2019年5月3日金曜日

妖怪になった鷺娘、長唄「鷺娘(さぎむすめ)」全訳





平成4年に踊った「鷺娘」という踊りの記事の、続きです。









////// 長唄「鷺娘(さぎむすめ)」概略


■初演■
宝暦12年(1762)、江戸・市村座、2代目 瀬川菊之丞(1741~1773年)

■本名題(ほんなだい)
四変化舞踊「柳雛諸鳥囀(やなぎにひな しょちょうの さえずり)

■四変化(上の段)
(1) 長唄「けいせい」※現在の一般的な長唄「傾城」(1828年初演)とは違います
(2) 長唄「鷺娘(さぎむすめ)
(3) 長唄「布袋(ほてい)
(4) 長唄「うしろ面」
※「下の段」とやら(終幕後か?)で長唄「華笠踊(花笠踊)」が上演されています。

■作曲■
初代 富士田吉次(1714~1771年)・杵屋忠次郎(生没年不詳)

■作詞
不詳、おそらく2代目 瀬川菊之丞(1741~1773)本人






////// 鷺の精なのか、鷺なのか、はたまた人間なのか

長唄「鷺娘(さぎむすめ)」は、少なくとも三演目以上あります。最初の本名題「柳雛諸鳥囀(やなぎにひな しょちょうの さえずり)」が好評だったからこそ、ですが、そのせいで演目のテーマが混乱してしまいました。


長唄「鷺娘」について調べようとすると、ひもとく書物によって違うことが書いてあったりします。たとえば「日本音曲全集」第一巻の解説には、このように書いてあるらしいのです。※すみません、原本がなく、それを書き写した本から写しました。
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雪のちらちら降る中に、若い美しい娘に化けた白鷺の精がしょんぼりと立っている。やがてそれが幽婉なクドキとなり、派手な傘踊りとなり、たちまち又凄艶な地獄の苦しみとなる。(「日本音曲全集」第一巻 )
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先に答え合わせをしてしまいます。

初代 市川翠扇(生没年不詳 ※市川翠扇は市川流家元の名跡)氏は「本当の鷺ではない。恋に悩む娘心を寂しそうな鷺の姿を借りて表現しただけだということを、忘れてはいけない」と、はっきり書き残しています(演劇画報「をどり」より)



では「日本音曲全集」は嘘を書いたのかといえば、実はそうではありません(「傘尽くし」ではなく「槍尽くし」ですが)。前の記事に書いたとおり、長唄「鷺娘」の上演記録は混乱しています。
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(1)
宝暦12年(1762年)江戸・市村座、四変化舞踊「柳雛諸鳥囀(やなぎにひな しょちょうの さえずり)」2代目 瀬川菊之丞(1741~1773年)作、初演。長唄、通称「旧鷺娘」

(2)
文化10年(1813年)江戸・中村座、十二変化舞踊「四季詠寄三大字(しきのながめ よせて みつだい)」2代目 瀬川如皐(せがわじょこう、1757~1833)作、3代目 坂東三津五郎(1775~1832年)初演。長唄と常磐津のかけあい、通称「雪鷺娘」

(3)
天保10年(1839年)江戸・中村座 八変化舞踊「花翫暦色所八景(はなごよみ いろの しょわけ)」3代目 桜田治助(1802~1877年)作、4代目 中村歌右衛門(1798~1852年)初演。長唄、通称「新鷺娘」。
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これらの長唄「鷺娘」(一部常磐津とのかけあい)のうち、実は(2)は(1)のパロディーです。

つまり通称「雪鷺娘」は、「旧鷺娘」を反転させたような作品で、ざっと説明すると「人間の男に恋をした鷺が、しょせん鳥だもんね、と片思いに苦悩しながらトボトボ歩いていたところ、辻占(つじうら)に出会い、香の力で娘丹前=傾城に変身。いろはにほ蓮華経と唱えて揚げ屋勤めとなり、客から浮気をしたとそしりを受けると槍を持って大暴れ(槍尽くし)、その勢いで吉野の山へ花見に出かけ、歌舞伎の花と讃えられました。めでたしめでたし」な、ストーリーです。ふう。

