以前に紹介させていただいた
「保名(やすな)という踊り」の記事では、
歌舞伎舞踊の元となった浄瑠璃「芦屋道満大内鑑(あしやどうまん おおうちかがみ)」の説明や、信太(しのだ)の森の狐伝説などを中心に、どちらかというと伝説上の保名(やすな)の息子・安倍晴明(あべのせいめい、実際の父親について記録なし)について、文化論的に説明しました。
でも、歌舞伎舞踊曲・清元「保名(やすな)」はもちろん大人気の演目で、歌詞もとても面白いので、こちらも紹介させてください。
※「保名(やすな)」という踊り(1)の記事は、こちらからどうぞ
※「保名(やすな)」という踊り(2)の記事は、こちらからどうぞ
////// 歴史
本名題(ほん なだい)を「深山桜及兼樹振 (みやまのはな とどかぬ えだぶり) 」といい、文化15年(1818)3月、江戸・都座にて3代目 尾上菊五郎が初演した「四季七変化」のうち、「春」にあたる踊りです。
作詞・初代 篠田金治(並木五瓶=なみきごへい、1768~1819年)、作曲・初代 清澤萬吉(のち初代 清元斎兵衛、生没年不詳)、振付・藤間大助(2代目 藤間勘十郎、1823~1882年)で、初演以降絶えていたのを9代目 市川団十郎(1838~1903年)が復活上演し、大正時代になってから6代目 尾上菊五郎(1885~1949年)と5代目 清元延寿太夫(きよもと えんじゅたゆう、1862~1943年)が、現在の演出にあらためました。
錦絵「芦屋道満大内鑑(あしやどうまん おおうちかがみ)」 |
////// 見どころ、特徴
作曲者である初代 清澤萬吉が2代目 富本斎宮太夫を襲名していたため、原曲は清元の原型・富本節の流れを汲んだ古いものです。
それをあらためた新しい清元の歌詞の中には、世阿弥作「恋重荷(こいの おもに)」のひとふしと、江戸時代の奇人変人・来山翁(らいざんおう)こと、談林派の俳人・小西来山(こにし らいざん)の人形好みが取り込まれています。とりわけ小西来山の人形愛は、何のために取り込んだやら、その意図するところがどうもわかりません。
-世阿弥(生年不詳~1443年)作「恋重荷(こいの おもに)」※観世流 謡曲-
白河院の庭で菊の世話をする「山科の荘司」という者が、院の女御(にょうご)に恋心を抱いて仕事をおろそかにするため、女御は美しい装飾の重い荷物を与え「この荷を担いで百度、千度と庭を回ったら、姿を見せてあげよう」と、家臣を通じて伝えさせた。抱えられない荷物を与えることで身分違いをわからせ、諦めさせようとしたのだが、重荷を果敢に持ち上げようとして持ち上げられなかった荘司は、女御の仕打ちを恨んで、死を選ぶ。
ワキ(家臣)
山科の荘司重荷を持ちかねて、御庭にて虚しくなりて候。かような賎しきものの一念はおそろしき候。なにか苦しう候べき。そも御意(おんい)であって、かの者の姿をひと目ご覧ぜられ候へ。
-現代語訳-
お申しつけのせいで山科の荘司が死にました。身分がひくい者の一念は恐ろしいと言いますし、何かさわりがあるかも知れません。貴女さまのご意思によるものですから、遺体をひとめ、ご覧になってはいかがでしょうか。
シテツレ(女御)
恋よ恋、我が中空(なかそら)になすな恋、恋には人の死なぬものかは。無残の心やな。
-現代語訳-
恋よ、荘司の恋よ。わたしを冥途の途中まで、一緒に連れては行かないでおくれ。恋のせいでは人は死なないというけれど、そうでもないのね。なんてかわいそうな、荘司の心でしょう。
シテ(荘司、のち怨霊)
我はよしなや逢い難(がた)き、巌(いわお)の重荷持たるるものか。あら恨めしや葛の葉の 玉襷(たまだすき)畝傍(うねび)の山の山守(やまもり)も、さのみ重荷は持たればこそ、重荷というも思いなり。
-現代語訳-
お会いすることもできない貴女さまのために、岩のような重荷を持てるものでしょうか。あぁ、恨めしい(※葛の葉は「恨」の枕詞)。神聖なる畝傍山(うねびやま、奈良県、※玉襷は「畝傍」の枕詞)の神さまも「重荷というのは持てるものを言うのであって、持てもしないものは重荷ではなく悪意だ」と、仰(おっしゃ)ることでしょう。
