先日公開した、長唄「鏡獅子(春興鏡獅子)」という踊りの説明の、続きです。
※獅子だらけ、長唄「鏡獅子」(舞踊鑑賞室)
※人生いろいろ「鏡獅子」という踊り
※阿国歌舞伎の系譜。長唄「鏡獅子」全訳
9代目 市川団十郎(1838~1903年)に「たいせつに育てた娘たちには、踊らせたくない」と思わせてしまった長唄「枕獅子」ですが、これが演目としてはとても素晴らしいものです。明治期の演劇改良運動で、その価値まで否定されてしまった感があるのは残念なことです。
「娘に踊らせたくない」云々は、伝統芸能の継承という目的の前では意味がありません。時代の理想像で新作するのも良し、そのまま保存するのも良しですが、保存すべきものは保存できるうちにしておいていただきたいものです。
ということで、何か心に響く唄ですのでここで是非、歌詞を紹介させてください。踊る踊らないは、好きにしたら良いのです。ちなみに自分も踊っていないため、写真は「春興鏡獅子(しゅんきょう かがみじし)」です。はい、ごめんなさい。
扇獅子(おうぎじし) |
////// 長唄「枕獅子」概略
■本名題■
英獅子乱曲(はなぶさ ししのらんぎよく)
■初演■
寛保2年(1742)、江戸・市村座にて初代 瀬川菊之丞(1693~1749年)が初演
■作曲■
不詳
■作詞■
初代 瀬川菊之丞(初代 瀬川路考、1693~1749年)
作曲は杵屋新右衛門(生没年不詳)だろう、と言われています。三味線・唄は松島庄五郎(生年不詳~1764年)と坂田兵四郎(1702~1749年)、黄金コンビが務めました。
作者・瀬川菊之丞は獅子ものを得意とした人気女形で、後段の獅子も女形のまま演じたと言われます。ただし「手獅子(てじし)」を使ったか「扇獅子(おうぎじし)」を使ったかは曖昧で、本によって違います。いずれにせよ傾城の扮装のまま、獅子を手に持って演じたことは確かです。振付は明治期に断絶してしまい、わからなくなりました。
唐獅子の屏風 |
////// 長唄「枕獅子」のなりたち
長唄「枕獅子」は、芳沢金七(生没年不詳)作曲、初代 瀬川菊之丞(1693~1749年)作詞、地唄「石橋」をもとに作られたといわれます。
享保19年(1735)に初演されたらしいこの演目は、別名「番(つがい)獅子」とも呼ばれ「獅子もの」の歴史では重要な位置を占めるものです。後年の安永4年(1764)初演、長唄「番(つがい)獅子(本名題「袖模様四季色歌」)との関係はよくわかりません(あまり似てません)。
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地唄「石橋」概略
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・通称:「番獅子(つがいじし)」
・初演: 享保19年(1735)。杵屋喜三郎の三味線、瀬川菊之丞(1693~1749年)
・作曲: 芳沢金七(生没年不詳)・若村藤四郎(生没年不詳)
・作詞: 初代 瀬川路考(瀬川菊之丞、1693~1749年)
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地唄「石橋」歌詞(一部)
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面白や 時しも今は牡丹の花の咲きやみだれて
散るは散るは 散り来るは 散るは散るは 散りくるは
散れ散れ散れ 散れ 散りかかるようで おいとしうて寝られぬ
花見て戻ろ 花にはうさおも打ち忘れ
(現代語訳)
風流なことに、ちょうど今どきは牡丹の花が咲き乱れる時期。
今にも散り始めそうで、
今にも散り始めそうで、
