2019年2月21日木曜日

地獄の数え歌「幻お七」鈴ヶ森刑場への道





平成19年、仙台電力ホールで踊った「幻お七」の紹介の、続きです。
※  ここが地獄の一丁目。「幻お七」という踊り、の記事はこちら
※  八百屋お七、地獄の便り。「幻お七」全訳、の記事はこちら



こちらの記事では、木村富子が書いた「幻お七」の歌詞の源流を辿(たど)ります。前の記事で取り上げたとおり、「幻お七」は「櫓(やぐら)お七」の簡易版でも、改悪版でもないからです。

「櫓(やぐら)お七」は名刀・天国の剣(あまくにのつるぎ)を取り巻く架空の冒険譚がもとの舞踊です。いっぽう「幻お七」は井原西鶴(1642~1943年、浮世草子・浄瑠璃作者)「好色五人女」と「(通称)八百屋お七からくり口上(からくり芝居の口上)」を参考にした(と言われている)、写実舞踊です。


ですので、あえて周知の「八百屋お七」の物語を、実際の「好色五人女」と「(通称)八百屋お七からくり口上」から紹介させていただきます。ただし「(通称)八百屋お七からくり口上」は本物を記した資料が見つからず、瓦版(かわらばん)口上に写されたものを利用します。ご了承ください。

なお「傀儡師(かいらいし)」という踊りでは、「八百屋お七と寺小姓吉三」「牛若丸と浄瑠璃姫」「平知盛(たいらの とももり)と武蔵坊弁慶」の物語が登場します。傀儡師(かいらいし)たちが人形を廻し(舞わす、の意味)ながら唄ったのは、浄瑠璃姫は当然「十二段草紙」、平知盛は「船弁慶」です。そうして「八百屋お七」は、からくり人形の口上へそのまま引き継がれたと言われています。ですからここでご紹介する「八百屋お七小姓の吉三からくり口上」が、傀儡師(かいらいし)たちが人形を廻しながら唄った唄そのものです。

平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」





ところで井原西鶴「好色五人女」の刊行は貞享3年(1686)、それと前後して「天和笑委集(てんな しょういしゅう、作者不明、1684~1688年成立)」という伝記本が世に出ています。井原西鶴がこれを参考にしたかどうかは、わかっていません。「天和笑委集」は「好色五人女」とは内容がだいぶ違ううえ、物語仕立てになっているものの、まったくおもしろくありません。

史実として信頼できる記録は、五代将軍綱吉の治世を記録しようとした官吏・戸田茂睡(とだもすい)「御当代記(ごとうだいき)」に、「放火の罪で処刑された、お七という娘がいた」と書いてあるのがすべてです。




////// 井原西鶴「好色五人女」お七と吉三郎の、恋の始まり

吉三郎さまなら、今まで俺と足を絡めて寝ていたさ。その証拠がこれよ、と、起きて来た小坊主の新吉がお七の前で袂(たもと)をひらひらさせる。新吉の袂(たもと)から、白菊という香の薫りが漂(ただよ)った。この小坊主をどうしたものかと、お七が悩みながら寝間に入ると、続いて入ってきた新吉が「はぁ、お七さまが良いことしようとしている」と、声をたてた。

お七は振り返り「お黙り。何でも欲しい物をあげるよ」と。新吉は「そんなら銭八十と、松葉屋の歌留多(かるた)、浅草の米饅頭(よねまんじゅう)五つが欲しい」と言う。「そんな容易(たやす)いもの、明日にでも届けてやるさ」、そう約束してやると新吉は布団に入り「夜が明けたら、三品目を必ず受け取るぞ」「必ず三品目を」と、ぶつぶつ言いながら寝入ってしまった。

絵草紙・手習いお七

これで何をしようと自由になったので、お七は吉三郎の寝姿に寄り沿い、何も言わず抱きついた。吉三郎は夢から醒めて身を震わせ、夜着(やぎ)の袂(たもと)を被って顔を隠した。それを手で払い除(の)け、「髪が乱れる」と、お七が吉三郎を叱る。吉三郎はせつなそうな声で「わたくしは、十六(数えなので実際には十五)になります」と言う。お七は「わたくしも、十六(同)になります」と返した。吉三郎はさらに「長老さま(寺の住職)が、こわいのです」と言ったので、お七も「わたくしも、長老さま(同)はこわいです」と返す。なんとも、もどかしい恋の始まりだった。




