2018年11月30日金曜日

修羅の舞踊「官女(かんじょ)」全訳





平成27年(2015)、国立劇場で踊った、「官女(かんじょ)」という踊りの続きの、そのまた続きです(失礼!)

ところで「官女」はわたしの好きな演目で、今までに2度チャレンジしてます。このページでは平成16年(2015)仙台電力ホール「歌泰(かやす)会」で踊った際の、「官女」の写真を紹介させていただきますね。

なお、今回この記事を書くに当たって簡単に資料集めをしたものの、歌詞の全体説明はほとんど見つけることが出来ませんでした。「平家物語」「源平盛衰記」のパッチワークのような内容のため、説明しづらいのが原因のように感じます。

※「官女(かんじょ)」という踊り(1)の記事は、こちらからどうぞ
※「官女(かんじょ)」という踊り(2)の記事は、こちらからどうぞ


ですのでこちらに歌詞が暗喩する源平合戦関連の伝承を、全段解きほぐします。「平家物語」と「源平盛衰記」を長唄歌詞に投入するため、かなりの意訳になりますが、唄の魂というか、裏の意味を理解する参考になればさいわいです。



春の十二単(ひとえ)

////// 全訳

-原文-
  見渡せば柳桜に錦する
  都はいつか故郷に
  馴れし手業(てわざ)の可愛らし
  こちの在所はナ ここなここな
  この浜越えて あの浜越えて ずっとの下の下関 
  内裡風俗あだなまめきて
  小鯛(こ だい)買はんか鱧(はも)買やれ
  鰈(かれい)買はんかや 鯛(たい)や鱧(はも)
  これ買うてたもいのう 
  アアしよんがいな
  いかに身過ぎぢゃ世過ぎぢゃとても
  おまな売る身は蓮葉なものぢゃえ



  徒歩(かち)はだし そなた思へば室と八島で塩やく煙 立ちし浮名も厭ひはせいで
  朝な夕なに胸くゆらする 楫を絶えてやふっつりと たよりなぎさに捨小舟

全盛期の伊勢平家と平清盛

  心づくしの明暮(あけくれ)に 乱れしままの黒髪も 取上げてゆふかね言の
  生田の森の幾度(いくたび)か 思ひ過して 恥かしく 顔も赤間が関せかれては
  枕に寒き几帳の風も 今は苫(とも)洩る月影に 泣いてあかしの海女の袖

  いつ檜扇(ひおうぎ)を松の葉の 磯馴小唄(そなれ こうた)のひとふしに
  友のぞめきにそそのかされて 船の帆綱をかけぬが無理か 須磨よ須磨よ 
  いとど恋には身をやつす 夜半の水鶏を砧(きぬた)と聞いて
  たてし金戸を開けぬが無理か 須磨よ須磨よ

八島の九郎判官義経

  怨みがちなる床の内 憂やつらや 
  波のあはれや壇の浦 打合ひ刺違ふ船戦の駈引き 浮き沈むとせし程に 
  春の夜の波より明けて 敵と見えしは群れ居る鴎(かもめ)
  鬨(とき)の声と聞えしは 
  浦風なりけり高松の 浦風なりけり高松の 朝嵐とぞなりにける

滝口寺「平家供養塔」

-現代語訳-
  見渡してみれば柳の木や桜の木が十二単をまとったように美しい、ある春のこと。
  気づけば都(みやこ)はいつか、懐かしい「ふるさと」になりました。
  手作業というものを覚えましたが、自分ながらにあわれです。
  わたしの住まいですか? この浜を越え、あの浜を越えて、
  さらに下(くだ)った下関です。

2004年、歌泰会「官女」

  内裏(だいり)風の色っぽい腰巻が掛かっているので、
  探せば、すぐにおわかりになりますよ。
  小さな鯛(たい)は姫鯛(ひめだい)と言って、
  平家の官女が海に身を投げ変身したという魚です。
  小さな鯛(たい=官女)を、買ってくださいませんか?
  鱧(はも)は都(みやこ)の貴族が食べる旬の魚です。
  鱧(はも=都の貴族)を、買ってくださいませんか?
  鰈(かれい)は、平家の落ち武者が食べたキビ餅などと同じ名前です。
  鰈(かれい=平家の落ち武者)を、買ってくださいませんか?
  情けないこと
  たとえ生きぬくためと言え、
  みずからの境遇を売って歩くなんて、なんとふしだらなわたしでしょう。

2004年、歌泰会「官女」

  都(みやこ)へ想いを馳せながら、
  下女のように徒歩はだしで歩きまわり、室戸屋島で塩を焼いています。
  塩焼きの煙が浜に立つように、
  浮き名が立って揶揄されるのもいとわず、
  朝も夜も、想いで胸をくゆらせているのです。
  九郎判官義経(くろう はんがん よしつね)
  船の楫取り(かじとり)を狙って斬らせたあと(壇ノ浦の合戦)
  わたしたち平家残党は
  楫を失ったせいで、なぎさに棄てられた小舟のように、寄る辺ない身になりました。

