2019年1月28日月曜日

仙台伊達家の祈祷所「大嶽山興福寺(おおだけさんこうふくじ)」と六角堂





仙台の帰り、ふと思い立ち近くのお寺・興福寺(こうふくじ)へお参りして来ました。

奈良県にある同名のお寺・興福寺さんが有名すぎて、こちらはあまり知られていませんが、わたしの住む宮城県登米市迫町(とめし はさまちょう)のお隣、南方町(みなみかたまち)の大嶽山(おおだけさん)には「興福寺」という、立派なお寺さんがあります(天台宗「大嶽山興福寺」)


お寺の記録には「平安時代初期・大同2年(807)征夷大将軍坂上田村麻呂により創建、京都清水寺延鎮法師の開基」とあるようです。


戦国時代には荒れた寺になっていたのを領主・葛西氏が再建、しかし豊臣秀吉公に財産没収されたあと、領民による一揆が起こり寺も加担したため観音堂を残して消失、その後亘理(わたり)氏が寺の別当について再建、伊達氏の所領になってからは伊達家の祈祷所になっています。


上の写真は明治21年に再建された、観音堂です。




高尾太夫の亡霊が踊る、もうひとつの二人椀久(ににんわんきゅう)全訳」という記事では、日本橋中洲(三叉)に浮かぶ船の中で、仙台藩主が寛永三名妓のひとり「2代目 高尾太夫(生年不詳~1660)」を吊るし切りにしたという、当時の江戸の噂をとりあげました。もちろん仙台藩の記録にはそのようなことは一切なく、あくまで噂にすぎません。

高尾太夫を殺したと噂された、仙台藩3代目藩主・伊達綱宗(だて つなむね、1640~1711年)公の病気平癒祈祷(1708~1710)は、このお寺で行われました。江戸では悪い噂の多い藩主さまですが、地元仙台では評判の良い方です。そのため、地元では高尾太夫吊るし切りの噂自体が、伊達騒動を誘発しようとした、江戸幕府の陰謀だという説があるほどです。


写真は明治17年に建築された六角堂です。洋風デザインがとりいれられた珍しさのせいで人気があり、昭和21年、地元南方町(みなみかたまち)の指定文化財になりました。季節が良ければ、中に入ることもできます。




登米市は自然環境が豊かなだけでなく、仙台さま(仙台伊達氏)の要衝(ようしょう)として貴重な文化財がたくさん残っているところです。気候の良いときに是非、お越しくださいませ。

本文・写真ともに水木歌惣。Copyright ©2019 MIZUKI Kasou All Rights Reserved.







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