////// 井原西鶴「好色五人女」恋に生命(いのち)をかけた吉三郎

井原西鶴の、「好色五人女」「恋草からげし八百屋物語」本文の一部を紹介しました。ふたりはこのあと、ぎこちなく情を交わし、お七はやがて再建された実家へ帰ります。

お七は江戸・本郷駒込の八百屋の娘で、天和2 (1682) 年の江戸の大火で寺に非難した際、寺小姓の吉三郎を見初めます。きっかけは暮れかかった寺の縁側で、ひとさし指に刺さった小さな棘を抜くのに難儀している吉三郎を気の毒がり、お七の母親が「手伝ってあげなさい」と、言いつけたことでした。

絵草紙・挿花の吉三郎

お七が実家へ帰ったあと、ふたりは手紙の遣り取りで胸のうちを伝えあいます。ある日、吉三郎は田舎の物売に身をやつし、お七の実家を訪ねて来ました。ところがこの日は雪が降り止まず、物売だと思われ庭先に置いておかれた吉三郎はお七の家で凍死寸前になってしまいます。下女の知らせで見に行ったお七は物売の正体が吉三郎と気がついて驚愕、両親の目を盗み自室へ運び込んで看病します。襖一枚へだてた先に両親が寝ているため、ふたりは硯と筆とで夜どおし語りあい、明け方には別れなければいけません。

お七恋しさに吉三郎がとったこの大胆な行動が、地獄の道行きの始まりでした。吉三郎の気持ちに応えようと、お七は自分もさらに大胆になろうと奮起するのです。

井原西鶴は段の終わりにこう書きます。
****************
浮世草子「好色五人女」「恋草からげし八百屋物語」(雪の夜の情宿)
又もなき恋が余りて さりとては物憂き世や

[現代語訳]
唯一無二の恋が(お七の胸に)溢れてくる。そうはいっても、いろいろ難しい世の中の決まりごとがあるのだ。
****************


ところが、その後吉三郎の手紙は途絶えます。実は吉三郎は凍死寸前になったせいで、寺へ帰ったあと高熱にうなされ長患(ながわずら)いをするのです。来ない便りを待つあいだ、お七は自分を「女心の墓場」だと感じ始めます。


平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」

やがてある風の強い日の夕暮れ、お七はふと、みんなが寺を目指して逃げていた火事の光景を思い出しました。そして小さな火煙が上がります。人々が駆けつけると、そこにいたのはお七でした。「好色五人女」では、このあいだ何ひとつ説明がありません。




////// 「八百屋お七小姓の吉三からくり口上」放火まで

◆原文
かわい吉三にあわりょうかと 娘ごころの頑是(がんぜ)なく
炬燵(こたつ)の熾(おき)を二つ三つ 小袖の小褄(こづま)にちょいと包み
隣知らずの箱梯子 ひと桁(けた)昇りて ほろと泣き
ふた桁(けた)昇りて ほろと泣き
三桁(みけた)四桁(よけた)と昇りつめ これが地獄の数え歌
ちょいと投げたる まごびさし
(たれ)も彼もが 知るまいとは思えど
天知(てんし)る地知(ぢし)るの道(どおり)にて

平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」

◆現代語訳
愛しい吉三郎さまに遭えるだろうかと、
何もわからない、子どもじみた娘ごころが高じて。
炬燵の熾(おき)を二つ三つ、小袖の褄(つま)に包んで持って、
隣の家の箱梯子を、知られないようこっそり掛ける。
ひと桁(けた)昇っては、ほろりと泣き、
ふた桁(けた)昇っては、ほろりと泣く。
三桁(みけた)四桁(よけた)と昇りつめたが、
これはまるで地獄の数え歌だ。
そうして熾(おき)を、隣の家の庇(ひさし)の中の庇(ひさし)へちょいと投げた。
近所の者は気づいたろうが、
そんな些細な罪を、誰も彼もが気づくわけはないと思ったのに。
しかし天は知る、地は知る、道理というものが、
この世にはあるのだ。




////// 井原西鶴「好色五人女」放火のあと

放火でかけつけた人々が問うと、お七は慌てる風もなく「自分が火をつけた」と白状します。その後、今日は神田、または四谷、または浅草、または日本橋と、お七は晒(さら)されて歩き、集まった見物の涙を誘います。

