平成28年、仙台電力ホールで踊った、「玉屋」という踊りの紹介の続きです。
////// 概略
天保3年(1832)、中村芝翫(4代目 中村歌右衛門)が初演した、「おどけ俄煮珠取(おどけにわか しゃぼんの たまとり)」という、四変化舞踊のひとつです。
浮世絵「深川永代(富岡八幡宮)の祭礼の賑わい」 |
■四変化■
(1) 清元「しゃぼん玉売」
(2) 長唄「恵比寿」
(3) 長唄「龍王」
(4) 長唄「海士」
■作曲■
作曲:初代 清元斎兵衛(きよもとさいべえ、生没年不詳)
■作詞■
2代目 瀬川如皐(せがわじょこう、1739~1794年)
■振付■
振付:2代目 藤間勘十郎(ふじまかんじゅうろう、1823~1882年)
平成28年、仙台電力ホール、歌泰会「玉屋」 |
//////「玉屋」に含まれる、流行歌まとめ
以前に公開した「玉屋という踊り」の記事では、清元「玉屋」にどのような流行歌が取り込まれているかを追いました。「玉屋」は、まるで江戸の流行歌の集大成です。
(1)コチャ節(コチャエ節のひとつ、紹介したのは「坊さん忍ぶ歌」)
坊さん忍ぶにゃ闇がよい 月夜には 頭がぶうらりしゃあらりと コチャ 頭がぶうらりしゃあらりと
(2)コチャカマヤセヌ節(コチャエ節の原型、紹介したのは「坊さん忍ぶ歌」)
坊さん冷やかし闇がよい 月夜には 衣の袖がブウラシャラ こちゃ 何でもかんでも カマヤセヌ
(3)山家鳥虫歌(さんかちょうちゅうか、江戸中期の民謡集)
佐渡と越後は筋向ひ、橋を架きょやれ船橋を(おけさ節が元)
これらの流行歌と下記の史実をこきまぜ、「六十六部殺し」または「巡礼殺し」と呼ばれる江戸のタブーを、「石が流れて木の葉が沈む(物事が道理どおりにゆかないこと・理不尽なことをあらわす)」ことわざをもじり、「ちょぼくれ」風におどけて見せます。
※重たい笈(おい)が流れ、より軽い錫杖(しゃくじょう)が沈む、という歌詞があります。
(4)前九年の役(1951~1062年)「衣川の戦い」
年を経(ふ)し糸の乱れの苦しさに 衣のたてはほころびにけり
(5)永代橋落下事件(文化4年、1807年8月19日、死傷者のべ1000人以上)
永代(えいたい=永遠)と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼(大田南畝作、1749~1823年)
内容がそうなった原因は、巡礼殺しの歌の大流行にあるようです。
(6)ちょぼくれちょんがれ紀州焼山峠巡礼殺(きしゅうやきやまとうげ じゅんれいごろし)
六十六部が殺されるわけではなく、殺された巡礼親子を六十六部が弔う物語です。
平成28年、仙台電力ホール、歌泰会「玉屋」 |
ところで、自分はあることを不思議に感じています。そもそも清元「玉屋」は、どうして「玉屋」と呼ばれたのでしょう。もちろん歌詞の中で自分から「玉屋」と名乗ります。でも、どうして? この物売りの江戸期の一般的な呼び名は、「玉屋」ではなく「しゃぼん(玉)売」なのです。現在手に入るかぎりの「邦楽年表」を見ても、記載の上演タイトルは、当然全部「しゃぼん玉売」です。
この舞踊歌詞だけが「しゃぼん(玉)売」を「玉屋」と呼ぶのが、少しばかり奇妙です。そのうえどう考えても、江戸の庶民がこの舞踊を「玉屋」と呼んで親しんだのは、唄に出てくる「大きな屋敷にしのびこみ女を連れ出そうとして、けつまづいて不首尾に終わる」エピソードのせいです。