ちれちれと、散り始めるように見えて、あぁ、心配で夜も寝られない。
だからまた、花を見に行っては戻るを繰り返す。
花を見ればつらい浮世を、忘れることができるから。
なお、ほとんどの獅子ものは謡曲「石橋(しゃっきょう)」が起源だとされています。さらに言えば謡曲「石橋(しゃっきょう)」は、「牡丹」の描写を唐の詩人・白居易(はっきょい、772~846年、あざな「楽天」で「白楽天」)の詩「牡丹芳(ぼたん よし)」から取っています。どの部分が謡曲「石橋(しゃっきょう)」オリジナルで、どの部分が漢詩「牡丹芳(ぼたん よし)」かは、註解の方で説明しますね。
//////「枕獅子」歌詞・註解(歌詞に登場する順序で取り上げています)
◆あらすじ
傾城は客と枕を並べる生業(なりわい)に疲れ、二十そこそこの若さにもかかわらず「冷たい女」と噂されている自分自身に、心底嫌気が差している。馴染みの相手は気のきかない男で、傾城の悩みをいたわるどころか、来ると言っておいて来ないことさえある。ある朝、髪を上げず後ろで結んだだけの簡単な身支度でこの男を二階から見送ったあと、傾城は寂しさと自責の念から次第に物狂いになる。
◆川崎音頭
長唄に取り込まれた伊勢音頭は、いわゆる「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」系の参詣端唄や巡礼端唄ではありません。もとは「間(あい)の山節」という伊勢の民謡に、伊勢近在の川崎(伊勢市河崎)の音頭=川崎音頭が混ざったものです。それを伊勢の内宮と外宮(げくう)のあいだにあった旅籠(たびかご)で遊女たちが歌い踊り、広めたようです。
「間(あい)の山節」も「川崎音頭」も、「おけさ節」のように相互関係のない短歌を並べた唄ではなく、一貫したテーマと音曲をもった長い歌です。
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間(あい)の山節(一部)
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ゆふべ朝(あした)の鐘の声 寂滅為楽(じゃくめついらく=「涅槃経」より)と響けども 聞いて驚く人ぞなき 花は散りても春は咲く 鳥は古巣へ帰れども 行(ゆ)きて帰らぬ死出の旅
(現代語訳)
朝も夕も聞こえる梵鐘の音、「真のよろこびは煩悩を越えた先の涅槃にある」と、説くように響くけれど、それを聞いたからといって、いまさら驚く人なぞいなかろう。花は散っても春はまた来る。鳥はあちこち飛び廻ってもいつか古巣に帰るものだが、死出の旅ばかりは、行けども帰る道はない。
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川崎音頭(一部)
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はるばると きつつなれにし花笠や
ついの小袖に ついの帯 姿うつくし旅の空
関の清水にかけうつす 水に鏡は筒井筒
ふりわけ髪も 程(ほど)すぎて 夜ごと夜ごとの通い路(ぢ)に
(現代語訳)
はるばるとやってきたものだ。同じものを着て、着慣れ馴染んでやってくる花笠衆。
揃いの小袖に揃いの帯。姿美しい、旅の空の衆。
関の清水でとるお潔(きよ)めの、水鏡に映る筒井筒の人、
幼な髪が肩より先へ伸びるころ、夜ごと通ってきたお前の面影。
昭和51年、迫体育館、歌泰会「鏡獅子」 |
◆平元結(ひらもとゆい)
「丈長(たけなが)」とも言う巫女のような髪型。要するに下の方へ結んだポニーテールで、髪を上げない簡易な結い方。
◆ひぞりも鶴のはしたなく
