2018年10月31日水曜日

紅葉狩り2018!国道108号線あたりの観光スポット



以前、「昇仙橋からの眺め」という記事でもお伝えしましたが、わたしの住んでいるあたりは紅葉の観光スポットが数多くあります。


先日も、国道あたりは「紅葉狩り渋滞」になっていました。

ですのでわたしは、花山湖を右に見ながら国道108号線へ抜け道し、人ごみの少ない山の中で、ゆっくり紅葉を堪能しました。












紅葉(もみじ)が、もう見ごろです。
よろしければ。

本文・写真ともに水木歌惣。Copyright ©2018 MIZUKI Kasou All Rights Reserved.







2018年10月27日土曜日

「雨の四季」という踊り





「雨の四季」という長唄は、
銀座生まれの生粋(きっすい)の江戸っ子であり、
国文学者であった池田弥三郎氏(1914-1982年、慶応大学教授)が作詞し、長唄東音会創始者である山田抄太郎氏(1899-1970年、人間国宝)が作曲した、昭和42年(1967年)発表の、比較的新しい作品です。

全体に尋常小学唱歌「四季の雨」(大正3年、1914年)を想起させる内容になっており、春夏秋冬、それぞれの雨の情景をどこか懐かしい江戸の風物とともに描いています。

新作とは思えないほど瑞々(みずみず)しい内容で、たいへん人気のある曲・演目です。




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////// 春
音もなく 降るとも見えぬ春雨の 酔いを勧(すす)むる時の興
  もやのような春雨のなか、飴売の香具師が活き活きと口上を語っています。

////// 夏
山王や神田明神 南北の江戸を鎮めの夏祭り
  山王祭と神田明神の夏祭りに、ふいに夕立が襲います。

////// 秋
折りしも注ぐ秋の雨に 木更津舟の見え隠れ それも八つ見の橋の景
  人の行き交う日本橋に秋雨がふり、木更津舟が見え隠れします。

////// 冬
今日も急ぐか早立ちの 旅人しげき橋桁に 聞くだに寒き冬の雨

  早朝出立するため日本橋の橋げたを行き交う旅人たちを、冷たい冬の雨が見送ります。
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平成30年2月、日本舞踊協会東北6支部の代表・総勢9人で、新しい振付の「雨の四季」を踊りました。舞台うえに9名もの踊り手がいるわけですから、困ったことにひとりひとりの写真が、とても小さいです。もうしわけありません。(画像をクリックすると少しだけ、大きく表示されます)




////// 東北6支部代表
平成30年、日本舞踊協会「雨の四季」

中村芝延さん(青森県)
水木優吉さん (青森県)
水木愛歌さん(岩手県)
若柳ゆり恵さん (岩手県)
水木歌惣 (自分・宮城県)
花柳丈陽人さん(秋田県)
花柳優梓さん(山形県)
藤間乾誉さん(山形県)
花柳寿美衣代さん(福島県)



青森県の中村芝延さんは、国民文化祭(大分)の『日本舞踊の祭典』で、常磐津「粟餅」を踊ります。よろしければ。



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2018/11/11(日)『日本舞踊の祭典』
会場 iichiko総合文化センター(大分市高砂町2-33)※エリア 出会いの場
開場 9:30(開演 10:00)
入場 無料(入場券が必要です、下記へお問い合わせください)
お問い合わせ 070-7640-1172 / 097-529-6284
アクセス 大分駅より徒歩10分(駐車場300台※有料)
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踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2018 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







2018年10月24日水曜日

「保名(やすな)」という踊り(2)



仙台電力ホールで踊った清元「保名(やすな)」についての紹介の、続きです。
※「保名(やすな)」という踊り(1)の記事は、こちらからどうぞ
※  愛の物ぐるい「保名(やすな)」全訳 の記事は、こちらからどうぞ






////// 来歴について

説経節(せっきょう ぶし)『信太妻(しのだ づま)』や
瞽女唄(ごぜ うた)『葛の葉 子別れ(くずのは こわかれ)
などにもなった陰陽師・安倍晴明の父の物語は、享保19年(1734年)
浄瑠璃「芦屋 道満 大内 鑑(あしや どうまん  おおうち かがみ)
として文楽上演され、そのひとまくである「小袖ものぐるい」が舞踊曲・清元「保名(やすな)」になりました。