2004年、歌泰会「官女」

  必死で生きる明け暮れにも、乱れたままの黒髪を取り上げ結おうとするけれど、
  生田(いくた)の森での約束を思い出し、つい手元が止まります。

  少年・梶原源太景季(かじわら げんた かげすえ)は生田(いくた)の森で
  一輪(いちりん)の梅の花を箙(えびら、矢を入れる箱)に差して先頭で奮戦しました。
  それは後退せずに闘いなさいという、父との約束を果たすためでした。
  そんな源太に平家の公達(きんだち)はいたく感心し、
  戦(いくさ)のさなかにもかかわらず、和歌を贈って褒めたのです。
  まさか負けてしまうとは、誰も思っていませんでした。
  いま思い返せば、何度でも恥ずかしくて赤面します。
  けっきょく赤間が関へ押し出され、
  几帳の向こうから吹いてくる、ささやかな枕の風すら失ってしまいました。

  壇ノ浦からたくさんの平氏が明石へ逃げ落ち、そこで最期を迎えました。
  わたしも須磨からこちらへ移り、
  こうして貧しい家で月影に照らされながら、涙で袖を濡らしています。
  官女が持つ檜扇(ひおうぎ)をいつまた手に出来るかと心待ちにしながら、
  こんな磯小唄のひとふしを唄ったりしますよ。

2004年、歌泰会「官女」

  友人たちにやいのやいのと囃(はやし)し立てられたら、
  遊女舟の帆綱を岸につながせないなんてことは、無理でしょうね。
  備中水島での合戦では帆綱でつないで勝利したのだから(水島合戦)
  同じように舟どおしを帆綱でつながないでいるのは、無理でしょう。
  そのせいで身動きがとれず、
  小さな舟でやってきた源氏軍に負けたのだけれど、
  それはもう仕方がない(壇ノ浦の合戦)
  そうでしょう、須磨よ、須磨の海よ。

  恋のためには身を隠すもの、
  だから夜半の水鳥が立てる音を、
  砧(きぬた、女性が布を打つ棒)を打つ音と思い込み
  誰か忍んできたと勘違いして
  うっかり半蔀(はんじとみ、窓)を開けてみないなんて、無理でしょうね。
  敵軍に囲まれ、おびえてていたのだから、
  水鳥の音を源氏軍の鬨(とき)の声と間違えないなんて、無理でしょう。
  ありもしない敵の攻撃におびえて平家軍はいっせいに逃げ出し、
  みずから勝ちいくさを放棄したのだけれど、
  それはもう仕方がない(富士川の合戦)
  そうでしょう、須磨よ、須磨の海よ。

2004年、歌泰会「官女」

  横になっても怨念がおさまらず、憂(うれ)いとつらさで眠ることができません。
  波の音がしみじみと響く壇ノ浦に、
  打ち合い刺し違える、船のいくさが始まります。
  ああ、浮かび上がった、ああまた、ほら沈んでしまうと、はらはらしていると
  春の夜が海の向こうから明けはじめ
  敵軍と見えたのは群れ飛ぶ白い鴎(かもめ)にすぎず
  鬨(とき)の声と聞こえたのは、
  ただの浦風だと
  高い松のこずえから降りそそぐ
  ただの浦風だと
  高い松のこずえを揺らす
  ただの浦風が、吹きなぐるまま、朝の嵐になりました。


武者の幽霊と瀬戸内海の夜明け


安徳帝の命日になると空飛ぶ白いカモメが堕ちてきた伝説の説明になっていることから、やはり作詞者・松井幸三はこの官女を「船幽霊」として描いたように思います。
(もちろん、原型である謡曲「八島」の漁師は修羅道を迷う亡霊です)

※「官女(かんじょ)」という踊り(1)の記事は、こちらからどうぞ
※「官女(かんじょ)」という踊り(2)の記事は、こちらからどうぞ




登場人物の境遇を理解すればするほど、魚を愉(たの)しそうに売るのがつらくなって、難しくなる踊りです。



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P.S.
この日曜日に日本舞踊協会・宮城県支部の各流舞踊大会があります。
※歳末助け合い日本舞踊協会宮城県支部のあゆみ

※100円以上のご寄付で、プログラムを進呈させていただきます。
※ご協力、よろしくお願いいたします。
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2018/12/2(日)『歳末助け合い 第56回各流舞踊大会
会場 仙台電力ホール(仙台市青葉区一番町3丁目7−1)
1部 午前10時30分 開演
2部 午後1時30分 開演
入場 1,500円
アクセス JR「仙台駅」から徒歩約10分(バスもあります)
お問い合わせ 022-261-7055(宮城県芸術祭事務局)
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よろしくお願いします!
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踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2018 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







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