2018年11月30日金曜日

修羅の舞踊「官女(かんじょ)」全訳





平成27年(2015)、国立劇場で踊った、「官女(かんじょ)」という踊りの続きの、そのまた続きです(失礼!)

ところで「官女」はわたしの好きな演目で、今までに2度チャレンジしてます。このページでは平成16年(2015)仙台電力ホール「歌泰(かやす)会」で踊った際の、「官女」の写真を紹介させていただきますね。

なお、今回この記事を書くに当たって簡単に資料集めをしたものの、歌詞の全体説明はほとんど見つけることが出来ませんでした。「平家物語」「源平盛衰記」のパッチワークのような内容のため、説明しづらいのが原因のように感じます。

※「官女(かんじょ)」という踊り(1)の記事は、こちらからどうぞ
※「官女(かんじょ)」という踊り(2)の記事は、こちらからどうぞ


ですのでこちらに歌詞が暗喩する源平合戦関連の伝承を、全段解きほぐします。「平家物語」と「源平盛衰記」を長唄歌詞に投入するため、かなりの意訳になりますが、唄の魂というか、裏の意味を理解する参考になればさいわいです。



春の十二単(ひとえ)

////// 全訳

-原文-
  見渡せば柳桜に錦する
  都はいつか故郷に
  馴れし手業(てわざ)の可愛らし
  こちの在所はナ ここなここな
  この浜越えて あの浜越えて ずっとの下の下関 
  内裡風俗あだなまめきて
  小鯛(こ だい)買はんか鱧(はも)買やれ
  鰈(かれい)買はんかや 鯛(たい)や鱧(はも)
  これ買うてたもいのう 
  アアしよんがいな
  いかに身過ぎぢゃ世過ぎぢゃとても
  おまな売る身は蓮葉なものぢゃえ



  徒歩(かち)はだし そなた思へば室と八島で塩やく煙 立ちし浮名も厭ひはせいで
  朝な夕なに胸くゆらする 楫を絶えてやふっつりと たよりなぎさに捨小舟

全盛期の伊勢平家と平清盛

  心づくしの明暮(あけくれ)に 乱れしままの黒髪も 取上げてゆふかね言の
  生田の森の幾度(いくたび)か 思ひ過して 恥かしく 顔も赤間が関せかれては
  枕に寒き几帳の風も 今は苫(とも)洩る月影に 泣いてあかしの海女の袖

  いつ檜扇(ひおうぎ)を松の葉の 磯馴小唄(そなれ こうた)のひとふしに
  友のぞめきにそそのかされて 船の帆綱をかけぬが無理か 須磨よ須磨よ 
  いとど恋には身をやつす 夜半の水鶏を砧(きぬた)と聞いて
  たてし金戸を開けぬが無理か 須磨よ須磨よ

八島の九郎判官義経

  怨みがちなる床の内 憂やつらや 
  波のあはれや壇の浦 打合ひ刺違ふ船戦の駈引き 浮き沈むとせし程に 
  春の夜の波より明けて 敵と見えしは群れ居る鴎(かもめ)
  鬨(とき)の声と聞えしは 
  浦風なりけり高松の 浦風なりけり高松の 朝嵐とぞなりにける

滝口寺「平家供養塔」

-現代語訳-
  見渡してみれば柳の木や桜の木が十二単をまとったように美しい、ある春のこと。
  気づけば都(みやこ)はいつか、懐かしい「ふるさと」になりました。
  手作業というものを覚えましたが、自分ながらにあわれです。
  わたしの住まいですか? この浜を越え、あの浜を越えて、
  さらに下(くだ)った下関です。

2004年、歌泰会「官女」

  内裏(だいり)風の色っぽい腰巻が掛かっているので、
  探せば、すぐにおわかりになりますよ。
  小さな鯛(たい)は姫鯛(ひめだい)と言って、
  平家の官女が海に身を投げ変身したという魚です。
  小さな鯛(たい=官女)を、買ってくださいませんか?
  鱧(はも)は都(みやこ)の貴族が食べる旬の魚です。
  鱧(はも=都の貴族)を、買ってくださいませんか?
  鰈(かれい)は、平家の落ち武者が食べたキビ餅などと同じ名前です。
  鰈(かれい=平家の落ち武者)を、買ってくださいませんか?
  情けないこと
  たとえ生きぬくためと言え、
  みずからの境遇を売って歩くなんて、なんとふしだらなわたしでしょう。