「四季詠寄三大字(しきのながめ よせて みつだい)」は十二変化舞踊で、そのうち長唄である五演目が、四変化舞踊「柳雛諸鳥囀(やなぎにひな しょちょうの さえずり)」のパロディーです。「柳雛諸鳥囀(やなぎにひな しょちょうの さえずり)」では、四変化舞踊と言いながら終幕「華笠踊(花笠踊)」が演じられたことは既にご存知ですね。

柳雛諸鳥囀 四季詠寄三大字
傾城  傾城
鷺娘  鷺娘
うしろ面  半田稲荷
ほてい  金太郎
華笠踊(花笠踊)  木賊刈(とくさがり)

この演目の「傾城」はお客との気ままな逢瀬を愉(たの)しみ、鷺娘は娘丹前(傾城)になれて意気揚々、半田稲荷に騙された酔客は幸せそうで、金太郎さんは地獄の鬼を退治します。木賊刈(とくさがり)の老人は木賊(とくさ)を背に負って帰路についたところです。帰れば、家出した息子が待っていることを、まだ知りません。


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「柳雛諸鳥囀(やなぎにひな しょちょうの さえずり)」は、「女郎(けいせい)なぞになると地獄に堕ちるよ(鷺娘)、お仏さん(ほてい)は優しいよ。尼になって救われる女狐(うしろ面)もいるぐらいだよ。ちゃんと結婚しなさいね(華笠踊)」という演目のようだと以前の記事で書きました。

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それに対するパロディー「四季詠寄三大字(しきのながめ よせて みつだい)」は、要するに「女郎(けいせい)になっても人生は謳歌できるよ(鷺娘)、金太郎さんが鬼なんか退治してくれるよ(金太郎)。狐(半田稲荷)に化かされたって、本人が楽しいなら良いじゃないか。ひたすら求める心さえあれば、道を誤っていようが、願いはいつか叶うもんだよ(木賊刈)」と、いう演目のようです。


月岡芳年「新形三十六怪撰」妖怪・鷺娘

こちらの「四季詠寄三大字(しきのながめ よせて みつだい)」も相当流行したらしく、本にとりあげられる頻度は本家「柳雛諸鳥囀(やなぎにひな しょちょうの さえずり)」をうわまわるほどです。あまり人気となったあげく「鷺娘」という妖怪が定着し、月岡芳年(1839~1892年)による妖怪画の連作「新形三十六怪撰(しんけいさんじゅうろっかいせん)」に登場したほど。

つまり「人間の男に片思い」して人間に化けた「鷺娘」は、「四季詠寄三大字(しきのながめ よせて みつだい)」の長唄「鷺娘」であり、長唄と常磐津の出来が良すぎて創り出されてしまった、妖怪「鷺娘」の話なのです。





////// 町娘なのか、傾城(女郎)なのか

■復活上演■
明治19年(1886)東京・新富座、9代目 市川団十郎(1868~1903年)

■本名題■
月雪花三組杯觴(つきゆきはな みつぐみの さかづき)

9代目 市川団十郎「暫」

■振付■
初代 花柳寿輔(1821~1903年)

■再演■
明治23年、9代目 市川団十郎一門が東京・歌舞伎座で再演、名題「鷺娘」。


市川九女八
その後「鷺娘」は「女団州(おんなだんしゅう)」と異名をとった名題(なだい)舞踊家、9代目 市川団十郎の女弟子・市川九女八(いちかわくめはち、1846~1913年)の得意演目となり、日清・日露の戦時下にも大人気で上演を重ねました。



「柳雛諸鳥囀(やなぎにひな しょちょうの さえずり)」の鷺娘は、歌詞と衣装から判断するに明らかに傾城(女郎)です。しかし「月雪花三組杯觴(せつげつか みつぐみの さかづき)」では、演劇改良運動の一環として歌詞の一部を改変して「踊り口説き」要素を排除、衣装も変えて主人公を町娘にしました。ただし、とても中途半端です。