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錦絵「保名」 |
「保名」の唄いだしは「恋や恋、われ中空に為すな恋」です。謡曲「恋重荷」では荘司の怨念を恐れた女御の「中空(冥途の途中)へ連れてゆかないで」なのですが、「保名」は恋人の死のせいで狂乱状態なので、同じ意味合いではないでしょう。
ちなみに「中空」や「枝の上」「花枝」は、6代目 尾上菊五郎が多用した演劇モチーフです。フレイザー(Sir James George Frazer、1854~1941年)『金枝篇』(The Golden Bough, 1890~ 1936年)に出てくる「聖森にある大木の、中空で輝く金枝(クリスマス飾りに使われる、オークの大木に寄生するヤドリギなど)は、あの世とこの世の通行手形」というラテン・ガリアのアニミズム(animism)同様の自然信仰が、わが国にも存在するのです。
いっぽう小西来山は、江戸時代の有名文化人です。談林派の俳人で晩年は大阪の今宮で暮らし、吉野太夫を模した土人形を愛したあまり「女人形記」なるものを残しました。
-小西来山(こにし らいざん、1654~1716年)「女人形記」-
弟子に話したことだが、焼き物の人形はものも言わないし笑わなくて寂しいが、その代わり焼きもちを焼くこともなく、住まいを汚すこともなく留守にしても心遣いは不要だ。酒を飲まなくてつまらない相手だが、さもしげに何かを食べることもなく、化粧はせず、一張羅を着つづけて寒がることもない。夏はさわるとヒンヤリ、夜は暖めるとよい加減に温かくなる。なんや、ほんまに? と、いうぐらい、良いものだよと。
現実の女性に失望したあげく、ガラテアと名づけた自作の彫刻を愛し、愛の女神・アプロディーテに祈って人間に変えてもらったピグマリオン(Pygmaliōn、ギリシア神話)とは、ずいぶん異なる人形愛です。小西来山は、「ほんとうの女よりずっと手間がかからない」から、人形が良いと言っているように読めます。それは理解できますが、どうして「保名(やすな)」の歌詞で言及されているやら、わかるようでわからないエピソードです(たんに、流行していたのでしょう)。
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錦絵「母・葛の葉、父・保名、(のちの)安倍清明」 |
////// 歌詞(全訳)
-原文-
恋よ恋
われ中空(なかそら)に為(な)すな恋
恋風が来ては
袂(たもと)にかいもつれ
思う中をば吹きわくる
花に嵐の狂いてし
心そぞろにいずくとも
道行く人に事問えど
岩せく水と我が胸と
砕けて落ちる泪(なみだ)には
かたしく袖の片思い
姿もいつか乱れ髪
たがとりあげていう事も
菜種の畑にくるう蝶
翼交わしてうらやまし
野辺のかげろう春草を
素袍袴(すおう ばかま=江戸時代の武士の礼服)に踏みしだき
くるいくるいて来たりける
平成8年、歌泰会「保名」 |
なんじゃ恋人がそこへいた どれ どれどれ エゝまた嘘云うか
わっけも無い事 云うは ヤーイ
アレ あれを今宮の
来山翁(らいざんおう)が筆ずさみ
土にんぎょうのいろ娘
高嶺(たかね)の花や折る事も
泣いた顔せず 腹立てず
りんきもせねばおとなしう
アラうつつなの 妹背中
主(ぬし)は忘れて ござんしょう
しかも去年の桜どき
うえて初日の初会から
逢うてののちは一日も
便り聞かねば気もすまず
うつらうつらと夜を明かし
平成8年、歌泰会「保名」 |
たまに逢う夜の嬉しさに
ささごとやめて語る夜は
何時(いつ)よりも つい明けやすく
いのう いなさぬ 口説(くどき)さえ
月夜烏(つきよ がらす)にだまされて
いっそ流して居続けは
日の出る迄もそれなりに
寝ようとすれど 寝られねば
寝(ゐ)ぬを恨みの旅の空
よさの泊りはどこが泊りぞ
草を敷き寝の肘まくら 肘まくら
一人り明かすぞ悲しけれ
悲しけれ
葉越しの葉越しの幕の内
昔恋しき俤(おもかげ)や 移り香や
-現代語訳-
恋よ、恋の嵐よ、
わたしを黄泉路と現(うつつ)のはざ間へ、連れて来てくれたのだなぁ。
