平成27年(2015)、各流舞踊公演で踊った「二人椀久」紹介のつづきです。
////// 実録・椀屋九兵衛
井原西鶴は大和屋甚兵衛と旧知のあいだがらで、大和屋甚兵衛に取材し「椀久一世の物語」を書きました。この作品のなかでの遊女・松山は「運命の女(Femme fatale)」ではあるものの、ヒロインではありません。
そもそも椀久は女性と同じぐらい若衆(=若い男性)が好きで、物語のなかでは若衆に対する愛情の方が、女性へのそれよりずっとやさしく、深いように描かれています。
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◆井原西鶴「椀久一世の物語」あらすじ
堺(さかい)の豪商・椀久は、但馬屋の遊女・松山と深い仲になったあげく三百両を持参し身請けしようとするが、松山は金を受け取って大喜びでもてなすものの、身請け話は適当に受け流し、否(いな)とも応(おう)とも返事なく椀久を帰らせた。椀久は腹を立て、松山との交際はこれで終わりになる。同時期、美しい妻がわずか十八歳で夭折する。椀久は田舎へ引っ越す決意をする。
浮世絵「揚屋(あげや)」 |
親から継いだ資産を遊びで使い果たしていた椀久は、しかたなく広い家屋敷を売ると田舎に小さな家を買って移り住む。そこへふらりと放蕩ともだちの想八が訪れ、椀久の貧しさに驚愕する。この頃、人気女形・大和屋甚兵衛が放蕩のすえ零落した椀久を芝居に取り上げ、みずから椀久役を演じて大当たりをとった。
想八と、想八の女としばらく一緒に暮らしていると、松山の使いだという廓の女がやってきて、松山が椀久を恋しがり零落したと聞いてたいへん心配している、と告げる。「松山姉さんがとても気落ちしているので、遊びに来てやってください」と路銀を渡され、椀久は一念発起して想八と大阪(物語の中では江戸)へ向かうことにする。
しかし途中で伏見稲荷近くの遊郭(撞木町=しゅもくちょう)に寄り道して女郎に深入りすると、椀久は松山に会う気が失せる。そしてそのころから椀久は、日が暮れると身を寄せた知人宅を抜け出し、ふらふら町を徘徊するようになる。想八は友人の様子に不穏なものを感じ、椀久を寺へ連れて行き出家させた。
しかし僧となっても相変わらず徘徊していたある夜、椀久は川べりで遊女たちを引き連れ、豪勢な舟遊びに興じるお大尽に言いがかりをつけ、持っていた竹杖で打ちかかろうとしたところ、竹杖を本物の刀と見間違えた用心棒の男らに散々に打たれ、川へ投げられて落命した。享年三十三歳。
浮世絵「金竜山下(浅草)の船」 |
////// 椀屋九兵衛という人物
節分の豆まきがわりに揚屋で一分金を撒いたことで知られる放蕩者(ほうとうもの)の椀久ですが、井原西鶴はほかにもいくつか、あとあじの悪いエピソードを紹介しています。
あるとき博打遊びの帰り、年のころ四十ばかりのホームレスの女に物乞いされた椀久は、女が境遇のわりに身奇麗にしていることに感心し、さいぜん博打で勝った三百文を与えると「その代わり、その髪を切って俺にくれ」と言いました。恋の契りの証(あかし)として髪や爪や、ときには小指を切り落として客の男に捧げる遊女たちの心づくしを、椀久は何故かホームレスに要求したのです。
しかし女はこれを聞くと恐ろしがり「ほんのちょっとの金をくれ、三百文はいらない」と言い、押し付けられた三百文を椀久へ向けて投げ返しました。すると椀久は「ホームレスが触った汚い金だ」と言い、三百文を川に投げ沈めてしまいます。ちょっと、お友達になりたくないタイプの男です。
浮世絵「黒髪切り」 |
また、椀久を演じた女形・大和屋甚兵衛はあるとき椀久を自宅へ招き、「何でも望みのものを差し上げます。何が欲しいですか」と聞きました。椀久の答えは「ひらひらした洒落た紙子(かみこ)の羽織を着て、紅おしろいを塗って、役者のように歌い踊ることができれば、ほかには何もいりません」と、いうものでした。「そんなもので良いのですか、すぐ準備させます」と言って座敷で待たせ、準備ができて呼びに行かせたところ、もう何処へ行ったのか、姿が見えなくなっていたそうです。