個人的には、下記の歌詞が残ったことが一番気になります。
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作詞者不詳(おそらく2代目 瀬川菊之丞)長唄「鷺娘(さぎむすめ)」※抜粋
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我れは涙に乾く間(ま)も 袖干しあえぬ月影に
忍ぶその夜の話を捨てて
(現代語訳)
わたしは、ひとつの恋のため流した涙が乾けば、
抱き合い、着物を並んで干すことのなくなった月影の晩に、
逢瀬の夜の思い出を、月の光の中へ捨てるようにしていました。
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解釈の違いでしょうか。
普通の町娘は恋の相手を次々と変えないし、恋の思い出を月影に捨てる、などという粋な口をきくこともないでしょう。この部分を変えていれば、もっと町娘になったと思います。


ちなみに「団十郎版」などと呼ばれる「縁を結ぶの神さんを」から始まる9代目 市川団十郎の口説き歌詞は、通称「新鷺娘」こと、天保10年(1839年)江戸・中村座初演、八変化舞踊「花翫暦色所八景(はなごよみ いろの しょわけ)」を踏襲しています。「新鷺娘」はテーマを明るい花の踊りに変えています。
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杵屋六左衛門作詞(11代目か)通称「新鷺娘」※抜粋
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縁を結ぶの神さんに 恨みて初手は ついひぞりごと
届かぬ思ひ 葛城(かつらぎ)
(くめ)の岩橋(いわはし)中絶(なかた)えて
枕に塵(ちり)の積(つも)る夜(よ)を かぞへて泣いて待ちあかす
磯の千鳥じゃないかいな あの仇浪(あだなみ)の浮名たつ
ほんに涙の氷柱(つらら)さえ 解けて逢う夜(よ)の睦言(むつごと)
余る色香の恥ずかしや
(現代語訳)
縁結びの神さまを、初めは恨み、
ひとり呪(のろ)い言を、口にしたりしたものです。
(くめ)の岩橋(いわはし)を渡りきらず戻ってきてしまうように、
逢瀬が途絶え、枕に塵(ちり)が積もるような長い夜も、
わたしはただ、泣きながら待ち明かしました。
いまは磯の千鳥になったような気分です。
無駄に色っぽい浪に揺られたせいで、浮名が立ってしまったからです。
ほんとうに、会えないあいだには涙が氷柱(つらら)のように冷たく凍り、
会えば会ったで睦(むつ)みごとの喜びのあまり、色欲の香(かおり)が溢れ出て、
外に洩れるのではないかと、恥ずかしく感じたものでした。
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「あたらしい鷺娘は演出過多になっただけ、本質は何も変わっていない」という不満から、「旧鷺娘」をさらに改良し「嫁入り前の町娘が浮気をして地獄に堕ちる」解釈で上演した例もあります(吾妻徳穂氏、昭和27年=1952年)


気になるのは「それで死霊なのか生霊なのか」と、いうことです。わたしには、どうしても生霊に読めます。皆さまにはいかがでしょうか。
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作詞者不詳(おそらく2代目 瀬川菊之丞)長唄「鷺娘(さぎむすめ)」※抜粋
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邪慳(じゃけん)の刃(やいば)に先立ちて この世からさえ剣(つるぎ)の山
(現代語訳)
あの世へ行って邪険にされる責め苦に先立ち、
この世でさえ、剣(つるぎ)の山を登らされているのでございます。
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鈴木春信「鷺娘」




////// 生霊(いきりょう)なのか、死霊なのか

たとえば「傾城浅間嶽(けいせいあさまがたけ)」という演目では、傾城・奥州は生霊として顕(あらわ)れ、恋人・巴之丞(ともえのじょう)に怨みごとを言って消えます。しかし死んだわけではなく、その後普通に主人公のひとりとして登場し続けるのです。
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- 中村七三郎作(1662~1708年)「傾城浅間嶽」※松の落葉集(1704刊)
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(傾城・奥州)※生霊として言う台詞
あれご覧ぜよ 浅ましや。蛇淫の悪鬼は身を責めて。のう、剱(つるぎ)の山の上に恋しき人は見えたり。嬉しやとて、よじ昇れば、想いは胸を砕く。
(現代語訳)
哀れとご覧ください、このみすぼらしい女を。
蛇淫の悪鬼(じゃいんのあっき)に体を責められ、
あぁ、恋しい人が剱(つるぎ)の山の上にいると思い、
嬉しがってよじのぼれば、胸を砕かれるのでございます、と。
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平成4年、仙台電力ホール、歌泰会「鷺娘」