2004年、歌泰会「官女」

  都(みやこ)へ想いを馳せながら、
  下女のように徒歩はだしで歩きまわり、室戸屋島で塩を焼いています。
  塩焼きの煙が浜に立つように、
  浮き名が立って揶揄されるのもいとわず、
  朝も夜も、想いで胸をくゆらせているのです。
  九郎判官義経(くろう はんがん よしつね)
  船の楫取り(かじとり)を狙って斬らせたあと(壇ノ浦の合戦)
  わたしたち平家残党は
  楫を失ったせいで、なぎさに棄てられた小舟のように、寄る辺ない身になりました。

2004年、歌泰会「官女」

  必死で生きる明け暮れにも、乱れたままの黒髪を取り上げ結おうとするけれど、
  生田(いくた)の森での約束を思い出し、つい手元が止まります。

  少年・梶原源太景季(かじわら げんた かげすえ)は生田(いくた)の森で
  一輪(いちりん)の梅の花を箙(えびら、矢を入れる箱)に差して先頭で奮戦しました。
  それは後退せずに闘いなさいという、父との約束を果たすためでした。
  そんな源太に平家の公達(きんだち)はいたく感心し、
  戦(いくさ)のさなかにもかかわらず、和歌を贈って褒めたのです。
  まさか負けてしまうとは、誰も思っていませんでした。
  いま思い返せば、何度でも恥ずかしくて赤面します。
  けっきょく赤間が関へ押し出され、
  几帳の向こうから吹いてくる、ささやかな枕の風すら失ってしまいました。

  壇ノ浦からたくさんの平氏が明石へ逃げ落ち、そこで最期を迎えました。
  わたしも須磨からこちらへ移り、
  こうして貧しい家で月影に照らされながら、涙で袖を濡らしています。
  官女が持つ檜扇(ひおうぎ)をいつまた手に出来るかと心待ちにしながら、
  こんな磯小唄のひとふしを唄ったりしますよ。

2004年、歌泰会「官女」

  友人たちにやいのやいのと囃(はやし)し立てられたら、
  遊女舟の帆綱を岸につながせないなんてことは、無理でしょうね。
  備中水島での合戦では帆綱でつないで勝利したのだから(水島合戦)
  同じように舟どおしを帆綱でつながないでいるのは、無理でしょう。
  そのせいで身動きがとれず、
  小さな舟でやってきた源氏軍に負けたのだけれど、
  それはもう仕方がない(壇ノ浦の合戦)
  そうでしょう、須磨よ、須磨の海よ。

  恋のためには身を隠すもの、
  だから夜半の水鳥が立てる音を、
  砧(きぬた、女性が布を打つ棒)を打つ音と思い込み
  誰か忍んできたと勘違いして
  うっかり半蔀(はんじとみ、窓)を開けてみないなんて、無理でしょうね。
  敵軍に囲まれ、おびえてていたのだから、
  水鳥の音を源氏軍の鬨(とき)の声と間違えないなんて、無理でしょう。
  ありもしない敵の攻撃におびえて平家軍はいっせいに逃げ出し、
  みずから勝ちいくさを放棄したのだけれど、
  それはもう仕方がない(富士川の合戦)
  そうでしょう、須磨よ、須磨の海よ。

2004年、歌泰会「官女」

  横になっても怨念がおさまらず、憂(うれ)いとつらさで眠ることができません。
  波の音がしみじみと響く壇ノ浦に、
  打ち合い刺し違える、船のいくさが始まります。
  ああ、浮かび上がった、ああまた、ほら沈んでしまうと、はらはらしていると
  春の夜が海の向こうから明けはじめ
  敵軍と見えたのは群れ飛ぶ白い鴎(かもめ)にすぎず
  鬨(とき)の声と聞こえたのは、
  ただの浦風だと
  高い松のこずえから降りそそぐ
  ただの浦風だと
  高い松のこずえを揺らす
  ただの浦風が、吹きなぐるまま、朝の嵐になりました。


武者の幽霊と瀬戸内海の夜明け


安徳帝の命日になると空飛ぶ白いカモメが堕ちてきた伝説の説明になっていることから、やはり作詞者・松井幸三はこの官女を「船幽霊」として描いたように思います。
(もちろん、原型である謡曲「八島」の漁師は修羅道を迷う亡霊です)