両親が手配したものか、髪は毎日結いなおされ、以前と同じ見目(みめ)麗しい姿です。一月(旧暦)の初め、最期だからと見物人が桜の枝を持たせると「世の哀れ 春吹く風に名を残し 遅れ桜の けふ散りし身は(春吹く風のせいで遅れ桜のように今日みだれ散ったこの身は、浮世の人にはさぞや哀れに見えることでしょうね)」と詠み、鈴ヶ森から旅立ちました。品川のあたり一帯、路地に火あぶりの煙の届かないところはなく、いっそう哀れに感じさせたと書かれます。


平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」



////// 「八百屋お七小姓の吉三からくり口上」放火のあとの、お七

◆原文
江戸橋越えて四日市 日本橋へと引き出(いだ)
是非もなく中橋(なかばし) 京橋を過ぎればもはや程(ほど)もなく
田町(たまち)九丁は夢うつつ 最期は近寄る 車橋(くるまばし)
高輪(たかなわ)十八丁の其の先が 七つ八つや 右に見て
品川おもてになりぬれば 品川おもての女郎衆(じょろしゅう)
あれが八百屋お七かえ うりざね顔で 色白で あのもみあげの美しさ
吉三が かっ惚(ぽ)れたのも無理はない
ここがおさめの泪橋(なみだばし) 鈴ヶ森にぞ着きにける
お江戸を離れた仕置き場 仕置き場
四町四方(よんちょうしほう)に矢来(やらい)をしつらいで
中に立てたる角柱(かくばしら)
かわいいお七を縛り上げ 見るも哀れな其の中へ
数多(あまた)の見物押しのけて 久兵衛夫婦はかけ来たり
これこれお七 これ娘 この世でひとめ遭いたさに 杖にすがって
あいに言い置くことがあるならば 息あるうちに言ふてくれ
これのぅお七と言う声も そらに知られぬ曇り声
わっと泣いたる ひと声が
妙法蓮華経 南無阿弥陀仏と無常の煙と立ち昇れば
ここが親子の名残 哀れやこの世の見納め

平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」

◆現代語訳

江戸橋を越えて四日市(日本橋と江戸橋のあいだ)へ。
日本橋へ至って、そのまま中橋(なかばし)へ行き、
京橋を過ぎればもう廻るべきところはない。
田町(たまち)九丁(田町九丁目は現在の港区江南2丁目あたり)は夢うつつに通り過ぎ、
最期までもう間がないとわかる、
車町(くるまちょう、現在の泉岳寺のあたり「芝車町」)の入り口・車橋(くるまばしが目に入る。
高輪十八丁の先を、七丁か八丁行ったところで
高輪を右に見て曲がり、品川おもてへ出たところ、
品川女郎衆が
あれが八百屋お七かえ、うりざね顔で、色白で、
あのもみあげの美しさをご覧よ、とざわめいた、
吉三郎が、かっ惚(ぽ)れたのも、そりゃあ無理はないやねぇと。
ここがこの世の終わりの泪橋(なみだばし)、鈴ヶ森に着いたのだ。
鈴ヶ森はお江戸を離れた仕置き場なのだ、仕置き場さ。
見物を離すため四町四方(よんちょうしほう)に矢来(やらい)を掛けまわし、
その中心に角柱(かくばしら)が立ててある。
与力が見守り獄卒たちが可愛いお七を縛り上げると、
見るも哀れ、その中へと引きずってゆく。
すると数多(あまた)の見物を押しのけ、お七の親の久兵衛夫婦がかけ寄った。
お七、これ我が娘よ。この世でひとめ遭いたさに、杖にすがって来たのだぞ。
わしに言い置くことがあるなら、息あるうちに言ってくれ。
これのぅお七と言う声も、役人に聞こえないよう、くもり声だ。
見物には久兵衛が、わっと泣いたそのひと声だけが耳に入ったことだろう。
妙法蓮華経。南無阿弥陀仏。お七は無常の煙になり、空高く立ち昇った。
これが親子の名残だった。
哀れなことだが、お七にとってはこの世の見納めだったのだ。