生霊になると病(やまい)になるようで、傾城・奥州は長患いのため臥(ふ)せっていますが、自身が生霊になった自覚はありません。生霊自身は「地獄で獄卒に追われている」と訴えるにもかかわらず、覚醒している時間の本人にその地獄は見えません。

奥州に「生霊になった自覚がない」ことは、源氏物語における愛人・六条の御息所(みやすどころ)と同じです。六条の御息所(みやすどころ)は源氏の正妻・葵の上を憎むあまり生霊となるものの、自身の髪の毛や着物から加持祈祷に用いるケシの匂いがすると気づくまで、自分が生霊になったことを知りません。このシチュエーションは、我が国における文芸の伝統的な表現方法のひとつです。


ところで道歌(どうか)という、法師が唄い広めた仏教の教えの歌があります。その中でよく出てくるのが「火車(ひのくるま、かしゃ)」です。火車は●部●ゆき氏の小説のせいで有名になった妖怪ですが、もとは道歌に出てくる地獄からの「獄卒じきじきのお迎え」であり、江戸期の庶民が恐れた「地獄の宅配サービス」です。

火車は「因果の小車(いんがのおぐるま)」の地獄版で、宿命・運命を表わす「小車」「水車」「風車」が、炎に包まれていることを表わします。文様・意匠としては、燃える牛車が使われます。



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- 道歌(年代不明)「火の車」※絵草紙-
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火の車 作る大工は様々なれど わ我(れ)が作りし 烖(けがれ)に乗るなり
(現代語訳)
火の車、作る大工はさまざまなれど、最後は自分で作った罪けがれに乗って、地獄行き。
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「因果の小車」が燃える原因はもちろん「悪行」ですが、江戸期の因果本に描かれた悪行の最たるものは「強欲」や「不倫」です(「通俗礦石集」など、明治期に出版)

引き比べて借金などは小さな罪であり、死後に火車が棺おけを盗んで行くだけです。しかし欲深いあまり「使用人虐待」をした雇用主や、二世を約束しない相手と馴染んだ若妻は、生きているうちに火車に乗せられ地獄の獄卒にぼったてられます。たいていの場合本人は病臥しており、「傾城浅間嶽」の奥州のように息を吹き返す人もいれば、そのまま死んでしまう人もいます。



「火車のお迎え」は借金地獄だけを表わすものではありません。それは道徳を犯した人間に悔悟をうながすため、現世に顕(あらわ)れる仏のお慈悲なのです。

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- 作者不明(年代不明)「孝女母の獄卒に捕らえられ火車に載せられたるを見たること」(「通俗礦石集」明治27年刊行)

寛永のころ、松江の堤氏が下女を雇ったのだが、この女の母は慳貪邪険(けんどんじゃけん=欲深く意地が悪い)で、女はたびたび家へ帰って意見していた。ある晩下女が叫び声をあげたので見に行くと「母が牛頭馬頭(ごずめず)に引き立てられて火車に載せられるところを見た、引きとめようと「曳き手」に胸を当てて押さえたが、熱くて悲鳴をあげてしまった」と言う。着物の胸元を開くと火ぶくれが出来ていた。下女の母親は病床にあり、火傷の手当てなどしていた明け方ごろに使いが来て、先ほど死んだと伝えた。下女は出家したと言う。

享保のころ、堺の花屋町のはずれに一女あり、嫁へ行ったが離縁されて父母の家へ帰ってきた。女は鬱々として病み、座敷の上を走り町中を叫び廻って「熱い、この火が」と言う。これは法の力に頼るしかないと人々集まって経をあげたところ、ようやく治まって言うには「前後左右も、足の下も炎に包まれて焼き立てられ、どこかに逃(のが)れようと必死だった」と。
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現代人の目には精神疾患にしか見えません。治療されないことが気の毒に見える、古い因果話です。

葛飾北斎「北斎漫画」幽霊が出てきてギャーッ!