※「官女(かんじょ)」という踊り(1)の記事は、こちらからどうぞ
※「官女(かんじょ)」という踊り(2)の記事は、こちらからどうぞ




登場人物の境遇を理解すればするほど、魚を愉(たの)しそうに売るのがつらくなって、難しくなる踊りです。



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P.S.
この日曜日に日本舞踊協会・宮城県支部の各流舞踊大会があります。
※歳末助け合い日本舞踊協会宮城県支部のあゆみ

※100円以上のご寄付で、プログラムを進呈させていただきます。
※ご協力、よろしくお願いいたします。
<<<<<<<<<<<<<<<
2018/12/2(日)『歳末助け合い 第56回各流舞踊大会
会場 仙台電力ホール(仙台市青葉区一番町3丁目7−1)
1部 午前10時30分 開演
2部 午後1時30分 開演
入場 1,500円
アクセス JR「仙台駅」から徒歩約10分(バスもあります)
お問い合わせ 022-261-7055(宮城県芸術祭事務局)
<<<<<<<<<<<<<<<

よろしくお願いします!
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踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2018 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







2018年11月28日水曜日

歳末助け合い2018!各流舞踊大会




先日告知だけさせていただいた
「歳末助け合い 第56回各流舞踊大会」(2018年12月2日)の方、
パンフレットが出来てきましたので、あらためて報告させていただきます。


第二部の方に、わたしのお弟子さんが出演します。

歌舞伎舞踊・芝居舞踊(いわゆる「日本舞踊」)というより、古典楽器以外の音と歌を使うためジャンル的には新舞踊にあたりますが、「蘇州夜曲(そしゅう やきょく、西條八十作詞、服部良一作曲)」で古典振付を踊ります。




曲は、アン・サリーさんのジャズ風「蘇州夜曲」です。

ソプラノを学び、マリア・カラスばりのポルタメントを駆使した本家・李香蘭(りこうらん)こと故・山口淑子さんの「蘇州夜曲」は、もちろん歴史に残る名歌唱ですが、アン・サリーさんの、ふんわり穏やかな癒され系の歌唱も、お奨めですよ。

わたしの師匠・水木歌泰(みずき かやす)先生のお弟子さんも、別の演目で出演なさいます。たくさんの舞踊家が次々と出てまいりますので、よろしければ。




各流派の違いを、お楽しみいただけると思います。
ご来場、お待ちしております!



※   速報!2018年12月2日、仙台で各流舞踊大会!、の記事はこちらからどうぞ
※   歳末助け合い、日本舞踊協会宮城県支部のあゆみ、の記事はこちらからどうぞ
※   速報!歳末たすけあい2018「各流舞踊大会」開催しました!、の記事はこちらからどうぞ

※プログラムは100円以上のご寄付で、宮城県支部の方から進呈させていただきます。
※ご協力、よろしくお願いいたします。
<<<<<<<<<<<<<<<
2018/12/2(日)『歳末助け合い 第56回各流舞踊大会
会場 仙台電力ホール(仙台市青葉区一番町3丁目7−1)
1部 午前10時30分 開演
2部 午後1時30分 開演
入場 1,500円
アクセス JR「仙台駅」から徒歩約10分(バスもあります)
お問い合わせ 022-261-7055(宮城県芸術祭事務局)
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本文・写真ともに水木歌惣。Copyright ©2018 MIZUKI Kasou All Rights Reserved.







2018年11月24日土曜日

「官女(かんじょ)」という踊り(2)



平成27年(2015)、国立劇場で踊った「官女(かんじょ)」という踊りの紹介の、続きです。

※「官女(かんじょ)」という踊り(1)の記事は、こちらからどうぞ
※  修羅の舞踊「官女(かんじょ)」全訳 の記事は、こちらからどうぞ





////// 長唄「官女」の作詞者

歌舞伎芝居や歌舞伎舞踊が通常そうであるとおり、あちらこちらの題材をかき集め、本歌取りのようにつなぎ合わせて表現をふくらませていますが、「官女(かんじょ)」はそれが全部、ていねいに壇ノ浦つながりになるため平家物語を意識して観劇すると、おなかいっぱいで血なまぐさいと感じます。

にもかかわらず衣装も照明も限りなく明るく演出されるため、どこかちぐはぐな印象です。(その違和感と居心地の悪さこそ、演出の狙いなのかもしれません)

同じ謡曲「八島」の歌詞を、地唄や荻江節はそのまま取り込みました。そうして、謡曲どおり重々しく演じます。どうしてこの長唄はそうしなかったのか、長いあいだ疑問でした。