このエピソードは、江戸の庶民には馴染みの深いものでした。ただし、舞踊「玉屋」が元ではありません。実在か架空かわかりませんが、これは江戸期伝説の美男子「玉屋新兵衛(たまや しんべい)」のエピソードです。
わたしは清元「玉屋」は、流行歌で有名な美男子「玉屋新兵衛(たまや しんべい)」の唄ではないか、と疑っています。だから振付が、めちゃくちゃ色っぽいのじゃないかしらん。
//////「玉屋」の伝説
錦絵「玉屋新兵衛」 |
「玉屋」というのは元は「綿屋」や「廻船問屋(かいせんどんや)」出身の「両替商」を指した屋号らしく、多くの豪商伝説が残っています。伝説では財を成した玉屋が晩年になって一人息子に恵まれ、嬉しいあまり甘やかして育てたせいで傾城狂いとなり、親として苦労する物語や歌がたくさん残っています。
放蕩息子は登場しませんが、「玉屋の椿」という御伽噺(おとぎばなし)もあります。大金持ちの玉屋が、一人息子かわいさのあまり理性を失ってゆく、悲しい物語です。
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- 伝承「玉屋の椿」-
家族ですら信用できなくなった豪商・玉屋徳兵衛は、庭の椿の根元へ金銀財宝を埋めて隠します。ところが湯湯治(ゆとうじ)に行った先で、湯治客(とうじきゃく)が「玉屋の椿、枝は白金(しろがね)、葉は黄金(こがね)」と唄うのを聞いて驚き、あわてて帰って庭の椿を見たところ月夜に浮かぶ木は、本当に白金黄金(しろがね こがね)に染まっていました。
徳兵衛はそこで気絶し、その後は歩くことさえできなくなります。やがて臨終のとき、徳兵衛は介抱してくれた妻に詫び、椿の根元から金銀を取り出すよう言い残します。ところが妻が行っても、普通の椿しかありません。どの木の根元を掘ってみても、金銀財宝は出ませんでした。
いっぽう、北前船(きたまえぶね)行き交う九頭竜川(くずりゅうがわ)河口の「三國湊(みくにみなと、現在の福井県坂井市三国町)」には、武家の姫君が家臣の裏切りにあって女郎に落ち、出村新兵衛と玉屋新兵衛という二人の「新兵衛」の助太刀のもと、みごと仇討ちを果たす伝説があり、三國節や地元の「傾城三國ヶ浦 二人新兵衛之段(けいせいみくにがうら ににんしんべいのだん)」という演目の中に伝わっています。
この「玉屋新兵衛」が、「玉屋伝説」の一人息子かどうかはわかりません。が、いつの頃からか二つの伝説はひとつになり、浄瑠璃や流行歌に唄われ、親しまれていたようです。
絵草紙・志満山人作「玉屋新兵衛桶伏」の小女郎 |
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- 作者不詳「三國玉屋踊(みくにたまやおどり)」松の落葉集-
三國玉屋の新兵衛を見たか 三國いちのやさ男 まるでまるで
繻子(しゅす)の鬢付刷毛長(びんつけ はけなが)に釣(つり)びんびん
なぜに小鶴(こつる)は出て待たぬぞ さつこのしょ
聞けば たらふくつるてんてん だらふくだらふく たんたらふくつるてん
ふくつんゆふはこうしにまつのをの 新兵衛(しんべ)どの 〽さつこのしょへ返し
[現代語訳]
三國玉屋の新兵衛を見たかい、三國(みくに)いちのやさ男を。
まるでまるで繻子(しゅす)のような艶やかな鬢付まげを、
侠客のように長く結ってビンビンと。
どうして恋人の小鶴は出て待たないかと聞いてみれば、さてこそ。
聞けば、腹がふくれて、つるてんてんとさ。
腹がふくれてふくれて、たんたらふくつるてんさ。
ふっくらつんと髪を結うのは、