////// 元になった浄瑠璃のあらすじ、、、、

宮中につかえる陰陽師・賀茂保憲(かも の やすのり)の養女・榊(さかき)は秘伝書『金烏玉兎集(きんう ぎょくと しゅう)』を盗んだと疑われ、神仏に問うて身の潔白を証(あかし)するため、みずから命を絶った。

(さかき)と結婚の約束をしていた保憲(やすのり)の弟子・安倍保名(あべの やすな)は、恋人の亡きがらにとりすがって泣いたあと、精神に異常をきたし、笑いながら、どこへとも知れず消えてしまう。

同じころ榊の実家では、榊の妹・葛の葉が、不吉な夢に悩まされていた。

賀茂家へ養女に出された姉の身に何か悪いことが起きたに違いないとは思うが、どうしようもないので信太森(しのだの もり)へお参りしたところ、姉の小袖を神域の木の枝にかけ、姉の面影を慕って泣く美しい男を見て恋に堕ちる。

榊とそっくりな妹・葛の葉を見た保名の方も正気に返り、葛の葉を妻にしたいと懇願するが、同道していた榊と葛の葉の両親は「いったん情勢を見てから」と、ふたりの結婚を保留する。

そこへ悪党に追われた白狐が逃げ込んできて、保名は白狐を祠(ほこら)に隠して助けてやり、葛の葉とその両親を逃がしたあと、ひとり悪党と対決する。

悪党に斬られ命の瀬戸際に立った保名だったが、引き返してきた葛の葉に助けられ、ふたりで保名の生まれ故郷・安倍野を目指して旅立った。

葛の葉は安倍野で保名の子を産み育てるが、その正体は信太森(しのだの もり)で助けられた白狐であり、保名を追って現われた本物の葛の葉を前にすると「産まれた子に罪はない、どうか育ててあげて欲しい」と頼んで、泣く泣く信太森(しのだの もり)へ帰ってゆく。

白狐の子・安倍晴明(あべの せいめい)は長じて天皇(すめら みこと)につかえ、父・保名と父のいいなづけ・榊の名誉を回復する。




////// 物語に出てくる陰陽道について

ことの発端となった陰陽師の秘伝書『金烏玉兎集(きんう ぎょくと しゅう)』は、伝説では安倍晴明自身の作品とされていますが、史実上は安倍晴明より後年の作です。現在も国会図書館に写本が所蔵されています。


金烏(きんう)は太陽にいる三本足の金のトリ、玉兎(ぎょくと)は月にいるウサギで、太陽と月で「時間」や「歳月」「永久」を象徴します。

物語の舞台となる信太森(しのだの もり)は、聖大神(aeon)がつかさどる「永遠の(時間の)森」です。

時間を制するものは、天地を制するということでしょうか。
陰陽道思想の一端を垣間見せる秘伝書タイトルです。




////// 清元「保名(やすな)」の衣装について

武人(ぶじん)ではないため、薄い紫や白、ピンク色の衣装を着て踊ります。

平成8年、歌泰会「保名」

江戸紫の病鉢巻(やまい はちまき)を頭に巻いていますが、
これは古来「病(やまい)を治す」と言われたもので、
芝居などでは登場人物が病人であることを示します。


ただし、同じハチマキでも喧嘩をするためのハチマキや
祈願成就のためのハチマキもあり、
たとえば歌舞伎芝居「助六(すけろく)」のそれは
病鉢巻(やまい はちまき)ではありません。
※魚河岸(うお がし)のイナセなハチマキを真似たと言われます。

病鉢巻(やまい はちまき)は結び目が左、
喧嘩のときや祭(まつり)、仕事中の汗止めがわりに巻くハチマキは、
結び目を右や中央に置くことになっています。

あまり言及されることがありませんが、
日本のハチマキは外国の「ターバン(turban)」と同じです。

水木 歌惣
特に江戸期以降、髪型で階級を示す必要があったため、日本人に帽子の文化は広まりませんでした。役人の前で、髪を隠すことは禁じられていたのです。

だから天の力を特に借りたいと思うとき、髪を崩さないまま天の力を頭部に集中すべく、日本人はハチマキを用いました。ハチマキの色について、特に決まりはありません。

普段づかいの手ぬぐいを使うので、庶民のハチマキは派手な色ではありません。舞台では江戸紫になることが多いのは、照明を当てても色が変わらないからだそうです。
※「保名(やすな)」という踊り(1)の記事は、こちらからどうぞ
※  愛の物ぐるい「保名(やすな)」全訳 の記事は、こちらからどうぞ