そして今回、この記事のために調べてみて意外なことに気がつきました。
作詞者が「2代目 松井幸三(1793~1830年4月11日)」でした。
歌舞伎座




////// 夭折の天才「松井幸三」

松井幸三は三味線の名手としても知られ、芸の最初は杵屋の囃し方として活動します。その後初代・松井幸三(1828年没)の門下に入り、江戸・中村座の戯作者(げさくしゃ)になりました。同座の出し物では「立作者」であった4代目 鶴屋南北(1755~1829年12月22日)の控え・二枚目作者として活躍し、鶴屋南北の後継者として、その期待を一身に集めながら文政13年4月11日、病没(享年38歳)します。

芸好き酒好きな人柄だったらしく、幇間(ほうかん)と戯作(げさく)を兼業していました。そのため、酒好きが昂じて死んだという説もあります。文政12年(1829)11月、江戸・市村座で立作者にとりあげられ2代目 松井幸三を襲名した、わずか5ヵ月後のことでした。

鶴屋南北作「東海道四谷怪談」
2代目 松井幸三は、鶴屋南北に頼らない歌舞伎芝居や歌舞伎舞踊をいくつか書き残しています。なかでも代表作は歌舞伎芝居「色彩間苅豆(いろもよう ちょっと かりまめ)」で、つまり怪談「かさね」です。

また、長いあいだ鶴屋南北の補助・相棒として働いたことで知られる松井幸三が、その手腕を特に高く評価されたのは「東海道四谷怪談(とうかいどう よつや かいだん)や、「獨道中五十三驛(ひとりたび ごじゅうさん つぎ)への貢献です。「四谷怪談」は、言わずと知れた「お岩さん」です。

ところで「官女」の初演は文政13年3月で、松井幸三は文政13年4月に死んでいます。つまり、作品としては遺作に近いものになります。

作詞者の得意分野が「因果(いんが)ばなし」であったこと、そうして長年協力関係にあった鶴屋南北の作風に似て、細かなエピソードを重ね重ねながら徐々に盛り上げてゆく手法がとられていること。

歌舞伎座
そのせいで長唄「官女(かんじょ)」は、地唄や荻江節など、ほかの謡曲「八島」由来の舞踊曲とは違う、得体の知れない不気味さが漂うのかもしれません。

もちろん、死の直前に書かれたということも、影響しているように感じます。平家物語を思い浮かべながら聞くと、とにかく内容が暗いからです。そして、いつも過剰に明るく演出されます。

それはまるで血を吐きながら陽気に踊る、「幇間芸(ほうかんげい)」を見るかのようです。




////// 魚づくし

わざわざ山田検校の「江ノ島曲」をトリビュート(tribute)しておきながら、松井幸三は聞かせどころの「貝づくし」を取り込みません。代わりにどっぷり暗い自作の浜唄を聞かせます。


 ◆江ノ島曲(えのしまのきょく)
  海人(あま)の子供のうちむれて 磯馴小唄(そなれ こうた)も貝づくし
  君が姿を見染めてそめて ひく袖貝をふりはらふ 恋は鮑(あわび)のかた思ひ
  ~省略~
  唄うひとふし 恋の海

  -現代語訳-
  海で働く人の子どもたちが集まって、
  唄う磯小唄は貝づくし。
  あなたの姿にひと目ぼれ。
  袖(貝)を引くのに振り払われて、
  恋は合わず(鮑)に、がっかり片思い。
  ~省略~
  恋いっぱいの、海のひとふしを歌いました。


 ◆官女
  いつ檜扇(ひおうぎ)を松の葉の 磯馴小唄(そなれ こうた)のひとふしに
  友のぞめきにそそのかされて 船の帆綱をかけぬが無理か 須磨よ須磨よ 
那須与一(なすのよいち)
  いとど恋には身をやつす
  夜半の水鶏を砧(きぬた)と聞いて
  たてし金戸を開けぬが無理か 須磨よ須磨よ

  -現代語訳-
  女官の持つ檜扇(ひおうぎ)を、
  いつまた手にする日が来るかと心待ちにしながら、
  こんな磯小唄のひとふしを唄ったりしますよ。

  友人たちにやいのやいのと囃(はやし)し立てられたら、
  遊女舟の帆綱を岸につながせないなんてことは、
  無理でしょうね。
  備中水島での合戦では帆綱でつないで勝利したのだから(水島合戦)
  同じように舟どおしを帆綱でつながないでいるのは、無理でしょう。
  そのせいで身動きがとれず、
  小さな舟でやってきた源氏軍に負けたのだけれど、
  それはもう仕方がない(壇ノ浦の合戦)
  そうでしょう、須磨よ、須磨の海よ。