「格子に入れられた松尾」こと、玉屋の新兵衛(しんべ)どの。
〽さてこそ、へ戻る
元禄期に非常に流行したという、この「三國玉屋踊」をもとに多くの芝居や踊りが生まれました。中でも有名なのは江島其磧(えじま せき、1667~1736)作「傾城歌三味線(けいせい うたじゃみせん、1732年刊行)」と、初代 並木五瓶 (なみき ごへい、1747~1808年)作の歌舞伎狂言「富岡恋山開(とみがおか こいの やまびらき、1798年、江戸・桐座初演)」です。
//////「傾城歌三味線」あらすじ
越前・三國の綿屋から両替商になった豪商・玉屋新右門は久しく子がなかったが、不意に息子に恵まれ、たいせつに育てた。この子新兵衛は、大人になると大変な美男子になった。玉屋は苗字を「松尾」と名乗っていた。同じ頃、三國の出村遊郭に小女郎という、美貌と才覚に溢れた太夫がいた。二人は恋に堕ち、小女郎は新兵衛の子を生むと、子連れで花魁道中して世間を驚かせた。しかし新兵衛の父・新右門は、新兵衛が生まれる前に迎え厳しく育てた養子の手前、実子をこれ以上あまやかすことができずに新兵衛を勘当した。それでもあいかわらず小女郎を貸切にしたため、新兵衛は代金を支払えなくなり、「桶伏(おけふせ)」という遊郭の私刑を受ける羽目になる。
絵草紙・志満山人作「玉屋新兵衛桶伏」 |
「桶伏(おけふせ)」は大きな桶を逆さにして閉じ込め、揚屋の庭先に放置するもので、小女郎は新兵衛の借金を用立てるため、みずから島原へ身売りする。
京・島原遊郭では「越路(こしじ)」と名を変えて出た小女郎の揚屋へ、苗字「松尾」を「十八公(じゅうはっこう、「松」を分解)」ともじり、風流芸人になった玉屋新兵衛が主(あるじ)のお供で訪れる。二人は旧交を温めたいが、十八公の主(あるじ)・三木の手前、玉屋新兵衛は身を引かざるをえない。越路こと小女郎もあきらめて期限つきで三木に身請けされ、二人は再び別れ別れになる。
身請けされた越路だが、三年後ふたたび女郎に出て今度は「吾妻」の名で大阪・新町遊郭へ身を沈めている。それを知った玉屋新兵衛が小女郎を連れ出そうと忍んできて、深夜に揚屋の門を飛び越え、石にぶつかって動けなくなる。新兵衛は介抱もされず牢へ入れられると(「格子に入れられた松尾」)、大門(おおもん)へ七日晒さすと言われ夜明けを待って男たちに折檻されながら廓中(くるわじゅう)を引きずり廻される。そこへ新兵衛の父・新右門と、新兵衛の妻の父親が駆けつけ、小女郎と新兵衛を身請けして助け出した。
小女郎は出家して寺へ入り、小女郎が産んだ娘は新兵衛と妻のあいだの正式な子になった。代替わりした玉屋はますます繁盛し、めでたく物語の終わりとなる。
清元「玉屋」の歌詞に、
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吹けば飛ぶよな玉屋でも お屋敷さんのお窓下
犬にけつまずいて オヤ馬鹿らしい
とあります。「傾城歌三味線」では「いぬ」ではなく「いし」に足をぶつけて怪我をするのですが、状況は似ています。玉屋新兵衛と小女郎を描く作品のすべてで、玉屋新兵衛は夜陰に乗じて小女郎の客の別宅もしくは揚屋へ忍び込み、しくじったあげく捕まってしまうのです。
要するに、勘当され、桶伏(おけふせ)され、流血したうえ縄目(なわめ)にかけられ、敵や廓(くるわ)の用心棒に打(ぶ)たれて引きずりまわされる絶世の美男子・玉屋新兵衛です。被虐のヒーローとでも言うのでしょうか。時代の好みのようです。
