2019年1月18日金曜日

幸福はそこだ「団子売」という踊り(全訳)





だいぶ以前ですが、平成3年(1991)、仙台電力ホールで踊った義太夫「団子売」を紹介させてくださいね。


////// 歴史

「団子売(だんごうり)」は清元「玉兎月影勝(たまうさぎ つきのかげかつ)を、義太夫節に移したものと言われます。






明治12年(1879)、「伊賀越道中双六(いがごえ どうちゅう すごろく)」七段目「新関所の段」遠眼鏡(えんがんきょう)の場に「団子売」として初演されました(人形です)

義太夫は、
時代物
世話物
慶事物(けいじもの)
に、大別できます。「団子売」は筋書きはなく、所作事(人形の踊り)だけなので「慶事物」に当たります。

その後、歌舞伎演目となり、歌舞伎舞踊になりました。

夫婦ものの団子売り、お臼(おうす、文楽・歌舞伎では「お福」)と杵造(きねぞう、文楽・歌舞伎では「杵蔵」)が、臼(うす)と杵(きね)とで子孫繁栄のための夫婦の睦みごとを表現し、生まれた子どもを団子に見立ててゆったりと童歌を踊り、やがて歌詞に「高砂の松」が登場するや、一転「おかめ(お多福)」「ひょっとこ」の面をつけて二人で滑稽に踊り回る、おめでたくも起伏に富んだ、愉快な踊りです。

平成3年、仙台電力ホール「団子売」、お臼・水木歌泰先生、杵造・水木歌惣




////// 考察(まさかの、団子考察)

ふたりが踊りながら捏(こ)ねる団子は、江戸時代~明治ごろまで江戸の屋台で売り歩いていた、「景勝(かげかつ)団子」というものです。

「景勝団子」は、その形が上杉景勝の生家・長尾家の鉾先(ほこさき)に似ていたところから名が付いたと言われ、享保(1716~1736)の頃に、ものの本に登場します。

団子は串にさして売るもの、宝暦年間(1751~1764)にはひと串に5粒さして五文でしたが、明和5年(1768)に四文銭ができるとひと串4粒、四文で売られるようになりました。花見団子は三色でひと串3粒、考案したのは大閣・豊臣秀吉公ですが、花見でもっぱら三色団子を食べたのは江戸の庶民です。それなのに東京では今も、お年寄りほど「三色団子は高い」と言います。それは他の団子に比べ、ひと串の団子の数が少ないからです(東京育ちのいとこ談)

ところがこの「景勝(かげかつ)団子」を、歌詞では「飛び団子」と唄います。

「飛び団子」というものはいくつかあります。有名なのは富山県富山市の「悪者に襲われたとき、天空から団子が跳んできて口の中に飛び込み、そのおかげで力が出て悪者を退治できた」という伝説のある団子です。富山の人々が伝えているものが伝説どおりかはわかりませんが、富山の「飛び団子」は白い団子に餡子(あんこ)をかけたもの、屋台で売るような串団子ではありません。江戸の「飛び団子」は、このような趣旨ではありません。

江戸の庶民は団子好き、永代橋あたりで売られた「永代団子」や日本橋室町の「浮世団子」、大きくて有名な浅草の「喜八団子」も知られます。そしてまさかの江戸の「飛び団子」、かつて、神社境内の屋台などで唄い踊りながら団子を捏(こ)ね、客に飛ばす曲芸というか、曲売りがありました。味見だと言ってお客の口の中へ団子を飛ばし、拍手喝采ののち、普通の団子が売られる趣向です。団子の種類はそのときによって違います。

「団子売」の前身になる演目のひとつ、江戸・中村座初演、常磐津「主唯恋山吹(ぬしはたれ こいのやまぶき)」の通称が「景勝団子」、元になった清元「玉兎」も本名代に「影勝(かげかつ)」と付きます。そのため「団子売」の団子は「景勝団子」ということになっていますが、本当のところ「飛び団子」の団子の種類は、何でも良いのです。