  恋のためには身を隠すもの、
  だから夜半の水鳥が立てる音を、砧(きぬた、女性が布を打つ棒)を打つ音と間違えて
  誰か忍んできたと勘違いし
  うっかり半蔀(はんじとみ、窓)を開けてみないなんて、無理でしょうね。
  敵軍に囲まれ、おびえてていたのだから、
  水鳥の音を源氏軍の鬨(とき)の声と間違えないなんて、無理でしょう。
  ありもしない敵の攻撃におびえて平家軍はいっせいに逃げ出し、
  みずから勝ちいくさを放棄したのだけれど、それはもう仕方がない(富士川の合戦)
  そうでしょう、須磨よ、須磨の海よ。

平成27年、東京水木会「官女」

貝づくしでないのであれば、故事にちなんで「花」を売る題材にしても良かったはずですが、この舞踊では、元官女が売るのは花でさえありません。鯛(たい)と鱧(はも)と鰈(かれい)しか出ませんが、その唄い出しは、あたかも「魚づくし」の様相です。

ちなみに鯛(たい)と鱧(はも)と鰈(かれい)は、伊勢平氏の本拠地・淡路島の特産品です。

 ◆官女(唄い出し)
  見渡せば柳桜に錦する 都はいつか故郷に 馴れし手業(てわざ)の可愛らし
  こちの在所はナ ここなここな この浜越えて あの浜越えて ずっとの下の下関 
  内裡風俗あだなまめきて
  小鯛(こ だい)買はんか鱧(はも)買やれ
  鰈(かれい)買はんかや 鯛(たい)や鱧(はも)
  これ買うてたもいのう 
  アアしよんがいな
  いかに身過ぎぢゃ世過ぎぢゃとても おまな売る身は蓮葉なものぢゃえ

  -現代語訳-
  見渡してみれば柳の木や桜の木が十二単をまとったように美しい、ある春のこと。
  気づけば都(みやこ)はいつの間にか、懐かしい「ふるさと」になりました。
  手作業というものを覚えましたが、自分ながらにあわれです。
  わたしの住まいですか? この浜を越え、あの浜を越えて、
  さらに下(くだ)った下関です。
  内裏(だいり)風の色っぽい腰巻が小屋に掛かっていますから、
  探せば、すぐにおわかりになりますよ。


平成27年、東京水木会「官女」

  小さな鯛(たい)は姫鯛(ひめだい)と言い、
  平家の官女が海に身を投げ変身したと言われる魚です。
  小さな鯛(たい=官女)を、買ってくださいませんか?

  鱧(はも)は都(みやこ)の貴族が食べる旬の魚です。
  鱧(はも=都の貴族)を、買ってくださいませんか?

  鰈(かれい)は、平家の落ち武者が食べたキビ餅などと同じ名前です。
  鰈(かれい=平家の落ち武者)を、買ってくださいませんか?

  情けないこと
  たとえ生きぬくためと言え、
  みずからの境遇を売り歩くとは、なんとふしだらなわたしでしょう。



赤間神宮 拝殿


////// 七盛塚と船幽霊

赤間神宮「七盛塚」縁起によると
天明年間(1781~1789年)のこと、海峡に嵐が続き、九州へ渡る船や漁船の遭難が相次ぎました。そんなある夜、漁師たちが海上で泣き叫ぶ男女の声を聞き海へ出たところ、沖には成仏できずに夜の海をさまよう、たくさんの平家武者と官女の亡霊がありました。

漁師たちは災難が続くのは平家一族の怨念によるたたりと考え、それまで荒れるにまかせていた平家武将の墓を一カ所に集め、手厚く供養したそうです(赤間神宮七盛塚)

なお、安徳帝の命日には、飛んでいる白いカモメが堕ちることがあったという伝承もあります。白は源氏の旗色、赤は平家の旗色だからです。
赤間神宮 紅石稲荷

また、壇ノ浦には「船幽霊」が出ると言います。船にしがみついて「柄杓(ひしゃく)を貸せ」と漁師にとりすがり、貸してやるとその柄杓(ひしゃく)で船に水を掻き入れる厄介な幽霊です。そのため地元の漁師はかつて、底の抜けた柄杓(ひしゃく)を船に常備していたそうです。