ひぞりは「曲がる」こと、「鶴のはし」は鶴の嘴(くちばし)です。江戸期の流行歌や長唄に、結婚しない男女の腐れ縁のような長い関係を「鶴」にたとえるものがあります(歌木検校作「あやづる」など)。ここでは「曲がった笄(こうがい)は鶴の嘴(くちばし)に似ているじゃない。あァ我ながら、こんな宙ぶらりんな恋が嫌になる」と、いう意味になります。ちなみに「はしたなし」は、「はしなし(端無し)」と同語で、「どっちつかずの状態」を表わす言葉です。
◆二階の梯子
女郎は初回のお客は揚げ屋の出入り口まで見送りに出ますが、馴染み客には二階で別れます。
◆朧月夜や時鳥(ほととぎす)
ほととぎすは夜にも啼(な)くのですが、美声ではなく「キョキョキョキョ(クェクェ、、、とも)、、、」という、ちょっと耳障りな鳴き声です。鶯(うぐいす)とは違います。月夜の幻想を、台無しにされるイメージです。
◆半日の客(かく)たりしも
漢の明帝時代・永平五年(508)、 劉晨(りゅうしん)と阮肇(げんちょう)の二人が楮(こうぞ)を取りに天台山へ登り、道に迷って神女に助けられます。半日遊んだだけで下山したのに、下界では既に七代が経過していたという浦島太郎のような物語(短編小説集「幽明録」より、「天台神女」)です。
狩野芳崖「獅子図」 |
◆飛騨(ひんだ)の踊り
中国から三味線が流入した早い時期、検校(けんぎょう)たちが和風にアレンジし独自の演奏法を作りました。「飛騨組(ひんだぐみ)」はそのひとつで、石村検校(生年不詳~1642年)の音曲です(「松の葉集」1703年刊行)。
◆二十日草 君はつれなや
白居易(はっきょい)の「牡丹芳(ぼたん よし)」の中で、牡丹の寿命は二十日とされています。牡丹の花は異名が多く、謡曲「石橋(しゃっきょう)」ではもうひとつの異名「深見草(ふかみぐさ)」が使われます。一方、「春興鏡獅子(しゅんきょう かがみじし)」では「二十日草」と「深見草(ふかみぐさ)」、両方の異名とさらに「牡丹」が登場します(よくばりすぎ!)。
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牡丹芳(一部)
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花開花落二十日 一城之人皆若狂
(現代語訳)
花が開いて落ちるまで二十日
ひとつの城郭(長安)の人々が、一人残らずにわかに物狂いとなる
◆陽向(ようごう)
神仏が降臨することです。
◆獅子団乱旋(しし とらでん)
渡来ものの舞楽(ぶがく)の名前です。本当は「団乱旋(とらでん)」だけです。「獅子団乱旋(しし とらでん)の舞楽の砌(みぎり)」とは、「獅子が集団で乱れ、暴れまわる舞楽を舞ったときに」ぐらいの意味です。謡曲「石橋(しゃっきょう)」由来の表現で、「獅子団乱旋」という舞への言及は「望月」「絃上」にもあらわれます。「師子(=獅子、伎楽)の舞楽と団乱旋(唐楽)の舞楽を舞ったときに」と解釈する向きもありますが、団乱旋(とらでん)じたいが「面をつけず狂乱の獅子を表現した舞」<『舞楽図説』など>のようなので、同じ内容の舞を続けざまに踊るのは不自然と感じます。※団乱旋という言葉は「一団となって」「乱れて」「旋回する」
なお、「獅子と団乱(とら=虎、本来の中国語読みを短くしたものか?)」のモジリという説もよく知られています<杉本直治郎『真如親王伝研究 高丘親王伝考』など>。とはいえ筆者には、たまたま中国語読みが「とら」に近くて「虎」と混同されやすいため「獅子の団乱旋」と強調したように感じられます。そもそも、この場面で虎を出してモジリる必要があるとも思えないです。
