~1944年)

■作曲
4代目 杵屋佐吉(1884~1945年)

■振付
2代目 花柳寿輔(寿応、1893~1970年)

仏説に感動して喜んだあと、死体を見つけて逃げ出した僧侶たちに落胆し怒りのあまり鬼になる、という起伏のある展開は澤瀉屋(おもだかや)自身の発案です。

イラスト・上月まこと「怒りの岩手」



////// 謡曲「黒塚」から派生した物語たち

人形浄瑠璃「奥州安達が原」は「安達が原伝説」のなかで特に有名な派生作品ですが、わたしの場合、最初に読んだのが滝沢馬琴作「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」だったため、だいぶ長いあいだ長唄「黒塚」のもと作品が「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」の「阿公(くまぎみ)」だと、思い込んでいました。お恥ずかしいことです。

子どもだったため、謡曲や人形浄瑠璃を知らず、もとになった「安達が原伝説」も知らなかったのです。

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-滝沢馬琴(1767~1848、読本作者)「椿説弓張月」残編巻4(1807~1811年刊行)

[あらすじ]
源為朝(みなもとのためとも、1139~1170年)は保元の乱で負けて流罪となり、再起をかけて船出したところ琉球王国へ流され、琉球王の跡目争いにまきこまれる。王子の乳母である老婆・阿公(くまぎみ)は軍資金稼ぎのためひそかに宿を営み、やってくる旅人を殺しては金品を奪っていた。

琉球で為朝(ためとも)の家来になった鶴と亀の兄弟は、かつて母を殺し弟である胎子を奪った阿公(くまぎみ)を成敗しようと、秘密の宿に乗り込み致命傷を負わせるが、阿公(くまぎみ)は実は自分が二人の祖母で、二人の母親は知らずに殺した自分の娘だったと告白する。

そのうえ阿公(くまぎみ)の娘の父は為朝の家来、紀平治(きへいじ)だった。鶴と亀を追って乗り込んだ為朝(ためとも)は、部下の紀平治(きへいじ)に阿公(くまぎみ)の介錯を命じる。紀平治(きへいじ)はかつての恋人に侘び、阿公(くまぎみ)は罪を悔いながら死んでゆく。
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「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」も、三島由紀夫脚本で歌舞伎演目になっています。こちらの「安達が原」起源の派生物語も、かなり面白くてオススメですよ。

葛飾北斎による挿絵「阿公(くまぎみ)の最期」




////// 長唄「黒塚」歌詞(抜粋)

客である山伏たちが老女・岩手の寝室を覗いたあと、逃げ出すところを抜粋します。参考にとり上げた吾妻能狂言の歌詞は、謡曲「黒塚(安達が原)」をそのまま利用しています。

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吾妻能狂言・長唄「安達が原」
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[ワキ・山伏たち]
恐ろしや かかるうめきを陸奥(みちのく)
安達ヶ原の黒塚に 鬼籠(こ)もれりと詠(えい)じけん
心もまどひ肝(きも)を消し
(ゆ)くべき方(かた)は知らねども 足にまかせて逃げて行(ゆ)

[シテ・山姥]
如何(いか)に客僧とまれとこそ
去るにても隠し置きたる閨(ねや)の内(うち)
あさまになされ申しつる 恨みの為に来たりたり

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歌舞伎舞踊、長唄「黒塚」※澤瀉屋(おもだかや)バージョン
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折からここへ息せきと 命からがら強力(ごうりき=荷物運び人足)
出逢いがしらの 月あかり

太郎「ヤ、こなたは。ア、なまいだ、なまいだ」
岩手「わごりょは宵の強力(ごうりき)どの。顔色変え何処へ行(ゆ)くのぢゃ」
太郎「足に任せて走ったものの、滅多無性に草原で、こりゃ方角を違ったわい」
岩手「この夜更けに、あわただしい。さては一間(ひとま)をご覧(ろう)じたな」
太郎「ええッ」
岩手「いましめの閨(ねや)の内(うち)、残らず見たであろうが」
太郎「のう恐ろしや。命ばかりはおたすけ、おたすけ」
岩手は負っていた柴を投げ捨て「アラ憎(にく)や、腹立ちや。さしも頼みし聖(ひぢり=僧侶)にさえ、偽(いつわ)りのあるからは、発願(はつがん=仏に願い祈ること)もこれまでなり」

イラスト・上月まこと「山姥になった岩手」

[山姥・岩手]
怒りの面色(めんしょく)(たちま)ちに
さも恐ろしき悪鬼(あっき)の相好(そうごう)
身をひるがえし草原に 紛(まぎ)れてこそは

[強力・太郎]
逃げんとすれど 足腰もからからいうに
傀儡(くぐつ)の ちんば踏み踏みまろび行く
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いったん消えた老女・岩手は鬼と化して、ふたたび強力・太郎の前に現われます。このあたりから、それまで老女らしく動作のもっさりしていた岩手がアクロバティックな動きを連発し、強力(人足)に追いついた山伏たちと丁々発止やりあいます。

イラスト・上月まこと「山姥になった岩手」

この演目はキリスト教で言うところの、「永遠の死」を想起させます。「永遠の死」自体は救いを望めない「地獄」を指す言葉ですが、岩手の場合、救いの希望なく現世を行き続ける「地獄」に、もう堕ちているように見えます。最初から、「救い」を期待したのが間違いだったのです。そう気がついていない岩手は、ちょっとだけかわいそうです(自業自得ですけれど)

3代目 市川猿之助「猿翁十種」に入れられた、澤瀉屋(おもだかや)の代表的な演目を紹介させていただきました。

同じく謡曲から吾妻能狂言へ、そして純粋な長唄へと変化した「船弁慶(長唄「静と知盛」)」のように、「黒塚」から芝居部分を抜いてもうちょっとシンプルな、踊りやすい舞踊演目にしてくれないかしら、そうしたらもっと嬉しいのに、と、思ってしまうところです。




踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







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