錦絵・玉屋亀戸(新兵衛) |
歌舞伎狂言「「富岡恋山開(とみがおか こいの やまびらき」は、その名のとおり「富岡八幡宮」のある深川(現在の東京都江東区)が舞台の物語です。内容的には出村新兵衛が玉屋新兵衛と一緒に登場する通称「二人新兵衛(ににん しんべい)」で、小女郎が主人公の「お家再興」ものです。富岡八幡宮は清元「玉屋」の舞台でもある、宵宮俄(よいみや にわか)が行われる神社です。
////// 清元「玉屋」歌詞、原文
さあさあ 寄ったり見たり 吹いたり評判の玉や玉や
商う品は 八百八町 毎日ひにちお手遊び
子供衆寄せて辻々で お目に掛値(かけね)のない代物(しろもの)を
お求めなされと たどり来る
今度仕出しぢゃないけれども お子様がたのお弄(なぐさ)み
ご存知しられた玉薬 鉄砲玉とは事替わり
当たって怪我のないお土産で
曲はさまざま大玉(おおだま) 小玉(こだま)
吹き分けは その日その日の風次第
まづ玉尽くしで言おうなら
たまたま来れば人の客 なぞと知らせは 口真似の
こだまもいつか呼子鳥(よぶこどり)
たつきも知らぬ 肝玉(きもだま)も しまる時には十露盤玉(そろばんだま)の
堅い親爺に輪をかけて 若い内から数珠の玉
オットとまった性根玉(しょうねだま) しゃんと其処等(そこら)で とまらんせ
とまるついでにわざくれの 蝶々とまれをやってくりよ
蝶々とまれや 菜の葉にとまれ
菜の葉いやなら葭(よし)の先へとまれ
それ とまった葭(よし)がいやなら木にとまれ
平成28年、仙台電力ホール、歌泰会「玉屋」 |
つい染め易(やす)き廓(さと)の水
もし花魁(おいらん)へ 花魁(おいらん)へと 言ったばかりで跡先(あとさき)は
恋の暗闇辻行燈(つじあんどん)の 陰で一夜(ひとよ)は立ち明かし
格子のもとへも幾たびか 遊ばれるのは初めから
心で承知しながらも 若(も)しやと思う こけ未練
昼のかせぎも上の空 鼻の先なる頬冠(ほうかむ)り
吹けば飛ぶよな玉屋でも、お屋敷さんのお窓下
犬に蹴爪(けつま)づいて オヤ馬鹿らしい
口説きついでにおどけ節
伊豆と相模はいよ国向かい 橋を懸きょやれ船橋を
橋の上なる六十六部が落っこちた
笈(おい)は流るる 錫杖(しゃくじょう)は沈む
なかの仏がかめ泳ぎ
坊さん忍ぶは闇がよい 月夜には頭がふらりしゃらりと
のばさ頭がぶらりしゃらりと
こちゃかまやせぬ 衣の袖の綻びも かまやせぬ
折も賑わう祭礼の 花車(だし)の木遣(きやり)も風につれ
エンヤレヨ
いともかしこき御世(みよ)に住む、江戸の恵みぞ有難き 有難き
////// 清元「玉屋」歌詞、全現代語訳
さぁさぁ、寄ったり見たり、吹いて評判の玉屋をご覧ください。
商う品は、お江戸八百八町に知らない者のない、いつでも出来る手遊びの品。
子どもたちが町の辻々で遊んでいるもの、
掛け値なし、低価格の良い代物(しろもの)を、きっとお目にかけやしょう。
そう呼びかけ、あちこち寄りながらやって来たシャボン売の男。
平成28年、仙台電力ホール、歌泰会「玉屋」 |
新趣向ではありゃしませんが、
お子さまがたが喜んでくれる玩具(おもちゃ)です。
こちらは皆さまご存知の玉薬(たまぐすり)で、鉄砲玉とはこと違い、
当たって怪我のないお土産です。
出来上がりはさまざまに、
大きくなることもあれば、小さくなることもござりやす。
大小を吹き分けるのは、その日その日の風次第。
まず、玉尽(たまづ)くしを申し上げるならば、
たまに寄ってみたところ遊郭のならいで