ちなみに伎楽(きがく)の師子舞(ししまい)は行道(ぎょうどう)の先導にすぎず、舞台の露払い的なもの(歌舞伎舞踊における「三番叟の千歳」に同じ)。現代では太神楽(だいかぐら)に残っています。
◆黄金の蘂(こうきんの ずゐ)
黄金の雄しべ雌しべ。白居易(はっきょい)の「牡丹芳(ぼたん よし)」から取られた歌詞です。
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牡丹芳(一部)
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牡丹芳 牡丹芳 黄金蕊綻紅玉房 千片赤英霞爛爛 百枝絳點燈煌煌
(現代語訳)
牡丹うるわし
牡丹うるわし
紅い玉のような花房(はなぶさ)のなかで、黄金の蘂(しべ)がほころび
紅い霞(かすみ)が千の瑠璃(るり)のように、房なりになって爛々(らんらん)と輝く
数百の枝が、煌々(こうこう)と輝く真紅の燈明を、点々と支えているのだ
◆大巾利巾(だいきんりきん、大筋力)の獅子頭(ししかしら)
謡曲「石橋(しゃっきょう)」から取られた歌詞で、「百獣の王」のような意味です。「大筋力(だいきんりき)」が仏語と混ざって発展した語だということです。
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謡曲「石橋(しゃっきょう)」(一部)
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たいきんりきんの獅子頭。打てや囃せ(はや)や 牡丹芳(ぼたん よし) 牡丹芳(ぼたん よし)。黄金の蕊(しべ) 現れて 花に戯(たわむ)れ枝に伏し転(まろ)び。
(現代語訳)
百獣の王たる獅子は頭(こうべ)を振る。鼓を打て、歌い囃(はや)せ。牡丹うるわし、牡丹うるわし。牡丹の雌しべ雄しべが顕(あらわ)れ黄金色に光り輝くや、獅子は花に戯(たわむ)れ、枝に体をこすりつけたり、転げまわったり。
葛飾北斎筆「勇士騎獅子図」 |
◆獅子の座にこそ なおりけれ
獅子は文殊菩薩の台座、つまり乗り物です。要するに、文殊菩薩の乗り物で、それが「獅子の座」です。ですから「獅子の座にこそなおりけれ」とは、「文殊菩薩さまの足許(あしもと)に戻った」という意味です。
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註解、長くて恐縮です。日常使わない語・漢詩由来の語が多いせいですね。
ちなみに日本で大人気の「白楽天(はくらくてん)」こと「白居易(はっきょい)は、中国ではあまり評価が高くなく、わたしの知る中国人に代表作「長恨歌(ちょうごんか)」を知る人はいませんでした。「長恨歌(ちょうごんか)」は謡曲や邦楽歌詞に頻出する、「七夕の夜の、かささぎの羽の橋」や「連理の枝(れんりのえだ)」が描写される楊貴妃を歌った漢詩です。
中央の大学を出たエリートでさえ「長恨歌(ちょうごんか)」を知らず「白居易(はっきょい)が婦人の歌を歌ったって? そんな馬鹿な!」言ってました(笑)。好みの違いでしょうか。「牡丹芳(ぼたん よし)」を知っているかどうか、確かめる気にもなりませんでした。
////// 「枕獅子」歌詞・全現代語訳
◆説明
「あらすじ」にあるとおり、主人公の傾城は馴染み客を二階から見送ったあと、物狂いにおちいります。遊女の自己憐憫(じこれんびん)と、結婚できない相手への強い執着心のせいです。その過程が歌詞の中でていねいに描かれるため、痛々しく感じる作品です。
9代目 市川団十郎(1838~1903年)は「春興鏡獅子(しゅんきょう かがみじし)」の、獅子の精に憑依される踊小姓(おどりこしょう)・弥生を可哀そうがったようですが、わたしも「枕獅子」の主人公・傾城が、可哀そうに見えて仕方ありません。弥生は一晩寝れば元気になりそうです。でもこの傾城は、正気に返っても立ち直ることはないでしょう。
