2019年1月12日土曜日

「玉屋」という踊り




ある年の深川八幡祭り(正式名称:富岡八幡宮例祭、江戸三大祭りのひとつ)の宵宮(よいみや)に、俄(にわか=即興狂言)が奉納されようとしています。

八幡さまは豊穣の神、海を守り、雨をふらせ、大地に豊穣をもたらしてくださいます。

なので俄(にわか)には、まずは海神「恵比寿」さまが登場し、そのあと雨乞いの「龍王(八大竜王など)」の舞が奉納されます。

あれれ、龍つながりで「玉取海人(たまとりあま、藤原不比等=ふじわらの ふひと、が龍に奪われた面向不背玉=めんこう ふはいの たま、を竜宮城から取り戻した伝説)が始まりましたよ。まぁ、これはいちおう、龍が出てきますからね、ふむふむ。

おや、つづいて「玉屋(シャボン玉売り)」が始まりました。玉つながりですね、でも変ですねぇ。玉つながりは、さすがにないですよ。

今年の宵宮俄(よいみや にわか)は、変ってますねぇ。

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※被虐のヒーロー!玉屋新兵衛と清元「玉屋」全訳、はこちら




という舞踊が、本名代(ほんなだい)「おどけ俄煮珠取(おどけ にわか しゃぼんの たまとり)」です。4代目 中村歌右衛門が狂言「本朝丸艫舳稲妻(ほんちょう まるともべの いなづま)」の大切 (おおぎり) に踊った、四変化舞踊の〆の踊りです。

作詞は2代目 瀬川如皐(せがわ じょこう)、作曲は初代 清元斎兵衛(きよもと さいべえ)で、天保3年(1832)7月、江戸・中村座にて初演されました。

「玉屋」の中では、まずは売立ての口上(こうじょう)があり,玉づくしがあり,三下がり(三味線転調)の「蝶々とまれ」が唄われると,郭(くるわ)ばなしのクドキに入り,当時流行の「おどけ節」がたっぷり披露されてから、大団円の祭りばやしで幕となる、変化に富んだ愉(たの)しい踊りです。





////// 内容

道具入れの小箱を首から提げ傘をさした「玉屋」が、子どもたちを前に面白おかしく「玉づくし」を語るという体(てい)には、なっています。しかし子ども向けなのは最初の「口上」と「玉づくし」、「蝶々とまれ」まで、そのあとは大人向けのえげつない唄が続きます。子ども向けの踊りではありません。


ちなみに「玉屋」とは、しゃぼん玉用の道具を売って歩いた香具師(やし)のことで、一般には「さぼん売り」「しゃぼん玉売り」などと呼ばれました。

平成28年、歌泰会「玉屋」


「おどけ節」には「コチャエ節(お江戸日本橋で有名)」「コチャカマヤセヌ節(コチャエ節の原型)」など、当時の流行歌が取り入れられています。

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-大分県竹田市の座興歌-
坊さん忍ぶにゃ闇がよい 月夜には 頭がぶうらりしゃあらりと コチャ 頭がぶうらりしゃあらりと(坊さん忍ぶ唄、とも呼ばれます)

-山梨県鳴沢村の座興歌-
お前も見たか おれも見た お御嶽の コラドッコイ お神楽殿は 八つ棟 コチャお神楽殿は 八つ棟 コチャカマヤセヌカマヤセヌ ドッコイ

-江戸の祝祭歌(「山家鳥虫歌」より)-
佐渡と越後は筋向ひ、橋を架きょやれ船橋を
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また、おどける内容が不謹慎きわまりなく、たとえば前九年の役「衣川の戦い」での源義家(みなもとの よしいえ)と安倍貞任(あべの さだとう)の和歌の遣り取り、その後の「しどもなや」までは、まさかのハゲつながり」です。

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-前九年の役(1951~1062年)「衣川の戦い」-
敗走する安倍貞任を引きとめようと、源義家が「衣のたてはほころびにけり(甲冑の袖がほころびてます、もうあとがないですよ)」と下の句を読んで声をかけたところ、貞任は命を惜しまず馬を返し「年を経(ふ)し糸の乱れの苦しさに(はい、長く続いた世の乱れのせいで)」と上の句を読んだ。義家は同情をもよおし、ハゲていた弓(矢をつがえていた弓)を下ろすと貞任を去らせた。

-陸奥国衣川館(1189年)「衣川の戦い」-
朝廷の命を受け藤原泰衡(ふじわらの やすひら)が源義経(みなもとの よしつね)の居宅・衣川館を急襲、武蔵坊弁慶、鈴木重家、亀井重清らが、わずか10数騎で防戦し全員戦死もしくは自害した。平泉の兵に囲まれた義経は抗戦せず、正妻・郷御前と4歳子を殺したあと自害。
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深川八幡(富岡八幡宮)の参道入り口である「永代橋落下事件(文化4年、1807年8月19日、死傷者のべ1000人以上)と、六十六部こと「六部殺し」も、おどけ節に取り入れられています。