延宝4年(1676)死亡説(大阪・円徳寺 過去帳)と、延宝5年(1677)死亡説(大阪・実相寺 墓誌)と異なる死亡年の記録があり、実相寺には「椀久松山の墓」なるものが建てられています(墓碑によると、松山の死は椀久死亡の翌年)。「椀久一世の物語」が事実であれば、松山と一緒に眠るのは本人的には不本意だろうと、少しばかり同情します。
椀久は、今で言う「LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)」で、適応障害があったのではないでしょうか。死因はそして、現代のわたしたちの目からはアルコール依存症による幻覚妄想と、それが原因の他害、けんかのすえの事故と見えます。
平成27年、日本舞踊協会各流舞踊公演「二人椀久」 |
////// 歌詞(タマから結びまで)
◆原文
按摩けんぴき 按摩けんぴき
さりとは引け引けひねろ
自体 某(それがし)は東の生まれ(※椀久は大阪生まれです)
お江戸町中(まちなか) 見物様の
馴染 情けの 御贔屓つよく
按摩けんぴき
朝の六時(むつ)から 日の暮(くる)る迄
さりとは さりとは かたじけない
◇現代語訳
按摩しますよ、按摩いたしましょ。
こんな風に、引いたり、引いたり、ひねりましょ。
そもそも自分は東(あずま)生まれの力自慢。
お江戸中のご見物さまに、
馴染(なじ)みやお情(なさ)け、ごひいきをたまわります。
お肩もませて、いただきましょ。
朝の六つから日が暮れるまで、
いつでも呼んでいただけたら、かたじけなく存じます。
平成27年、日本舞踊協会各流舞踊公演「二人椀久」 |
廓々(さとざと)は我家(わがいえ)なれば
やり手 かむろを 一所に連れ立ち
急ぐべし 遊び嬉しき馴染みへ通う
恋に焦がれて
ちゃちゃと ちゃとちゃと
ちゃっとゆこやれ
可愛がったり がられてみたり
無理な口舌(くぜつ)も遊びの品(しな)よく
彼方(かなた)へ云いぬけ 此方(こなた)へ云いぬけ
裾にもつれて じゃらくら じゃらくら
じゃらくら じゃらくら
悪じゃれの 花も実もある しこなしは
一重二重や 三重の帯
ふすまのうちぞ(※公演では「恋のえにしぞ」や「えにしの糸ぞ」に変更)
そろかしく
◇現代語訳
そちらの廓(くるわ)もあちらの廓(くるわ)も、
わが家みたなものだから。
遣り手婆(やりてばばあ)も禿(かむろ)も連れ立ち、
さぁ急ぎましょ、遊んで愉(たの)しい馴染みの店へ。
恋に焦がれて、
ちゃちゃっと、ちゃとちゃと、
さっさと行きましょ。
かわいがったり、がられてみたり、
無理な言い分で始まる口げんかも、
遊びであれば品良く見える。
あぁも言いぬけ、こうも言いぬけ、
裾にもつれて倒れてしまい、じゃらくら、じゃらくらと。
じゃらくら、じゃらくら、
悪ふざけのなかにも、花も実もある、色っぽい仕草。
一重二重(ひとえ ふたえ)と帯を解き、三重の帯まで取り去ると、
布団の中では、、、
おっといやいや、これにて候(そうろう)つかまつる、ではまたね。
平成27年、師匠・水木歌泰(みずきかやす)先生 |
※「二人椀久(ににんわんきゅう)」という踊り(1)、の記事はこちら
※ 高尾太夫の亡霊が踊る、もうひとつの「二人椀久(ににんわんきゅう)」全訳、の記事はこちら
※ 松山太夫おお暴れ、恋は盲目「二人椀久(ににんわんきゅう)」全訳、の記事はこちら
実際のところはわかりませんが、踊りの中の椀久は廓(くるわ)での男女の駆け引きを愉(たの)しんでいるかのように見えますね。好き勝手に生きたのだから、それなりにしあわせな人生だったと思います。
踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved. |
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