「飛び団子」のくだりは、お臼と杵造が「これから唄い踊りながら、団子を捏(こ)ねて飛ばしますよ」と、売立口上(うりたての こうじょう)を行っているのです。

平成3年、仙台電力ホール「団子売」、お臼・水木歌泰先生、杵造・水木歌惣



////// 歌詞(太字が現代語訳

今度今度仕出しぢゃなっけんけれど
雪か花かの上白米を 痴話と手管でさらせて(さらして)挽いて
情けでこねてしっぽりと 飛び団子

このたび、新趣向と言うほどじゃ、ありゃしませんが、
雪か花かと思うほど、真っ白い上新粉を恋の遣り取りと手練手管でさらし、
情愛でこねてしっぽりと、団子を作り飛ばしてみせましょう。

ヤレモサウヤヤレ ヤレサテナ 臼と杵とは女夫でござる
ヤレモサウヤヤレ ヤレサテナ 夜がな夜ひと夜
ホオオヤレ ヤレサ

やれもさ、そうややれ、やれさてな、臼と杵とは夫婦でござるよ。
やれもさ、そうややれ、やれさてな、夜がな、この夜ひと夜とたいせつに。
おおやれ、やれさ。

平成3年、仙台電力ホール「団子売」、お臼・水木歌泰先生、杵造・水木歌惣

ととんが上から 月夜はそこだよ

ヤレコリャ よいこの団子が出来たぞ
ホオオヤレ ヤレサ

父ちゃんは上から。月夜だ、それそこだ。
やれこりゃ、お陰で良い子の団子が出来たぞよ。
おおやれ、やれさ。


はれわいさて これわいさて どっこいさてな
よいと よいと よいと よいと よいとなとな
これわいさの よい女夫 臼と杵との仲もよや

あれわいさて、これわいさて、どっこいさてな。
よいと、よいと、よいと、よいと、よいとなとな。
これわいさの、よい夫婦、臼と杵との相性は抜群。


<童謡>

お月様さえ嫁入をなさる ヤットきなさろせ とこせとこせ
年はおいくつえ 十三七つえ
ほんにえ お若いあの子を生んで ヤットきなさろせとこせとこせ
誰に抱かせませうぞえ おまんに抱かそぞえ 見てもうまそな品物め

お月さまさえ嫁入りなさる。
まず、こっちへ来なさい、とことこせ。
年はいくつだい、ほう十三七つか。
(はは)さんはほんにお若いのに、あの子を産んで。
まず、こっちへ来なさい、とことこせ。
誰に抱かせようか、お万に抱かそうか。
見れば見るほど、たくさん産みそうだ、とお月さまを品定め。



<高砂を謳い、俄(にわか)を披露>

さうだよ 高砂尾上の 爺様と婆様が箒を手に持ち
熊手をかついで目籠をしよひそろ 小松の枯葉をさらりと集めて
戻ろとしたれば
上の枝には鶴の巣籠り 下の小池にや女亀と男亀が
空を眺めて このや松はな 目出たい松にて
高砂文句もここらでとめましよ 尾上


そうだよ。
高い山の峰の上から、長寿の爺さまと婆さまが、
幸福をかき集める箒(ほうき)を持ち、
幸福をかき集める熊手(くまで)をかつぎ、
目駕籠(めかご)をせおって出かけまする。
子宝の象徴・姫小松の枯葉を、さらりと集め、
さて戻ろうかとしたところ、
松の上の枝には鶴が巣篭もりして睦み合い、
下の小さな池では女亀と男亀が重なり合う。
空を眺めて言うことには
「この松は、本当に、目出度い松だのう」と。
そうしておめでた尽くしも、ここらで〆、高い峰へと還(かえ)ってゆく。

平成3年、仙台電力ホール「団子売」、お臼・水木歌泰先生、杵造・水木歌惣

<踊りに戻る>


かくては尽きじと 女夫連れ かしこを指して

こうしておめでた尽くしは終わり、
お臼と杵造も夫婦連れ添い、未来を目指して、また歩き始める。

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高砂へ入る「そうだよ」で、曲が一変します。それまではゆっくりですが、速くて美しい旋律に変わります。お人形遊びと馬鹿にしてはいけません。愉(たの)しくて、こころが洗われるような、演目です。

踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







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