恋わずらいを表現するときなどは、ピンク色の病鉢巻(やまい はちまき)になったりします。かわいらしいです。


踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2018 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







2018年10月21日日曜日

「玉兎(たまうさぎ)」という踊り




水木流は江戸中期、「お狂言師」として活躍した水木歌仙(みずき かせん、1710~1779年)を初代とする流派です。「お狂言師」というのは、芝居小屋へ出かけることのできない大奥や大名屋敷の女性たちのため、女性だけで一座をかまえ歌舞伎の芝居や踊りをする狂言師のことです。

奥向きの舞台とはいえ歌舞伎を演じるため、お狂言師たちは実際に歌舞伎役者の一門に加わって修行し、名前を許されて活動しました。水木歌仙の師匠は元禄期の代表的女形で、所作ごと・変化(へんげ)ものを得意とした初代水木辰之助(1673~1745年、流祖)です。

水木辰之助は大阪生まれで屋号が「大和屋」、同じ「大和屋」に坂東三津五郎がいます。

現在の日本舞踊・坂東流は初代 坂東三津五郎(1745~1782年)の息子、3代目 坂東三津五郎(1775~1832年)を流祖とする流派で、同じようにお狂言師をたくさん抱えていました。

絵草紙・奥座敷でお狂言師演じる歌舞伎狂言を愉しむ女性たち


水木辰之助も坂東三津五郎も女形ですが、女形はこの当時、ケレンや変化(へんげ)ものが売りでした。文化文政の頃に活躍した3代目 坂東三津五郎(1775~1831年)
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「源太(げんだ、1808年、江戸・森田座初演)
「汐汲(しおくみ、1811年、江戸・市村座初演)
「浅妻船(あさづまぶね、1820年、江戸・市村座初演)
「玉兎(ぎょくと=たま うさぎ、1820年、江戸・市村座初演)
「まかしょ(1820年、江戸・市村座初演)
「山帰り(1823年、江戸・森田座)
「傀儡師(かいらいし、1824年、江戸・市村座初演)
「申酉(さるとり、通称「お祭り」、1826年、江戸・市村座初演)
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などの歌舞伎舞踊を発表し、好評を博(はく)します。

ケレンや変化ものが得意の女形を流祖とする一門ほど、たくさんのお狂言師を抱えていたということは、つまりそれだけ女形に人気があって、身分の高い女性たちが観たがったことを意味します。



平成22年、歌泰会「玉兎」

清元「玉兎(たま うさぎ)」は、本名題(ほんなだい)を「玉兎月影勝(たまうさぎ つきの かげかつ)」と言い、文政3年(1820)、『一谷嫩軍記(いちのたに ふたば ぐんき)』の二番目大切(おおぎり)に、七変化舞踊『月雪花名残文台』(つきゆきはな なごりの ぶんだい)のひとつとして、3代目坂東三津五郎が演じたものです。

本名題に「名残(なごり)」とあるのは、このあと坂東三津五郎が活動の拠点を大阪へ移すことが決まっていたからです。しかし演目辞典では、その後も3代目 坂東三津五郎の江戸での活躍が続きます。すぐ帰って来たようです。


◆七変化の内容
(1) 長唄「浪枕月浅妻(なみまくら つきの あさづま)」→現在の「浅妻船」
(2) 清元「玉兎月影勝(たまうさぎ つきの かげかつ)
(3) 長唄・清元「狂乱雪空解(きょうらん ゆきの そらどけ)
(4) 長唄「猩々雪酔覚(しょうじょう ゆきの よいざめ)
(5) 長唄「寒行雪姿見(かんぎょう ゆきの すがたみ)」→現在の「まかしょ」
(6) 富本「女扇花文箱(おんなおうぎ はなの ふみばこ)
(7) 長唄「恋奴花供待(こいのやっこ はなの ともまち)


平成22年、歌泰会「玉兎」


月のウサギ(たまうさぎ)が、お婆さんを殺した悪い狸をお爺さんに代わって成敗した、カチカチ山の手柄話を自慢げに語り、
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 年はおいくつ十三 七つ ほんにさぁ お若いあの子を産んで
 やときなさろせ とこせとこせ 誰に抱かせましょうぞ お万に抱かしょ
  もと歌「お月さまいくつ。十三ななつ。まだ年ぁや若いな。」
  もと歌「あの子を産んで、この子を産んで、だぁれに抱かしょ。お万に抱かしょ。」
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と、わらべ歌を歌いながら餅をついて月見団子を仕上げる、
のどかな内容になっています。