恋が風のようにやってきて、
たもとの中まで吹き込んで、もつれにもつれ、
思うままに吹きなぐってくれているよ。
花に、狂乱の嵐が襲い掛かっているかのようだ。
こころが落ち着かず、ここは何処ですかと、
道ゆく人に問うことは問うのだけれど、
岩を走り落ちる水のように、
わたしの胸の中を砕けて落ちる滝のような涙がとまらず、
何処にもゆくことができないのだ。
平成8年、歌泰会「保名」 |
衣を枕に旅寝の片思い。
衣服も髪もいつか乱れてしまい、
ことさらに興味を惹かれた誰かが、こちらに向かって何か言うほど。
菜種畑に飛び狂う蝶の、
羽を交わして睦みあうのが、ただ、うらやましい。
野辺に陽炎(かげろう)のように生い立つ春の草を、
素袍袴(すおう ばかま)で踏みしだき、
狂い狂いながら、ここまでやって来たのだが。
なに、わたしの恋人がそこにいたと。どれどれ、エエ、また嘘を言われた。
根拠のないことを言うのはやめてください、あぁ、やめてください。
アレ、あれこそ今宮の、
来山翁(らいざんおう)が筆の遊びに書いたという、アレなのか。
吉野太夫徳子を模した、陶器で出来た人形とやら。
吉野太夫は高値の花だが、その花を折る必要もなく、
泣いた顔をすることもなく、腹を立てることもなく、
焼きもちも焼かねば、いつも大人しく待ってくれている。
なんやて、ほんまかいや ?
と驚くほど、良い恋の相手だという。
(そんなわけ、あるかいな。わたしゃ現実の女の方が、よっぽど良いわい)
平成8年、歌泰会「保名」 |
あなたは忘れていらっしゃる。
まだたった、去年の桜どきのことなのに、
初めて花が咲いた日に初めて出会い、
そのあとにはただの一日も、
お互いの便りを遣り取りしないでは気が済まず、
会うことができなければ、うつらうつらと寝ることもできずに夜を過ごし、
寝足りないにもかかわらず、
昼にも寝入ることができないほど思いつめて。
たまに遭えた夜には嬉しさのあまり、
酒も呑まずに語り合い、
何時に始めようが、すぐに朝になってしまうと感じるほど。
帰ろうかな、と言うと、
帰らせないわと、あなたが言って口げんかになる。
月夜のカラスが立てる音に騙されたふりをして、
いっそ、何もかも水に流してしまって、長居したものだ。
(それをあなたは忘れてしまったのですか)
(わたしを忘れて、いったい何処に、いらっしゃるのですか)
日の出頃にはそれなりに、
寝ようとはするけれど、寝ることができず、
眠れないじゃないか、と、いない相手に恨みごとを口にしてみる、旅の空。
平成8年、歌泰会「保名」 |
今夜のお泊まりはどこですか。
草を敷いて、肘枕で寝るのです。
悲しいことに、たったひとりで夜明かしです。
あぁ、悲しいことに。
あの日、重なりあった枝々と
重なりあった葉の先にしつらえた陣幕の、
その内陣に座っていた、
わたしの恋人の面影は、
何処へ行ってしまったのですか。
わたしの恋人の移り香を、
こんなにも、探しているのに。
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原文のままでも読みやすく十分かわいそうに感じる歌詞ですが、全歌詞を現代文に書き起こすと、衝撃的な悲しさに、胸を打たれる思いがします。
挿入した歌舞伎錦絵の、のちの安倍清明を背負い子育てにいそしんでいるパパ保名の姿に、何故かホッとしてしまう、バカバカしいわたしです(笑)。
※「保名(やすな)」という踊り(1)の記事は、こちらからどうぞ
※「保名(やすな)」という踊り(2)の記事は、こちらからどうぞ
ただの架空の物語ですが、保名(やすな)はしあわせになってくれて、ほんとうに良かったです!(親戚か)
踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2018 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved. |
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