2018年11月24日土曜日

「官女(かんじょ)」という踊り(2)



平成27年(2015)、国立劇場で踊った「官女(かんじょ)」という踊りの紹介の、続きです。

※「官女(かんじょ)」という踊り(1)の記事は、こちらからどうぞ
※  修羅の舞踊「官女(かんじょ)」全訳 の記事は、こちらからどうぞ





////// 長唄「官女」の作詞者

歌舞伎芝居や歌舞伎舞踊が通常そうであるとおり、あちらこちらの題材をかき集め、本歌取りのようにつなぎ合わせて表現をふくらませていますが、「官女(かんじょ)」はそれが全部、ていねいに壇ノ浦つながりになるため平家物語を意識して観劇すると、おなかいっぱいで血なまぐさいと感じます。

にもかかわらず衣装も照明も限りなく明るく演出されるため、どこかちぐはぐな印象です。(その違和感と居心地の悪さこそ、演出の狙いなのかもしれません)

同じ謡曲「八島」の歌詞を、地唄や荻江節はそのまま取り込みました。そうして、謡曲どおり重々しく演じます。どうしてこの長唄はそうしなかったのか、長いあいだ疑問でした。

そして今回、この記事のために調べてみて意外なことに気がつきました。
作詞者が「2代目 松井幸三(1793~1830年4月11日)」でした。
歌舞伎座




////// 夭折の天才「松井幸三」

松井幸三は三味線の名手としても知られ、芸の最初は杵屋の囃し方として活動します。その後初代・松井幸三(1828年没)の門下に入り、江戸・中村座の戯作者(げさくしゃ)になりました。同座の出し物では「立作者」であった4代目 鶴屋南北(1755~1829年12月22日)の控え・二枚目作者として活躍し、鶴屋南北の後継者として、その期待を一身に集めながら文政13年4月11日、病没(享年38歳)します。

芸好き酒好きな人柄だったらしく、幇間(ほうかん)と戯作(げさく)を兼業していました。そのため、酒好きが昂じて死んだという説もあります。文政12年(1829)11月、江戸・市村座で立作者にとりあげられ2代目 松井幸三を襲名した、わずか5ヵ月後のことでした。

鶴屋南北作「東海道四谷怪談」
2代目 松井幸三は、鶴屋南北に頼らない歌舞伎芝居や歌舞伎舞踊をいくつか書き残しています。なかでも代表作は歌舞伎芝居「色彩間苅豆(いろもよう ちょっと かりまめ)」で、つまり怪談「かさね」です。

また、長いあいだ鶴屋南北の補助・相棒として働いたことで知られる松井幸三が、その手腕を特に高く評価されたのは「東海道四谷怪談(とうかいどう よつや かいだん)や、「獨道中五十三驛(ひとりたび ごじゅうさん つぎ)への貢献です。「四谷怪談」は、言わずと知れた「お岩さん」です。

ところで「官女」の初演は文政13年3月で、松井幸三は文政13年4月に死んでいます。つまり、作品としては遺作に近いものになります。

作詞者の得意分野が「因果(いんが)ばなし」であったこと、そうして長年協力関係にあった鶴屋南北の作風に似て、細かなエピソードを重ね重ねながら徐々に盛り上げてゆく手法がとられていること。

歌舞伎座
そのせいで長唄「官女(かんじょ)」は、地唄や荻江節など、ほかの謡曲「八島」由来の舞踊曲とは違う、得体の知れない不気味さが漂うのかもしれません。

もちろん、死の直前に書かれたということも、影響しているように感じます。平家物語を思い浮かべながら聞くと、とにかく内容が暗いからです。そして、いつも過剰に明るく演出されます。

それはまるで血を吐きながら陽気に踊る、「幇間芸(ほうかんげい)」を見るかのようです。




////// 魚づくし

わざわざ山田検校の「江ノ島曲」をトリビュート(tribute)しておきながら、松井幸三は聞かせどころの「貝づくし」を取り込みません。代わりにどっぷり暗い自作の浜唄を聞かせます。


 ◆江ノ島曲(えのしまのきょく)
  海人(あま)の子供のうちむれて 磯馴小唄(そなれ こうた)も貝づくし
  君が姿を見染めてそめて ひく袖貝をふりはらふ 恋は鮑(あわび)のかた思ひ
  ~省略~
  唄うひとふし 恋の海

  -現代語訳-
  海で働く人の子どもたちが集まって、
  唄う磯小唄は貝づくし。
  あなたの姿にひと目ぼれ。
  袖(貝)を引くのに振り払われて、
  恋は合わず(鮑)に、がっかり片思い。
  ~省略~
  恋いっぱいの、海のひとふしを歌いました。


 ◆官女
  いつ檜扇(ひおうぎ)を松の葉の 磯馴小唄(そなれ こうた)のひとふしに
  友のぞめきにそそのかされて 船の帆綱をかけぬが無理か 須磨よ須磨よ 
那須与一(なすのよいち)
  いとど恋には身をやつす
  夜半の水鶏を砧(きぬた)と聞いて
  たてし金戸を開けぬが無理か 須磨よ須磨よ

  -現代語訳-
  女官の持つ檜扇(ひおうぎ)を、
  いつまた手にする日が来るかと心待ちにしながら、
  こんな磯小唄のひとふしを唄ったりしますよ。

  友人たちにやいのやいのと囃(はやし)し立てられたら、
  遊女舟の帆綱を岸につながせないなんてことは、
  無理でしょうね。
  備中水島での合戦では帆綱でつないで勝利したのだから(水島合戦)
  同じように舟どおしを帆綱でつながないでいるのは、無理でしょう。
  そのせいで身動きがとれず、
  小さな舟でやってきた源氏軍に負けたのだけれど、
  それはもう仕方がない(壇ノ浦の合戦)
  そうでしょう、須磨よ、須磨の海よ。

