2018年11月3日土曜日

「松廼羽衣(まつのはごろも)」という踊り






////// 常磐津「松廼羽衣(まつのはごろも)」概略

常磐津舞踊「松廼羽衣(まつのはごろも)」は謡曲「羽衣」を歌舞伎舞踊に転じたもので、明治31年(1898)、5代目尾上菊五郎が初演し、のち「新古演劇十種(しんこえんげきじっしゅ)」のひとつに入れられました。

とりあげられているのは、三保松原(みほのまつばら)で天女の羽衣を見つけた漁師が衣を返す代わりに舞を所望し、快諾した天女がお礼に(あずま)遊びのひとつである駿河舞(するが まい)を伝えて天界へ去ってゆくという、広く知られる羽衣伝説です。

※タイムトラベル舞踊「松廼羽衣」全訳 、の記事はこちら







////// 常磐津「松廼羽衣(まつのはごろも)」の異質さ

謡曲や歌舞伎芝居は、有名な和歌や伝承や故事を、本歌取りのように取り込むものです。

そうやって短い歌詞のなかでより広く深みのある物語世界を表現しようとしているのですが、「松廼羽衣(まつの はごろも)」にいたっては、ほかの作品とは違う、いっぷう変わった作者の作為(さくい)を感じさせられます。

平成24年、水木歌澄追善 東京水木会「松廼羽衣」

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それはまずは、仏教思想「天人五衰(てんにん ご すい)」の取り込み方に顕(あら)われます。

歌詞は天女の顔を「まだ白妙の富士の顔」と唄います。つまり「年若い乙女」と表現するのですが、またいっぽうで「挿頭(かざし)の花も打ちしおれ 五衰の姿あらわれて」とも、唄うのです。

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『大般涅槃経』によると、天人五衰のさまは下記の順番で進みます。
◇大五衰(だいのごすい)
 (1)衣裳垢膩(えしょうこうじ)=衣服に垢じみができる
 (2)頭上華萎(ずじょうかい)=頭上の花がしなびれる
 (3)身体臭穢(しんたいしゅうわい)=身体が汚れてくさくなる
 (4)腋下汗出(えきげかんしゅつ)=腋(わき)の下から汗が出る
 (5)不楽本座(ふらくほんざ)=自分が還る場所(席)がわからない
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要するに、この天女は既に挿頭(かんざし)の花がしなびれるという「老衰の第2段階まで進んだ天女」であって、若い娘ではありません。これが歌詞のとおり「衣を奪われたことによる」突然の老衰スタートであるなら、話はさらに複雑になります。

ひたすら踊ってます。


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一生が500~5000年という長さであり、老衰の5段階もそれぞれ数10年から数100年かけながら老いる天女です。すると漁師が木の枝にかけられた衣を手にしてから、天女の求めを拒んで泣かせてしまうまで、少なくとも100年以上が経過してしまったことになります(都卒天の一日は人間世界の400年)。

漁師・伯了(はくりょう)は天女が帰参するのを見送ったあと、浦島太郎のようにどっと年老いたことでしょう

また、先に説明した五衰は「大の五衰」に分類され、決して後(あと)戻りできない老衰です。死のカウントダウンは始まりました。いまさら衣を返してもらっても、天女はもう、若い娘に戻ることはできないのです。


ところが、その破滅の未来は歌詞にはまったく表現されません。

この暗澹(あんたん)たる状況のなか、さらに白居易(はっきょい=白楽天)の大悲劇「長恨歌(ちょうこんか)」が取り込まれます。

とにかく踊ってます。



////// 常磐津「松廼羽衣(まつのはごろも)」に取り込まれた「長恨歌(ちょうごんか)

永遠の名作「長恨歌(ちょうごんか)」は、安史の乱で都を追われた唐の皇帝・玄宗が、みずからの帝位を守るため寵愛の后・楊貴妃を縊死(いし)させ、あとから陰陽道の道士にその魂を探させる、身勝手すぎる物語です。

道士は海のなかにそびえ立つ山のうえの、五色の霞(かすみ)たなびく蓬莱宮(ほうらいのみや)で、楊貴妃の魂を見つけ出します。

仙女となった楊貴妃は涙を流し、形見の品として髪に挿していた櫛を取ると、七夕の夜に玄宗皇帝とふたりきりで誓った「天にあっては比翼(ひよく)の鳥となり、地にあっては連理(れんり)の枝となろう」という、秘密の言葉を添え道士に手渡すのです。

詩は「天も地も、いつかは尽きるときが訪れるでしょうが、この悲しみだけは永遠に尽きることがないのでございます」という、楊貴妃の悲嘆で終幕を迎えます。

つまり「比翼の鳥」「連理の枝」は「死」の運命と一緒に語ると、果たされなかったふたりの恋の約束となり、それを果たしてくれなかった男への、女の側の長い恨みの象徴になります。

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これを全部取り込んでしまっているので、羽衣伝説の美しく優雅な物語の背景に、衣を奪われたせいで死んでゆかなければいけない天女の、恨みのような感情が見え隠れします。「比翼の鳥」「連理の枝」が唄われる場面では「天にあっては比翼の鳥、地にあっては連理の枝と言うけれど、しょせん男と女は夢まぼろし」と、悲観的な意味にも読めてしまうのです。


そのように唄いながら天女は、現代では男性の舞となっている勇ましい(とはいっても雅楽なので、ゆったりした)駿河舞(するがまい)を舞い、富士の峰高く飛翔して天上界へ還ります。

そうして幕


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「長恨歌(ちょうごんか)」に出てくる「蓬莱宮(ほうらいのみや)」のモデルは、富士山だろうと推測されています。そのため静岡の羽衣伝説では、天女は富士の高みへ飛び去るのです。

念のためですが、これは原曲である謡曲「羽衣」の内容が既にそうなのであって、常磐津は謡曲のまわりくどさを解消するように、すっきり要点のみ唄い上げて見事です。

ちなみに謡曲「羽衣」に「比翼の鳥」「連理の枝」は取り込まれません。その代わり「かぐや姫」伝説のもととなった月の乙女伝説と富士山信仰と仏教思想と「古事記」の開闢神話(かいびゃくしんわ)が、ごちゃまぜで登場します。そして月の乙女のひとり・天女が衣を返してもらうお礼として、天皇(すめらみこと)の御世を祝し地上に駿河舞を授けながら、富士の高みへ飛び去ります。もはや何のことやらわかりません。物語構成のカオスっぷりは、常磐津の比ではないのです。

楽屋にて



////// ハッピーエンドか、アン・ハッピーエンドか

問題は、この駿河舞は「衣を返してもらって嬉しそうに」踊るのが正しいのか(表のストーリー)、それとも「もの悲しく」もしくは「(死を覚悟した様子で)勇ましく」踊るのが正しい(裏のストーリー)のか、歌詞だけでは判然としないことです。

判然としないのですが、優美に演じなければいけないのは確かなので、「優美に!」と念じながら舞い踊りました。





※タイムトラベル舞踊「松廼羽衣」全訳 、の記事はこちら

衣装は重いし、動きもあって、たいへんな踊りです。
最後の畳のうえの写真は、楽屋へ帰ってほっとしたところです。

踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2018 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







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