 ◆官女
  怨みがちなる床の内 憂やつらや 
  波のあはれや壇の浦 打合ひ刺違ふ船戦の駈引き
  浮き沈むとせし程に 
  春の夜の波より明けて 敵と見えしは群れ居る鴎(かもめ)
  鬨(とき)の声と聞えしは 
  浦風なりけり高松の 浦風なりけり高松の 朝嵐とぞなりにける


  -現代語訳-
  横になっても怨念がおさまらず、
  憂(うれ)いとつらさで眠ることができません。
  波の音がしみじみと響く壇ノ浦に、
  打ち合い刺し違える、船のいくさが始まります。
  ああ、浮かび上がった、ああまた、ほら沈んでしまうと、はらはらしていると
  春の夜が海の向こうから明けはじめ
  敵軍と見えたのは群れ飛ぶ白い鴎(かもめ)にすぎず
  鬨(とき)の声と聞こえたのは、
  ただの浦風だと
  高い松のこずえから降りそそぐ
  ただの浦風だと
  高い松のこずえを揺らす
  ただの浦風が、吹きなぐるまま、朝の嵐になりました。

平成27年、東京水木会「官女」

舞踊の主人公「官女」は、ほんとうは生きていないように感じます。
本人は生きているつもりでも、修羅道に迷った船幽霊なのではないでしょうか。

※「官女(かんじょ)」という踊り(1)の記事は、こちらからどうぞ
※  修羅の舞踊「官女(かんじょ)」全訳 の記事は、こちらからどうぞ



主人公の官女が苦しむ様子は、現代で言えば立派なPTSDですよね。
とてもかわいそうです。

踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2018 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







2018年11月21日水曜日

円通院のライトアップ!2018、夜の松島






松島を踊らせていただいたので、松島の円通院の夜間ライトアップを観てきました。
最初の写真は今日(2018年11月21日)の朝焼けです。
(日の出6:23)

円通院ライトアップ2018

円通院ライトアップ2018




ライトアップは11月25日(日)まで、
毎日17:30~21:00入館料(一般)500円です。よろしければ。


本文・写真ともに水木歌惣。Copyright ©2018 MIZUKI Kasou All Rights Reserved.







2018年11月16日金曜日

「官女(かんじょ)」という踊り(1)






本名題(ほん なだい)を『八嶋落官女(やしま おち かんじょ)の業(なりわい)』と言い、「官女(かんじょ)」とも、「八島官女(やしま かんじょ)」とも、呼ばれる歌舞伎舞踊です。

文政13年(1830)3月、江戸・中村座で中村芝翫(しかん・4代目歌右衛門)が踊った九変化舞踊『第二番目 九変化(そのこうへん はなの ここのえ)』の一節であり、作詞・松井幸三、作曲・杵屋三郎助(10代目六左衛門)と伝わります。

平家滅亡後、八島(=屋島)の浦に生き残った官女が魚を売り、また身を売りながら、昔の恋を語り、戦いの記憶におびえて生きるさまを描く、むごく哀れな踊りです。

※「官女(かんじょ)」という踊り(2)の記事は、こちらからどうぞ
※  修羅の舞踊「官女(かんじょ)」全訳 の記事は、こちらからどうぞ





////// 趣向について

謡曲「八島」の主題を借り、老いた漁師の設定を若い海女に置き換えてあります。
謡曲「八島」の結びの歌詞を、ほぼそのまま取り込んでいます。
長唄「汐汲」から、少しばかりの歌詞と物語背景を借りています。
山田流箏曲・山田検校(けんぎょう)作曲「江ノ島曲(えのしまの きょく)の、趣向を借りた部分があります。

 ◆謡曲「八島」結びの歌詞
  水やそらそら行くもまた雲の波の 打ち合い刺し違ごうる 船いくさのかけひき
  浮き沈むとせし程に 春の夜の波より明けて 敵とみえしは群れいる鴎(かもめ)
  ときの声と聞こえしは 浦風なりけり高松の
  浦風なりけり高松の朝嵐とぞなりにける

平成27年、東京水木会「官女」



////// 内容について

同じ須磨(現在の兵庫県神戸市須磨区)の恋物語をとりあげながら、「汐汲」に比べ、暗く重苦しい内容です。※ただし恋物語とみえて、実際には恋の唄ではありません。

那須与一(なすのよいち)
「汐汲」では帝(みかど)の血を引く都(みやこ)の貴公子・在原 行平(ありわらの ゆきひら、818~893年)と、その身の回りの世話のため、一時的に囲われた在所の海女との身分違いの恋を、亡霊となった海女たちの言葉で何処か懐かしそうに、まだいとおしそうに語らせます。