平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」



////// 井原西鶴「好色五人女」放火のあとの、吉三郎

お七が投獄されたことを、吉三郎は知らず高熱にうなされていました。寺ではお七恋しさゆえの病(やまい)、恋わずらいという診断でした。お七の両親が駆けつけ、吉三郎に遭いたいと言うのですが、病室を覗くと可哀そうになり、そのまま帰ってしまいます。お七が死ぬと吉三郎のいる寺で回向(えこう)が行われますが、吉三郎は「手紙は届いていないか」「お七に遭いたい」とうわごとを言うばかりです。吉三郎が布団から起き上がれるようになった時には、すでにお七が死んで百ヵ日が過ぎていました。

寺では吉三郎にお七のことを教えませんが、吉三郎は杖をついて寺の庭を散歩し、真新しい卒塔婆を見つけてその名を読むと、脇差を抜いて死のうとします。それを同輩の僧が止め「死ぬつもりならば、まずは長老さまに暇乞(いとまごい)すべき」と諌(いさ)めます。その後お七の両親が呼ばれ、お七の遺言が伝えられます。

「吉三郎様まことの情あらば、浮世棄てさせ給い、いかなる出家にもなり給いて、かくなり行く跡を訪(と)わせ給いなば、いかばかり忘れ置くまじき。二世までの縁は朽ちまじ」と。つまり「わたくしに情があれば、浮世を棄てて出家してください。そうしてわたくしの菩提を弔ってください。そのようにしていただいたなら、わたくしもけっして吉三郎さまを忘れません。生まれ変わって、またお会いしましょうね(はあと♥)」と、いうものでした。

錦絵・櫓お七



//////「幻お七」歌詞(抜粋)

◆原文
夢の浮世にめぐり逢い おもい合(お)うたる その人の
おもかげ恋し 人恋し 逢いたや見たやと 娘気の

「おお お前は吉さま」

狂い乱れて降る雪に それかあらぬか 面影の
かしこに立てば そなたへ走り ふっと見上げる櫓(やぐら)の太鼓

「あれあれ 吉さまを連れて何処へ」
「ええ 憎い恋知らず 返しゃ 戻しゃ」

打つやうつつか幻を 慕(しと)う梯子の 踏みどさえ
一足づつに 消ゆる身の
(はて)は紅蓮(ぐれん)の氷道(こおりみち)
危うかりける次第なり

平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」

◆現代語訳
確かなものなどない人の世にもかかわらず、
夢のように出会いが叶い、
相愛となることができた、その人の
おもかげが恋しい、その人が恋しい、逢いたい、見たい、
その娘ごころを、わかってください。

「おお、そこにいるお前は、吉さまではないか」

さてもこうして、狂い乱れるように降る雪のなか、
あるかないか、わからないほど微(かす)かな面影が、
お七の目には見えている。
幻影がそちらへ立ったと見ると、そちらへ走り寄り、
ふっと見上げたところ、そこに火の見櫓の太鼓があった。

「あれあれ、吉さまを連れて何処へ行くのじゃ」
「ええ、憎い奴め。わたしたちの恋を知らず、邪魔をするか。吉さまを返せ、戻せ」

お七は邪魔者を打とうとするのだが、
それが現(うつつ)か幻(まぼろし)か、もう、わからない。
吉三郎を慕って昇る梯子の踏み板は、ひと足ごとの死への道行き。
その果てに紅蓮地獄(ぐれんじごく)の待ち受ける、氷の道なのだけれど。
お七が危うい道へ踏み込んだのは、こういう事情だったので、ございますよ。

//////


平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」


「好色五人女」にも「(通称)八百屋お七からくり口上」にも火の見櫓(やぐら)は登場せず、お七が半鐘(はんしょう)を叩くエピソードは出てきません。ですが演出上の効果を考えれば、「火の見櫓」を出す程度のファンタジーは仕方がないと感じます。

ちょっと隣家の箱梯子を借りて登り、隣の家の庇(ひさし)の上にちょこちょこっと炬燵の熾(おき)を撒いたところ折からの雪でジュッと消える、では、舞台が成立しないです。コントであれば、やってみたいと思いますが(笑)

※  ここが地獄の一丁目。「幻お七」という踊り、の記事はこちら
※  八百屋お七、地獄の便り。「幻お七」全訳、の記事はこちら





研究書ではないので史実は気にせず、演目の作者が参考にしたと言われる物語だけを追ってみました。演じるときの、お七の心情を理解する参考になれば嬉しく存じます。

踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







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