平成22年、歌泰会「玉兎」

のどかですけれど、三津五郎作らしく振りは大きく、いさましい踊りで、幼い子どもだけでなく大人も踊る演目です。おとぎ話を題材にした愉(たの)しい踊りですが、運動量も多いです(はぁはぁ)

平成22年に踊った写真を紹介させていただいてます。このときは素踊りに近い衣装になっていますが、男性が踊る際には褌(ふんどし)に裸襦袢(はだか じゅばん)、ウサギの耳に模した白いハチマキを巻いて出たりします。

※清元おそるべし「玉兎(たまうさぎ)」全訳、の記事はこちら



月のウサギの踊りと、水木流のほんのひとまくを、紹介させていただきました。



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2018年10月18日木曜日

森舞台のご紹介



10月に入ってすぐの天気の良い日、登米(とめ)市登米(とよま)にある、伝統芸能伝承館 森舞台に出かけました。

和泉流20代目宗家・和泉元彌氏と、そのお姉さまである女性狂言師・和泉淳子氏に10代目三宅藤九郎氏、お姉さまのお子さんたちもご一緒の、愉しい狂言を拝見しました。
「とよま狂言ライブ2018」主催:森波実行委員会 後援:登米市教育委員会




藩祖・伊達政宗公が能楽を愛したため、伊達藩は代々能楽を重んじました。登米伊達家は大倉流を取り入れ、「登米能(とよまのう)」へと発展させます。

明治41年「登米謡曲会」が発足、現在も秋祭りの宵祭り(9月第3日曜日の前日)に「薪能(たきぎのう)」を上演しています。「伝統芸能伝承館」は登米(とよま)の伝統芸能伝承を目指し、 平成8年にオープンしました。



正面奥の鏡板には日本画家・千住博氏が老松と若竹を製作、日本舞台では床を踏んだ際の音響効果を高めるため床下に瓶を並べるものですが、ここでは日本最古の能舞台として知られる京都西本願寺北能舞台を参考に、瓶の位置・向きが決められました。


伝統芸能伝承館 森舞台(宮城県登米市登米)




薪能(たきぎのう)は幻想的でおススメです。
よろしければ。

本文・写真ともに水木歌惣。Copyright ©2019 MIZUKI Kasou All Rights Reserved.







2018年10月13日土曜日

「保名(やすな)」という踊り(1)



だいぶ以前になりますが、平成8年に踊った
清元「保名(やすな)」という演目について、紹介させてください。

※「保名(やすな)」という踊り(2)の記事は、こちらからどうぞ
※  愛の物ぐるい「保名(やすな)」全訳 の記事は、こちらからどうぞ






////// 清元「保名(やすな)」概要

たいへん見どころ・語りどころの多い踊りです。

こころを病んだ若い男がぞろっとした身なりで出てきて、よろよろ、もぞもぞと動き回るだけの踊りなのですが、じつのところ、我が国・日本のほぼすべての歴史とアングラカルチャーを網羅する、深遠な文化的背景が隠されています。




////// 清元「保名(やすな)」物語の背景について

まず、その風変わりなタイトルですが、これは平安期に活躍した陰陽師・安倍晴明(あべの せいめい)の、伝説上の父親の名前です。実際の父親は記録がありません。

物語の舞台は大阪府和泉市にある「信太森(しのだの もり)」というところ、「聖神社(ひじり じんじゃ)」のあるところです。

聖神社の縁起は古く、神武天皇東征の際に天孫・瓊々杵尊(ににぎの みこと)を祀ったとする伝承と、天武天皇の御世(みよ)に渡来氏族である信太首(しのだの おびと)が聖大神(ひじり おおかみ)を祀ったとする伝承の、ふたとおりの言い伝えがあります。

聖大神(ひじり おおかみ)というのは『古事記』に登場する「大年神(おおとしの かみ)」の別名です。いわゆる「アイオーン(aeon=年神)」の日本版で、つまり「永遠をつかさどる神さま」です。


信太森(しのだの もり)は、平安時代の女流歌人・清少納言がその著書『枕草子』に「森は信太」と書き残したほど、古来、聖なる森として知られました。

その信太森(しのだの もり)が、平安時代初期に官幣社へ格上げされた秦氏の祖霊「稲荷神(伏見稲荷大社)」とその使徒獣(totem)である白狐(白蛇・白龍なども)の信仰に呑みこまれ、信太森(しのだの もり)の白狐(びゃっこ)伝説が生まれます。