いっぽう「官女」は戦いに敗れて零落し、売笑(=売春)しながら生きる女の「いま」を、女自身が死なずに語る物語だからです。


 ◆汐汲
  塩屋の煙さへ 立つ名厭はで三歳はここに
  須磨の浦曲の松の行平 立帰り来ば
  我も小蔭にいざ立寄りて 磯馴松の懐かしや
鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし

  -現代語訳-
  塩を焼く煙のように浮名が立って揶揄されるのもいとわず、
  ここ須磨の浦で、三年お世話いたしました。
  もしもお帰りになったならば、
  わたしは走り寄って木陰に隠れ、
  磯馴松(そなれまつ)のように
  浜に横たわり、すぐさま抱き合うことでしょう。

 ◆官女
  そなた思へば室と八島で塩やく煙
  立ちし浮名も厭ひはせいで
  朝な夕なに胸くゆらする

  -現代語訳-
  都(みやこ)へ想いを馳せながら、
  下女のように徒歩はだしで歩きまわり、室戸屋島で塩を焼いています。
  塩焼きの煙が浜に立つように、
  浮き名が立って揶揄されるのもいとわず、
  朝も夜も、想いで胸をくゆらせているのです。


舞子の浜(神戸)



////// 歴史考察

ところで
官女はつまりは「采女(うねめ)」もしくは「女官(にょかん)」「官人(くにん)」です。天皇(すめら みこと)や皇后(おお きさき)の顔を見たことのある官位を授けられた女性たちが、平家出身だからと言って、戦(いくさ)のあとも内裏(だいり)に召還されないことがあるでしょうか(平安期以降の女官の叙位任官の有無は不明、室町以降は明確に廃止)。平家滅亡と言っても、平 清盛(たいらの きよもり)ひきいる平家は桓武平氏の一部、伊勢平氏にすぎず、その他の平氏は皇孫として現代までも生き残ります。

平 清盛の娘で安徳帝の生母・徳子(1155~1213)でさえ、「建礼門院(けんれいもんいん)」として京都大原の寂光院(じゃっこう いん)へ迎えられ、静かな余生を送りました。徳子以外の生き残りの貴族女性は、徳子と親しい女性は尼にされて寂光院と後述の阿弥陀寺へ迎えられ、そのほかの女性たちは伊勢平氏ではない平氏の家々が引き取ったと、歴史は伝えます。

では、召還されなかったこの女性は、いったい何者なのでしょう。

上臈(じょうろう)が参拝する、赤間神社の拝殿




////// 赤間神宮の「先帝祭」

踊りの典拠は赤間神宮(あかまじんぐう・山口県下関市、安徳天皇を祭る神社で旧官幣社)の「先帝祭」の儀式のひとつ、「上臈参拝(じょうろう さんぱい)」にあるようです。
花魁と禿(かむろ)

いわく
文治元年(1185年)
壇之浦にて平家滅亡のち、多くの女官・上臈(じょうろう、武家の女性のうち、高位な女性)たちが赤間関(あかまのせき、下関の古名)の人々に助けられ花を売って生計を立て、やがて春をひさぐようになったが、そのような身のうえでも建久2年(1191年)、ときの帝(みかど、安徳帝の異母弟・後鳥羽天皇)の勅命により御影堂阿弥陀寺、のち赤間神宮に改称)が建立されるや、安徳帝の命日には毎年かかさず礼拝に訪れた、とのことです。

その故事にならい、現在も同社の「先帝祭」では花魁太夫が警護・稚児・禿(かむろ)を引きつれて道中し、神前へ閼伽(あか)と香華(こうげ)を手向ける安徳帝の供養式が行われます。

古来、先帝祭では、
旧遊郭・稲荷町の太夫たちに引き継がれていた「上臈参拝」と、公式の行事であった源平武者と十二単姿の官女の扮装による「道中」が、別々の行事として催されていました。

それを戦後宮司に就任した水野 直房(1934~、2014年名誉宮司へ引退)氏が、「花魁道中~花魁姿で参拝」という現在の形に統一、昭和41年以降、下関舞踊協会が花魁役を引き受けています。ちなみに源平武者の行列は、平家の落ち武者たちが山にこもって決起を図ったが、うまくゆかずやがて農民となり漁師となって在所に住み着いた故事にちなみ、赤間神宮氏子の衆が勤めます。