昭和51年、迫体育館、歌泰会「鏡獅子」 |
◆歌詞(太字が現代語訳)
<女郎の葛藤>
樵歌牧笛(しょうかぼくてき)の声 人間万事さまざまに、
世を渡り行く其の中に ためし少なき川竹の 流れ立つ名の憂き事ばかり
寄せては返す浪枕 定めなき世の中 世の中に 誠(まこと)をあかす恋の闇
忍ぶ枕や ひぢ枕 思ひぞこもる新枕(にいまくら)
とんと二つに長枕(ながまくら)
されば迷(まよい)の そのかみや
天の浮橋(あまのうきはし)渡りそめ 女神男神の二柱(ふたはしら)
恋の根笹(ねざさ)の伊勢海士小舟(いせあまおぶね) 川崎音頭口々に
きこりの唄の旋律が風に乗って流れついたかと思えば、
羊を追う牧童の笛の音も、聞こえてきます。
何につけ、ひとの生き方はさまざまなものですね。
浮世を渡って生きるわたしのそれは、
水辺に生(お)いる川竹のようなもの。
浮名を流すのが生業(なりわい)という、
つらいことばかりの人生です。
寄せては返す浪(なみ)のように、わたしの枕には夜毎(よごと)、
ちがう男が頭を休めます。
運命は定まらず流転し続けて浮世に呑み込まれ、
それでも女のまことを尽くそうと、
恋の闇の中へ、より深く迷い込んでゆくわたしです。
忍んでやってくる男との、忍び寝の枕にさ迷い、
馴染み客と語り合う、ひぢ枕に癒され、
初めてのお客との、新枕(にいまくら)に想いのたけを込め、
ふたつ枕をとんと並べ、来ないお前のために、ひとり寝の長い夜を待ち明かす。
それは全部迷いの神が辿(たど)った道、
天の浮橋(あまのうきはし、国産み神話の最初の段)を最初に渡った、
伊邪那美命(いざなみ)さま、伊邪那岐命(いざなぎ)さま。
女神男神(めがみおがみ)、二柱(ふたはしら)の神が創った恋の道です。
小舟(こぶね)に乗った伊勢の海女が唄いはじめ、
根笹がじわっと土中に広がるように、
世の中に知れ渡った川崎音頭(伊勢音頭のこと)には、
こんな風に唄われています。
昭和51年、迫体育館、歌泰会「鏡獅子」 |
<馴染みの男への執着>
人の心の花の露 濡れにぞ濡れし鬢水(びんみず)の はたち鬘(かづら)の水臭き
道理流(ながれ)の身ぢゃものと
人に歌はれ結い立ての 櫛の歯(くしのは=口の歯、うわさ)にまでかけられし
平元結(ひらもとゆい)の結い髷(ゆひまげ=いひわけ)も
痒(かゆ)いところへ簪(かんざし)の とどかぬ人に繋(つなが)れて
帽子抑(おさ)えの針の先 つくづくどうか笄(こうがい=どうかこうか)の
ひぞりも鶴のはしたなく 梯子廓(はしごくるわ)の別れ坂
人の心の涙は、花の露のようなもの。
櫛に水をつけ、鬢(びん)のほつれ毛をしっかり梳(す)いて。
はたちになるかならぬかという若さでも、
恋の生業(なりわい)のせいで、水臭い髪じたくになりました。
そりゃ道理、しょせん浮世を流れる身じゃろうにと、
他人に面白く歌いはやされ、噂され(櫛の歯=口の歯)る遊女のわたしです。
平元結(ひらもとゆい、簡単なまとめ髪)に結った言い訳ではないですが、
かゆいところに手が届くような、よく気がつく優しい男に添いたかったけれど、
そうでもない男と縁を結んだせいで、簪(かんざし)で頭を掻くかわりに、
帽子押さえの針の先でつんつんと、
どうにかこうにか頭を掻いているような毎日です。
わん曲した笄(こうがい)は、鶴のくちばしに似てますね、
「鶴のくちばし」は「端無し」な、長くて宙ぶらりんな恋を連想させます。
二階の梯子は、馴染みの男を見送る別れ坂なのでございます。
扇獅子(おおぎじし) |
春は花見に 心移りて山里の 谷の川音雨とのみ 聞こえて松の風