「いちげんの客、知らない客」と冷たくあしらわれ、
なぜと聞くのへ意地悪で、答えて知らせるのを、
口真似のようなオウム返しで返されたりする。
口真似といえば、言葉を真似る木霊(こだま)は、
いつか呼ばうばかりの、カッコウになっちまうものらしい(なっちまえよ)。
所帯のことなぞわかりもせず威勢よく散財した肝っ玉野郎が、
気づいて閉まる、十露盤球(そろばんだま)に。
かたぶつ親爺に輪をかけて、
その息子が若いうちから数珠玉(じゅずだま)大事。
おぉっと、とめとけ、その野蛮な性根玉(しょうねだま)、
ちゃんとそこらで、とめておいてくださんせ。
とめるついでにおふざけで、蝶々とまれの手わざを見せろと、そう言うのかい。
平成28年、仙台電力ホール、歌泰会「玉屋」 |
蝶々とまれや、菜の葉にとまれ。
菜の葉が嫌なら、葭(よし)の先へとまれ。
それ、とまった葭(よし)がまた嫌なら、今度は木へでもとまってしまえ。
気づいたときには染まっている廓(くるわ)の水、
花魁さんよ、花魁さんよ、と声をかけるが後先(あとさき)は考えない。
しょせん恋は暗闇、
辻行燈(つじあんどん)の、陰に隠れて一晩中を立ち明かす。
格子を覗いてみるのも、もうこれで何度めか。
遊ばれているのは、最初からだ。
会えないと心は承知していても、もしかして、と思う男の未練。
昼の為事(しごと)もうわの空、
夜には頬冠(ほうかむ)りの先を鼻に結んでしのび足。
シャボンのように吹けば飛ぶような玉屋でも、
お武家さんの大きな屋敷へしのびこみ、
窓の下で犬にけつまずいて、馬鹿らしいことになるものだ。
口説き話のついでに、おどけてみようか。
ソレ、伊豆と相模の国は、向かい合っているのだから。
橋をかけるのはどうかな。恋人どうしが渡れる、船を繋げただけの簡単な橋をね。
恋人どうしは会いたいときに、会えないとね。
絵草紙「六十六部」 |
その橋から落っこちて、
お経の入った道具箱は流れていってしまい。
錫杖(しゃくじょう)は川に沈み、
道具箱の中のお仏(ほとけ)さんが、
亀泳ぎ(ひらおよぎ)で、ゆうゆう去って行っちゃったりしてね。
坊さんが女のもとへこっそり出かけるなら、闇夜が良いよ。
月夜だと、月に照らされて禿頭がぶらり、しゃらりとね。
首をのばすと禿(はげ)頭がぶらり、しゃらりと、
月影に浮かんだりしてね。
コチャカマヤセヌ。お武家さんは気にするようですが、
年期を経たせいで衣の袖が少しほころんでいようが、
それが女にかまけたあげくのことだろうが、あたしらいっこうカマヤセヌ。
平成28年、仙台電力ホール、歌泰会「玉屋」 |
そんな折に祭りが始まり、
花いっぱい飾り付けた山車(だし)がやってくると、
木遣(きやり)が風につれ、オーエンヤリョーと響きます。
まことに畏(おそ)れおおくも平和な時代に生きているものだな、あたしらは。
江戸の栄えは、ありがたいことでございますねぇ。
//////
シャボン玉売を描いた江戸の風俗舞踊と紹介されることが多い「玉屋」ですが、本当のところ、シャボン(玉)売の趣向を借りた「玉屋新兵衛」の踊り、のように思います。
※「玉屋」という踊り、の記事はこちら
「玉屋」は本当に、色っぽい踊りです。ご見物さまも演者も、両方が愉(たの)しいと感じる踊りですね。
踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved. |
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