聖大神(ひじり おおかみ)のいまそかる「永遠の森」で、保名は死んだ恋人「榊の前(さかきの まえ)」の御霊(みたま)を探して物狂い(ものぐるい)し、そこで出会った使徒獣・白狐と恋に堕ちます。そうして平安期の伝説的陰陽師・安倍晴明へ結びつくわけです。




////// 保名と白狐(びゃっこ)の恋について

舞踊のもととなった浄瑠璃「芦屋 道満 大内 鑑(あしや どうまん おおうち かがみ)」では、白狐は死んだ「榊の前(さかきの まえ)」の妹である「葛の葉姫(くずのは ひめ)」に化け、保名の妻に迎えられます。ふたりが暮らした聖神社近くの「阿倍野(現在の葛葉町)」には、今では「信太森葛葉稲荷神社(正式名称は信太森神社)」という神社が建てられています。




////// 振りと所作(踊りの中の芝居)について

「保名」はむずかしい踊りです。

平成8年、歌泰会「保名」

 (1) ぞろっとした衣装を着て、ふらふらと歩き回る
 (2) 女ものの着物である小袖を枝にかけて頬ずりしたり、撫でさわって泣いたりする
 (3) 子どものように蝶を追って振り返り、恋人のように小袖へ話しかける

このようにキリッとしない踊り・所作であるのに、白狐に「子を産んでも良い」と思わせるほど男性として色っぽくなくてはいけません(無理!)

※「保名(やすな)」という踊り(2)の記事は、こちらからどうぞ
※  愛の物ぐるい「保名(やすな)」全訳 の記事は、こちらからどうぞ


わたし、精一杯つとめました。
ほろびようとしている男の色気、出たのかなぁ。


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2018年10月10日水曜日

国民文化祭in大分、「松島」踊ります


国民文化祭in大分「日本舞踊の祭典」(2018年11月11日)の方、
パンフレットができましたので、あらためて報告させていただきます。

かねてお知らせしたとおり、わたくし、(公社)日本舞踊協会宮城県支部として、
若柳梅京さん、
若柳かつ尋さん、と常磐津「松島」を踊ります。



////// 常磐津「松島」概略

松島という踊りは明治17年、
常磐津家元・文字太夫家と、三味線方・岸澤家の和解に際して作曲され、
河竹黙阿弥が作詞を担当した、和解記念の作品として知られます。

東北が題材とされたのは、
当時の当代・7世小文字太夫が東北の盛岡出身だったからですが、
歌詞の中で小文字太夫の後悔の念が、東北の名所とともに謳われています。

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勿来(なこそ)の関は名のみにて
   → 奥州の三関と讃えられる関所でも、いまは名ばかり。
(ふ)りし昔を信夫摺(しのぶずり)
   → あぁ、古い昔がなつかしい
文字もそぞろに名所(などころ)
   → 文字を書くのももどかしい思いで、
記す便(よすが)に里人へ
   → さとびとの言う名所をそぞろな文字でしるすのも、
利府(とふ)の菅ごも
   → 十符(縦に十段)に分かれた「利府(とふ)の菅(すが)ごも」を
七布三布
   → 七と三とに分け合って寝たという
   → あの恋歌のような日々が、なつかしくてつらいせいです。
旅寝の日さへ浅香山
   → 旅寝の日でも眠りは浅く、
(う)きを 白石 白露の
   → 憂(うれ)いを知らない白石の地に、白い朝露がかかっています。
萩の宮城野 杖曳いて
   → 萩で知られる宮城野を、杖をついて歩きながら
己が心の まにまに に
   → ただ、こころのままに歩いていると
瑞巌寺(ずいがんじ)へぞ 着きにける
   → なんとか瑞巌寺(ずいがんじ)へ着くことができました。
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常磐津「松島」の舞台写真が手元にないため、仕方なく常磐津「松の羽衣」の舞台写真を使っております。
松つながり、常磐津つながり、ということで何卒お許しください。。。
平成24年、師匠・水木 歌泰先生と競演(常磐津「松の羽衣」)

松島への旅行を思いついたは良いが、仲たがいした岸澤家への想いにとらわれ、旅を愉しむことができない旅人は、瑞巌寺へ到着し松島の海で海女と恋に堕ちます。そうして松島湾の美しい景観にこころを洗われ、岸澤家へ和解の便りをしたためるのです。