実(げ)に誤(あやま)って半日の客(かく)たりしも 今身の上に白雲の
その折(おり)過ぎて 花も散り 青葉茂るや夏木立 飛騨(ひんだ)の踊りは面白や
春には花見に参りましょう。
山里にすっかり心を奪われているところへ、ふいに谷の川音が響き、
雨が来るかと思っていると、松を吹き抜ける、ただの風の音でした。
実際に松風に騙され、半日山の神の客人となっただけで、
下山してみると白雲のような白髪の老人になった例もあるのです。
そんな春の盛りの時期が過ぎて花が散ってしまうと、夏木立に青葉が茂ります。
飛騨(ひんだ)の踊りは風流ですね。
早乙女がござれば 苗代(なわしろ)水や五月雨(さつきあめ)
初(はつ)の人にも馴染むは お茶よ 誰が邪魔して薄茶となるならば
こちゃこちゃ こちゃ知らぬ ほんにさ
うらみかこつも実(じつ)からしんぞ 気に当たらうとは 夢々(ゆめゆめ)知らなんだ
見るたびたびや聞くたびに 憎(にく)てらしい程(ほど)可愛(かあ)ゆさの
起請誓紙は疑ばらし おお よい事の よい事の 朧月夜や時鳥(ほととぎす)
田植えの乙女がござれば、水を湛(たた)えた苗代(なわしろ)に、
春めいた五月雨(さつきあめ)が降り注(そそ)ぎます。
初回のお客には、茶事を催して馴染んでいただきましょう。
誰が邪魔して恋の濃茶が薄茶になってしまうかなんて、こちゃ、こちゃ知らぬこと。
ええほんとうに。
怨み言を言いつのるのは、心が本気の証拠です。
気に障ったのならごめんなさい、お気に障るとは夢にも思わないことでした。
逢えば逢うほど、お手紙を頂戴すれば頂戴するほど、
我ながらどうしてここまでと、憎らしくなるほど恋しさが募(つの)ったせいでした。
起請誓紙(きしょうせいし)は、お互いの猜疑心を晴らすため。
ええ、良いことでしょう? 怒らないでください、良いことなのです。
穏やかな朧月夜に、時鳥(ほととぎす)がうるさく啼き喚いていますね。
昭和51年、迫体育館、歌泰会「鏡獅子」 |
<幻聴幻覚>
時しも今は牡丹の花の 咲くや乱れて 散るは散るは
散り来るは 散り来るは
ちりちり ちり散りかかる様(よう)で おいとしうて寝られぬ
花見てもどろ 花見てもどろ
花には憂さをも打ち忘れ 咲き乱れたる 風に香(か)のある花の浪
折りしも今は牡丹の花が咲き乱れる時期、咲いたとたんに咲き乱れ、
今にも散り始めそうで、
今にも散り始めそうで、
ちりちり、ちり散り始めそうに見えて、あぁ、気になって夜も寝られません。
花を見に行って、また戻りましょうか。
花を見に行って、また戻ってくれば良いのです。
花を見れば、つらい浮世を忘れます。
咲き乱れる花の香(かおり)が、花の浪になって風と一緒に吹き寄せるからです。
着連れて連れて 顔は紅白薄紅(こうはく うすべに)さいて
口説けど口説けど 丁度二十日草(はつかそう、牡丹の異名) 君はつれなや
ヲヲ それ夫(それ)ぢゃ 誠(まこと)に花車(まなぐるま)
くるりやくるりや くるりくるり くるくるくる
牡丹に戯(たわむ)れ獅子の曲 実(げ)に石橋(しゃっきょう)の有様(ありさま)は
ほら、花の化身の花笠衆がやって来ました。花の顔は紅白に、薄紅色に染まっています。
すがってもくどいても二十日でお別れ、あなたはつれない人ですね。
ああ、それそれじゃ、まこと因果の花車(はなぐるま)、
くるりやくるりや、くるりくるり、くるくると廻って。
どうして? 牡丹に戯(たわむ)れる獅子の音曲が聞こえます。
あたかも、石橋(しゃっきょう)のありさまを、見せようとするかのように。
昭和51年、迫体育館、歌泰会「鏡獅子」 |
<正気を失う>
その面(おもて)僅かにして 苔(こけ)滑らかに谷深く
下は泥犂(ないり、地獄のこと)も白浪の