  恋のためには身を隠すもの、
  だから夜半の水鳥が立てる音を、砧(きぬた、女性が布を打つ棒)を打つ音と間違えて
  誰か忍んできたと勘違いし
  うっかり半蔀(はんじとみ、窓)を開けてみないなんて、無理でしょうね。
  敵軍に囲まれ、おびえてていたのだから、
  水鳥の音を源氏軍の鬨(とき)の声と間違えないなんて、無理でしょう。
  ありもしない敵の攻撃におびえて平家軍はいっせいに逃げ出し、
  みずから勝ちいくさを放棄したのだけれど、それはもう仕方がない(富士川の合戦)
  そうでしょう、須磨よ、須磨の海よ。

平成27年、東京水木会「官女」

貝づくしでないのであれば、故事にちなんで「花」を売る題材にしても良かったはずですが、この舞踊では、元官女が売るのは花でさえありません。鯛(たい)と鱧(はも)と鰈(かれい)しか出ませんが、その唄い出しは、あたかも「魚づくし」の様相です。

ちなみに鯛(たい)と鱧(はも)と鰈(かれい)は、伊勢平氏の本拠地・淡路島の特産品です。

 ◆官女(唄い出し)
  見渡せば柳桜に錦する 都はいつか故郷に 馴れし手業(てわざ)の可愛らし
  こちの在所はナ ここなここな この浜越えて あの浜越えて ずっとの下の下関 
  内裡風俗あだなまめきて
  小鯛(こ だい)買はんか鱧(はも)買やれ
  鰈(かれい)買はんかや 鯛(たい)や鱧(はも)
  これ買うてたもいのう 
  アアしよんがいな
  いかに身過ぎぢゃ世過ぎぢゃとても おまな売る身は蓮葉なものぢゃえ

  -現代語訳-
  見渡してみれば柳の木や桜の木が十二単をまとったように美しい、ある春のこと。
  気づけば都(みやこ)はいつの間にか、懐かしい「ふるさと」になりました。
  手作業というものを覚えましたが、自分ながらにあわれです。
  わたしの住まいですか? この浜を越え、あの浜を越えて、
  さらに下(くだ)った下関です。
  内裏(だいり)風の色っぽい腰巻が小屋に掛かっていますから、
  探せば、すぐにおわかりになりますよ。


平成27年、東京水木会「官女」

  小さな鯛(たい)は姫鯛(ひめだい)と言い、
  平家の官女が海に身を投げ変身したと言われる魚です。
  小さな鯛(たい=官女)を、買ってくださいませんか?

  鱧(はも)は都(みやこ)の貴族が食べる旬の魚です。
  鱧(はも=都の貴族)を、買ってくださいませんか?

  鰈(かれい)は、平家の落ち武者が食べたキビ餅などと同じ名前です。
  鰈(かれい=平家の落ち武者)を、買ってくださいませんか?

  情けないこと
  たとえ生きぬくためと言え、
  みずからの境遇を売り歩くとは、なんとふしだらなわたしでしょう。



赤間神宮 拝殿


////// 七盛塚と船幽霊

赤間神宮「七盛塚」縁起によると
天明年間(1781~1789年)のこと、海峡に嵐が続き、九州へ渡る船や漁船の遭難が相次ぎました。そんなある夜、漁師たちが海上で泣き叫ぶ男女の声を聞き海へ出たところ、沖には成仏できずに夜の海をさまよう、たくさんの平家武者と官女の亡霊がありました。

漁師たちは災難が続くのは平家一族の怨念によるたたりと考え、それまで荒れるにまかせていた平家武将の墓を一カ所に集め、手厚く供養したそうです(赤間神宮七盛塚)

なお、安徳帝の命日には、飛んでいる白いカモメが堕ちることがあったという伝承もあります。白は源氏の旗色、赤は平家の旗色だからです。
赤間神宮 紅石稲荷

また、壇ノ浦には「船幽霊」が出ると言います。船にしがみついて「柄杓(ひしゃく)を貸せ」と漁師にとりすがり、貸してやるとその柄杓(ひしゃく)で船に水を掻き入れる厄介な幽霊です。そのため地元の漁師はかつて、底の抜けた柄杓(ひしゃく)を船に常備していたそうです。


 ◆官女
  怨みがちなる床の内 憂やつらや 
  波のあはれや壇の浦 打合ひ刺違ふ船戦の駈引き
  浮き沈むとせし程に 
  春の夜の波より明けて 敵と見えしは群れ居る鴎(かもめ)
  鬨(とき)の声と聞えしは 
  浦風なりけり高松の 浦風なりけり高松の 朝嵐とぞなりにける


  -現代語訳-
  横になっても怨念がおさまらず、
  憂(うれ)いとつらさで眠ることができません。
  波の音がしみじみと響く壇ノ浦に、
  打ち合い刺し違える、船のいくさが始まります。
  ああ、浮かび上がった、ああまた、ほら沈んでしまうと、はらはらしていると
  春の夜が海の向こうから明けはじめ
  敵軍と見えたのは群れ飛ぶ白い鴎(かもめ)にすぎず
  鬨(とき)の声と聞こえたのは、
  ただの浦風だと
  高い松のこずえから降りそそぐ
  ただの浦風だと
  高い松のこずえを揺らす
  ただの浦風が、吹きなぐるまま、朝の嵐になりました。

平成27年、東京水木会「官女」

舞踊の主人公「官女」は、ほんとうは生きていないように感じます。
本人は生きているつもりでも、修羅道に迷った船幽霊なのではないでしょうか。

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主人公の官女が苦しむ様子は、現代で言えば立派なPTSDですよね。
とてもかわいそうです。

踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2018 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







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