平成27年、東京水木会「官女」

采女・女官を内裏の外に放置するならば、政権はいったん女たちを内裏へ召還し、その後あらためて処刑したことでしょう。江戸幕府の時代でさえ、引退した大奥の女性たちは小石川あたりで死ぬまで飼い殺しだったのです。

赤間関(下関)に残された女性たちは、飯炊き女として行軍に付き添っていた「もとから売笑の女たち」だったか、もしくは陪臣(ばいしん、家来のこと)の妻女であって、他の平家と姻戚関係がないため引き取られず放置された、下級武士階級の女性たちだったかもしれません。

題材の元官女の境遇について考察してみましたが、引き取り手もなかった、ということがかえって哀れに感じさせる結果でした。

平成27年、東京水木会「官女」

でも、わたしはこの「官女」は、本当は生きていないと感じています。
詳細は(2)の方で説明させていただきますね。

平成27年(2015)9月6日、水木歌峰追善 水木流東京水木会のため国立劇場で踊った、「官女」について紹介させていただきました。

※「官女(かんじょ)」という踊り(2)の記事は、こちらからどうぞ
※  修羅の舞踊「官女(かんじょ)」全訳 の記事は、こちらからどうぞ



内容のわりに明るい照明・明るい衣装が使われますが、もう少し暗くしても良いのかもしれません。

踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2018 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







2018年11月12日月曜日

速報!国民文化祭in大分、「松島」踊ってきました!








白鳥の飛来する街(宮城県登米市)から移動すること、なんと10時間以上。

日本舞踊協会・宮城県支部のひとりとして、
「国民文化祭・おおいた2018」に参加し、
若柳梅京さん、若柳佳つ尋さんと一緒に、常磐津「松島」を踊りました!


写真はわたしの師匠で、かつ、今回新趣向の「松島」を振付けてくださった、水木歌泰(みずき かやす)先生です。






正式なイベント名は、国民文化祭・おおいた2018「日本舞踊の祭典」です。なんにせよ、移動がたいへんでした。。。




楽屋にて



今回の楽屋はこんな感じ。わたし、なぜかお勉強中ですね。











三人で写っている写真は、左から若柳梅京さん、自分(水木歌惣)若柳佳つ尋さんです。
精一杯、努めました。

(左から)若柳梅京さん、水木歌惣、若柳佳つ尋さん


衣装、いい感じにキリッと仕上がりました。
前割れという前髪をとらないカツラで、男性を表現しております。

わざわざ、宮城県から駆けつけてくださったファンの方もいて、感謝、感謝でございました。ご来場、ありがとうございました。

※   国民文化祭in大分、出演予定のお知らせ、の記事はこちらからどうぞ
※「松島」という踊り、の記事はこちらからどうぞ
※   国民文化祭in大分、「松島」踊ります、の記事はこちらからどうぞ
※   国民文化祭in大分、「松島」お稽古中です!、の記事はこちらからどうぞ
※   うつくしい海、うつくしい常磐津「松島」全訳 の記事はこちらからどうぞ





これからもより一層、精進いたしますので
松の木のように、末永く、よろしくお願いもうしあげます。

本文・写真ともに水木歌惣。Copyright ©2018 MIZUKI Kasou All Rights Reserved.







2018年11月9日金曜日

国民文化祭in大分、「松島」お稽古中です!





かねてお知らせしたとおり、わたくし、(公社)日本舞踊協会宮城県支部として、
若柳梅京さん、
若柳かつ尋さん、と常磐津「松島」を踊ります。


いよいよ「日本舞踊の祭典」が近づき、
わたしたちのお稽古も、佳境に入ってまいりましたよ!



三人で、新しい趣向の「松島」を踊ります。


みんなスッピンですので、
写真の方は一部ボカシを入れさせていただきました(お恥ずかしい、、、)







頑張って踊ります。
ご来場、お待ちしております!




※   国民文化祭in大分、出演予定のお知らせ、の記事はこちらからどうぞ
※「松島」という踊り、の記事はこちらからどうぞ
※   国民文化祭in大分、「松島」踊ります、の記事はこちらからどうぞ
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2018/11/11(日)『日本舞踊の祭典』
会場 iichiko総合文化センター(大分市高砂町2-33)※エリア 出会いの場
開場 9:30(開演 10:00)
入場 無料(入場券が必要です、下記へお問い合わせください)
お問い合わせ 070-7640-1172 / 097-529-6284
アクセス 大分駅より徒歩10分(駐車場300台※有料)
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本文・水木歌惣。Copyright ©2018 MIZUKI Kasou All Rights Reserved.







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