「六部殺し」とは江戸時代後期に広がった因縁話で、法華経を66回書き写し一部づつ66か所の霊場に納めて歩く巡礼者(回遊僧侶)を略して「六部」と呼び、これを殺すと自分の子どもに生まれ変わるという怪談です。

三遊亭圓朝(1839~1900)の落語「もう半分」や、夏目漱石(1867~1916)の散文「夢十夜」で有名です。

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-もう半分ー
六部殺しで大金を得た夫婦が子宝に恵まれるが、その子がものごころつく頃には化け物になって、夜ともなると行灯の油を舐める。父親が「おのれ、迷ったか!」と呼びかけたところ、化け物(子ども)が振り向き「おっとう、もう半分(ちょうだい)」と言う。

-夢十夜-
子どもを背負って歩いていると、その子が急に重くなり、「ここで御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」と言う。
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あぁ、こわいこわい。。こわいよぅ。


平成28年、歌泰会「玉屋」

////// 歌詞(結びのみ)

-原文-
吹けば飛ぶよな玉屋でも お屋敷さんのお窓下
犬にけつまずいて オヤ馬鹿らしい
口説きついでにおどけ節
伊豆と相模(さがみ)はいよ国向かい
橋を架(か)きょやれ 船橋を
橋の上なる六十六部が落っこった
(おい=お坊さんが仏具を入れる持ち運び用の箱など)は流るる
錫杖(しゃくじょう)は沈む 中の仏がかめ泳ぎ
坊さん忍ぶは闇がよい
月夜には あたまがぶらりしゃらりと のばサ頭がぶらりしゃらりと
コチャカマヤセヌ
衣の袖のほころびも構やせぬ しどもなや
折も賑(ふる)う祭礼の 花車(だし)の木遣りも風につれ
オーエンヤリョー
いとも畏(かしこ)き御代(みよ)に住む
江戸の恵みぞありがたき

平成28年、歌泰会「玉屋」

-現代語訳-
シャボンのように吹けば飛ぶような玉屋でも、
夜半に女のもとへ通おうとして、お武家さんの屋敷にしのびこみ、
窓の下で犬にけつまずいたりして、馬鹿らしいことになるものだ。
伊豆と相模の国は、向かい合っているのだから。
橋をかけるのはどうかな。恋人どうしが渡れる、船を繋げただけの簡単な橋をね。
恋人どうしは会いたいときに、会えないとね。

法華経を六十六ヵ所の寺へ奉納しようという諸国回遊の坊さんが、
その橋から落っこちて、
お経の入った道具箱は流れていってしまい。
錫杖(しゃくじょう)は川に沈み、
道具箱の中のお仏(ほとけ)さんが、
亀泳ぎ(ひらおよぎ)で、ゆうゆう去って行っちゃったりしてね。

平成28年、歌泰会「玉屋」

坊さんが女のもとへこっそり出かけるなら、闇夜が良いよ。
月夜だと、月に照らされて禿頭がぶらり、しゃらりとね。
首をのばすと禿(はげ)頭がぶらり、しゃらりと、月影に浮かんだりしてね。

コチャカマヤセヌ。お武家さんは気にするようですが、
年期を経たせいで衣の袖が少しほころんでいようが、
それが女にかまけたあげくのことだろうが、あたしらいっこうカマヤセヌ。

そんな折に祭りが始まり、
花いっぱい飾り付けた山車(だし)がやってくると、木遣(きやり)が風につれ、
オーエンヤリョーと響きます。
まことに畏(おそ)れおおくも平和な時代に生きているものだな、あたしらは。
江戸の栄えは、ありがたいことでございますねぇ。


平成28年、歌泰会「玉屋」

////// 演出・振付

振付は2代目 藤間勘十郎とも言われます。
皮肉としゃれがきいた歌詞に合わせ、粋にイナセに踊ります。

主人公が香具師(やし)であり、女のもとへ忍んで行くエピソードや破戒坊主の災難が面白おかしく語られるせいか、偽悪的で男性の魅力全開な、色っぽい振りになっています。

ほんとうのところ、色っぽいと言ってよいかはわかりません。ただ、踊りの中で使われる町衆男性の「型」が、もれなく披露される印象です。全体に「おどけ」ているため、型をきちんと習得せずに踊ると、たんなる「痴(し)れ踊り」になってしまいます。おもしろい踊りですが、難しい演目でもあります。

※被虐のヒーロー!玉屋新兵衛と清元「玉屋」全訳、はこちら





平成28年(2016)、仙台電力ホール「歌泰会」で踊った「玉屋」という踊りの紹介を、もうしあげました。

踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







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