そうして、以前の記事で紹介した大団円を迎えます。
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岸の漣漪(さざなみ)うち寄りて
   → 岸澤家に戻っていただき、
昔へ還る常磐津の
   → 常磐津の家も、昔に還ることができました。
松の栄えぞ 目出度(めでた)けれ
   → 松の大木のように、常磐津が永く繁栄するのは喜ばしいことです。
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途中歌詞に登場する「利府(とふ)の菅(すが)ごも」ですが、
かつて宮城県利府(りふ)町の名産品であったコモ・ムシロのことです。

みちのくの 十符の菅薦七符には 君をねさせて われ三符にねむ(夫木和歌抄)
河竹黙阿弥はこの古い恋歌を、本歌取りしているのです。

平成24年「水木歌澄追悼 東京水木会公演」での水木歌泰先生(常磐津「松の羽衣」)



今回、宮城県 利府町に住む
わたしの師匠「水木 歌泰(みずき かやす)」先生が、「松島」を三人踊りに振り付けます。師匠ともども、よろしくお願いいたします!



※   国民文化祭in大分、出演予定のお知らせ、の記事はこちらからどうぞ
※「松島」という踊り、の記事はこちらからどうぞ
※   国民文化祭in大分、「松島」お稽古中です!、の記事はこちらからどうぞ
※   速報!国民文化祭in大分、「松島」踊ってきました! の記事はこちらからどうぞ
※   うつくしい海、うつくしい常磐津「松島」全訳 の記事はこちらからどうぞ

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2018/11/11(日)『日本舞踊の祭典』
会場 iichiko総合文化センター(大分市高砂町2-33)※エリア 出会いの場
開場 9:30(開演 10:00)
入場 無料(入場券が必要です、下記へお問い合わせください)
お問い合わせ 070-7640-1172 / 097-529-6284
アクセス 大分駅より徒歩10分(駐車場300台※有料)
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踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2018 MIZUKI Kasou, KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.





2018年10月5日金曜日

「独楽(こま)」という踊り




花の盛りのある日のこと、
江戸の東を守る浅草寺の境内で、
コマ売りの萬作(まんさく)が見物を集め、
独楽(こま)の由来を語っています。

コマ売り萬作(まんさく)は続けて
「綱渡り(つな わたり)」、
「つばめ回し」、
「風車(かざ ぐるま)」、
「衣文流し(えもん ながし)」といった
曲独楽(きょく ごま)のわざを披露すると、
(きょう)に乗って自分がコマになったかのように、着物の両袖を広げ、くるくる回転し始めました。

上機嫌で「百廻り」して見せた萬作(まんさく)は次には小さいコマそのものに変身し、抜き身の刀剣の白刃の上を回転して進む「刃渡り」という曲独楽(きょく ごま)を、得意気(とくいげ)に披露しながら人々の前から消えてゆきます。


平成29年、日本舞踊協会「独楽」

あァ、いったい夢かまぼろしか。
コマ売り萬作(まんさく)は、独楽(こま)の精だったのでしょうか、
それともこれは浅草観音(あさくさ かんのん)さまの、いつもの悪ふざけなのでしょうか。
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ナンセンスすぎる、常磐津舞踊の代表曲「独楽(こま)」の物語です。

木村富子作詞、三代目常磐津文字衛(ときわず もじべえ)作曲、二代目花柳寿輔(はなやぎ じゅすけ)振付で昭和3年9月歌舞伎座において初演され、主人公・独楽売 萬作(こまうりの まんさく)を二代目市川猿之助(猿翁=えんおう)が演じました。

奇抜なテーマと花柳流の華やかな振りで人気となり、その後三代目市川猿之助によって「猿翁十種」に加えられます。


平成29年、日本舞踊協会「独楽」


手数(てかず)が多く振りや所作(舞踊の中の芝居)を追うだけであわただしくなりがちな前半と、回転するコマを真似、背筋を伸ばして斜めにぶんぶん回り続ける後半と、ひたすら運動神経と体力がためされる構成です。全体に曲芸のような踊りと言えるでしょう。

平成29年、日本舞踊協会「独楽」


こう見えて、わたし運動は得意の方でして
恥ずかしながら、ぶんぶん気持ちよく回転いたしました。

※  観音さまのいたずら?常磐津「独楽(こま)」(舞踊鑑賞室)
※  説教くさいぞ!浅草観音さま。常磐津「独楽(こま)」全訳


平成29年日本舞踊協会宮城県支部・第32回各流舞踊公演にて演じた、
常磐津「独楽(こま)」を紹介させていただきました。


踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2018 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.





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