2018年12月29日土曜日

うつくしい海、うつくしい常磐津「松島」全訳





先日(2018年11月11日)「国民文化祭(大分)日本舞踊の祭典」で踊った、「松島」の写真が出来てきました。

こちらの記事で速報させていただきましたが、あらためて、松島という踊りについて紹介させていただきますね。

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////// 歴史

本名題(ほんなだい)「岸漣漪常磐松島(きしの さざなみ ときわの まつしま)」。明治17年(1884年)7月、分裂していた常磐津家元・文字太夫家と、三味線方・岸澤家の和解に際して作曲され、売れっ子だった河竹黙阿弥に作詞を依頼した、和解記念の作品だそうです。

作曲は7代目 小文字太夫(常磐津林中)と6代目 岸澤式佐の共作、さすがに何度聞いても美しい曲です。記念作品の題材に東北の名所が選ばれたのは、7代目 小文字太夫が東北の盛岡出身だったからです。




////// 歌詞(全訳)

-原文-
日の本に 三つの景色の一と云う 陸(みち)の奥なる松島へ
今日思ひ立つ旅衣 着つつ馴れにし古郷(ふるさと)
後に三春の馬路(うまやじ)
勿来(なこそ)の関は名のみにて 古(ふ)りし昔を信夫摺(しのぶずり)
文字もそぞろに名所(などころ)を 記す便(よすが)に里人へ
利府(とふ)の菅ごも七布三布
旅寝の日さへ浅香山 憂きを白石白露の 萩の宮城野杖曳いて
己が心のまにまにに 瑞巌寺(ずいがんじ)へぞ着きにける

-現代語訳-
日本三景のひとつと謳(うた)われる、
(みち)の奥の秘境、松島へ行こう。
今日になってそう思い立ち、
旅ごろもに着替え、馴染んだ故郷(ふるさと)をあとにして、
三春(福島県)を馬で行きました。
奥州の三関と讃えられる勿来(なこそ、宮城県あたり)の関も、
いまは名ばかり。
あぁ、古い昔がなつかしい。
文字を書くのももどかしい思いで、声をかけたら答えてくれた、
里人(さとびと)の言う名所旧跡をそぞろな文字でしるすのも、
十符(じゅうぶ、縦に十段)に分かれた「利府(とふ)の菅(すが)ごも」を
七と三とに分け合って寝たという、あの恋歌のような日々が、
なつかしくてつらいせいです。
旅寝の日でも眠りは浅く、
(うれ)いを知らない白石の地に、白い朝露がかかります
萩で知られる宮城野を、杖をついて歩きながら、
ただ、こころのままに歩いていると、
なんとか瑞巌寺(ずいがんじ)へ着くことができました。

平成30年、日本舞踊協会宮城県支部「松島」

-原文-
黄金(こがね)花咲く山遠く 千賀(ちが)の浦辺へ立出て
のぞむ波間に朝日島 春ならねども棚引きし 霞の浦の朝ぼらけ
桜の名にし塩竃(しほがま)も 夏の茂りに御社を
(うづ)む若葉の若濱や 涼しき風の福浦に 此処へ寄る島
(すなどり)の 海女には惜しき女子嶋(おなごじま)
共に語ろう恋の道

-現代語訳-
黄金色(こがねいろ)に紅葉する山々を、遠くに望む千賀の浦辺(塩釜付近)へ立ちいで、
なにやら良い予感を胸に波間(なみま)を進み、朝日島(松島)を訪れました。
春ではないけれど、春の朝のように雲がたなびく、
美しい霞の浦(松島)の、あさぼらけです。
桜の名前にまでなった桜の名所・塩竃(しほがま)明神の境内も、
夏の名残の木々が生い茂って御社(おやしろ)が緑にうずまり、
若葉に覆われた青い浜が広がっています。
すると涼しい浦風が吹く福浦(松島)に、
漁船に乗って、島の女が立ち寄りました。
海辺で魚をとって暮らしていると思えない、
小粋な嶋の着物の女です。
あぁ、いっとき恋の道を、ともに語ろうではありませんか。

平成30年、日本舞踊協会宮城県支部「松島」

-原文-
磯の苫屋の苫島(とまじま)に 汐馴れ衣濡れ初めて
立てしむしろの屏風島 隠せど浮名立つ秋の
夜の長濱(ながはま)も 長からで
沖の千島の痴話事に 名残雄島(なごりおしま)の霧隠れ
(まがき)が島に又の夜の 約束堅き石の濱
網引(あびき)の唄の鄙(ひな)めきて

-現代語訳-
苫嶋(とまじま、松島)の磯にたたずむ小さな苫屋(とまや)で、
抱き合って汐を浴び、衣を濡らし初(そ)め、
屏風島(松島)のように、
(むしろ)で作った屏風で囲っているのに、それでも、
隠そうとして立つ汐汲みの煙のように、浮名を流した秋でした。
夜も長かろうと思う長濱(ながはま、松島)の夜も、
その名に似合わずあっという間に更(ふ)けてしまい、
沖の千鳥が睦(むつ)みあいながら飛び去るように、
名残を惜しみつつ、雄島(おしま、松島)が霧に隠れます。
こうして籬(まがき)が島(千賀の浦にある島)に、また夜が訪れるのです。
堅い約束のような石が並んだ荘厳な浜辺に、網引(あびき)の唄が響きます。
(ひな)めいた、こころ惹かれる唄でした。

平成30年、日本舞踊協会宮城県支部「松島」

-原文-

エエ エエェ 雁金の山に便りの玉章(たまづさ)
松の黒崎冬の来て 積もる思ひに身にしみじみと
雪の白濱小松島 あさる千鳥の大濱に 波の鼓の拍子につれ 立ち舞ふ振りの面白や
げにげに亀と鶴崎(つるさき)に 松が浦島竹の浦
岸の漣漪(さざなみ)うち寄りて
昔へ還る常磐津の 松の栄えぞ目出度けれ

-現代語訳-
エエ エエェ、
そのようにゆっくり過ごしたあと、
山に便りをしたため、玉のような返事を受け取りました。
松の浜にも黒い冬がやってきて、
積もる思いが身にしみじみと迫ります。
小松島(松島)に雪が降り、
まっしろな浜になりました。
千鳥が餌をあさる大浜に、鼓の拍子のように波が連なって打ちいれると、
千鳥が、水面から飛び上がったり、また水面へ下降したり、
立ち舞うように見えるのが、趣(おもむき)があって麗しいことです。
まことにまことに、
目出度くも、亀と鶴との先にある(鹽竈神社、山形の亀鶴御前伝説などか)
美しい松が浦島(松島の古名のひとつ)
竹の浦(石巻)です。

岸澤家に戻っていただき、
常磐津の家も、昔に還(かえ)ることができました。
松の大木のように、常磐津がこれからも永く繁栄するのは、喜ばしいことです。

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平成30年、日本舞踊協会宮城県支部「松島」

こうして全文書き起こしてみると、色っぽくて赤面します。
やはり河竹黙阿弥、大人の唄です。




////// 出演、演出

(公社)日本舞踊協会宮城県支部代表として、参加させていただきました。
同じく代表としてご競演いただいたのは、
若柳梅京さん、
若柳かつ尋さん
です。

(左から)若柳梅京さん、水木歌惣、若柳佳つ尋さん


演出は、(公社)日本舞踊協会宮城県支部・水木歌泰先生によるもの、男舞三人で松島を表現する、新趣向でございました。

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自分の出身地をテーマに踊るのは、やはり気持ちが違います。新しい振付はチャレンジでしたが、みんなで果敢に取り組みました。

踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2018 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







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