音は嵐に響き合ひ 笙歌(しょうが)の花降り
簫笛琴箜篌(しょうちゃくきんくご) 夕日の雲に聞こゆべき
石橋(しゃっきょう)というのは深い谷に架かる、巾狭く(約3cm)苔むした橋のこと。
下は奈落の白波の、さざ波の音が風の嵐と響き合い、
笙歌(しょうが)の声が、散る花のように谷川へ燦燦と降るのです。
竪琴(たてごと)、笛、琴、箜篌(くご、竪琴に似た弦楽器)の音色(ねいろ)が、
夕日の雲にも音曲を聞かせようと、天空を目指して飛翔してゆきますよ。
目前の奇特(きとく)あらたなり
暫く待たせ給へや 影向(ようごう)の時節も 今いく程によも過ぎじ
獅子団乱旋(しし とらでん)の舞楽の砌(みぎん) 牡丹の花房 香(にほひ)充ち満ち
大巾利巾(だいきんりきん、大筋力)の獅子頭(ししかしら)
打てや囃(はや)せや 牡丹芳牡丹芳(ぼたんよし、ぼたんよし)
黄金の蘂(こうきんのずゐ)現はれて
花に戯(たわむ)れ 枝に臥(ふ)しまろび
実(げ)にも上なき獅子王の勢(いきおい) 靡(なび)かぬ草木も無き時なれや
万歳千秋と舞い納め 万歳千秋と舞い納め
獅子の座にこそ直りけれ
目の前に展開される奇跡は、仏の世界が確かに存在すると証明するものです。
しばらくお待ちなさい、神仏降臨による邂逅(かいこう)の時は、
いま少しで実現し、すぐに終わってしまうから。
そう言う声が聞こえるや、獅子団乱旋(しし とらでん)の舞楽が始まり、
牡丹の花房には花の匂いが充ち満ちて。
仏の力を備えた獅子が顕(あらわ)れると、頭(かぶり)を振るのでございます。
昭和51年、迫体育館、歌泰会「鏡獅子」 |
鼓を打て、歌い囃(はや)せ。
牡丹うるわし、牡丹うるわし。
そのうるわしい牡丹から黄金の雌しべ雄しべが出現するや、
獅子は花に戯(たわむ)れ、枝に体をこすりつけては、転げまわって。
まこと百獣の王と讃(たた)えられる獅子王の勢い、
心を奪われない草木も無いと思われたところで、
獅子は「万歳千秋(世は永遠に!)」とばかり、舞いを納めます。
「万歳千秋(世は永遠に!)」と舞い終わり、
文殊菩薩さまの足許(あしもと)へ戻った獅子なのでした。
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傾城(女郎)の嗚咽(おえつ)のような、悲しい唄です。「花に戯(たわむ)れ、枝に臥(ふ)しまろび」という歌詞部分が、もうまるで「身もだえしながら嘆き悲しんでいる」としか読めないほど。
今は忘れられた遊女の悲しみを浄化してあげるため、たくさん演じてあげた方が良いように思います。でも、音曲はしんみりとして、踊るには難しそうです。
音曲は残ったものの振付は明治期で失われてしまったところ、故・6代目 中村歌右衛門(1917~2001年)氏が7代目 藤間勘十郎(現・3代目 藤間勘祖)氏振付付けで復活上演しました。その後は何度か上演記録があります。ただし後段が立役獅子の扮装になってしまうなど、演目の趣旨にそぐわない演出が多いようです。「枕獅子」では、どっぷり悲しい女獅子が観たいのです。
※獅子だらけ、長唄「鏡獅子」(舞踊鑑賞室)
※人生いろいろ「鏡獅子」という踊り
※阿国歌舞伎の系譜。長唄「鏡獅子」全訳
どなたか、チャレンジしてくださらない?
踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved. |
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ししとらでんは 獅子という曲が昔あったという説も。
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