////// 長唄「鷺娘(さぎむすめ)」歌詞・註解

前回記事と続けて註解を出します。歌詞を読みながら同じ画面で解説を見ていただきたいなぁ、と思うからです。ですので、内容が前の記事と重複しています。ご了承ください。


◆あらすじ
散る花のように美しい粉雪が舞う中、鷺の姿をした幻影がしょんぼりと顕(あらわ)れ、恋の道を踏み誤ったせいで地獄へ堕ちたと訴え、助けを求めながらまた消えてゆく。


◆涙の氷柱(なみだのつらら)
冬に見えるかわいそうなものの代表格が、鷺の涙でした。実際に鷺が泣いているわけではなく、そのように見えるだけです。
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- 惟明親王(1179~1221年)「新古今和歌集(1116~1216年ごろ成立)」-
鷺の涙の氷柱(つらら)うち溶けて 古巣ながらや 春を知るらむ(1200年成立)
[現代語訳]
鷺の涙の氷柱(つらら)が溶けてきた。あいかわらず同じところに住んでいるけれど、おかげで春が来たと感じることができた。


★ぼったて、ぼったて
地獄の獄卒に追い立てられるさまを表現する、印象的な「ぼったてぼったて」ですが、近松門左衛門(1653~1725年)の浄瑠璃「出世景清(1685年、大阪・竹本座初演)」にその原型があります(百千万のけものをぼったてぼったて)。大和屋甚兵衛作「三つの車(成立年不詳)」にも出てくるので、「ぼったてる」が流行語のようになっている時期があったのだろうと思います。「ぼったてる」は、追い立てるという意味の言葉です。


★忍ぶ山
恋の国、奥州・陸奥(みちのく)にあったという山の名前です。「伊勢物語」15話・在原業平の東(あずま)下りに登場する、人妻への一方的な恋と、ひとりよがりで気持ち悪い下記の和歌で有名です。
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- 詠み人知らず「新勅撰和歌集(1232年成立)」-
しのぶ山 しのびて通ふ道もがな 人の心の奥も見るべく
[現代語訳]
しのぶ山の、しのんで通える道が欲しい。嫌だと言う、そのあなたの心の奥まで見たいから。

この和歌を受けた方の人妻は、ちょっとは嬉しく感じながら「こんな田舎ものの心の中を見て、どうするつもり?」と思ってしまい、無視して返事を返しません。こうして、業平の恋の旅は終わりを告げるのです(実際には、詠み人知らずの和歌をつなげた架空の物語です)


★繻子(しゅす)の袴の襞(ひだ)とるよりも
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- 作者不明「山家鳥蟲集(江戸中期)」-
繻子(しゅす)の袴の襞(ひだ)とるよりも 様の 機嫌のとりにくさ
[現代語訳]
繻子(しゅす)の袴はくたくたして襞(ひだ)を付けにくいが、それにもまして、お前さまの機嫌のとりにくさときたら。


平成4年、仙台電力ホール、歌泰会「鷺娘」





////// 長唄「鷺娘(さぎむすめ)」歌詞(全訳)

通称「旧鷺娘」こと「柳雛諸鳥囀(やなぎにひな しょちょうの さえずり)」の鷺娘は、古い演目のわりに歌詞が読みやすく、全訳が必要かどうか、だいぶ悩みました。ですが念のため、全文を現代語訳で紹介させていただきます。

長唄「鷺娘(さぎむすめ)」はお女郎さん(傾城)が死霊か生霊になって雪の中に顕(あらわ)れ、衆生(しゅじょう)への警告のため口説(くぜつ=怨みごと)を述べる舞踊です。いったい生きているのか死んでいるのか、実際のところは皆さまの目にてご判断ください。


◆歌詞(太字が現代語訳)

妄執(もうしゅう)の雲晴れやらぬ朧夜(おぼろよ)の 恋に迷いし 我が心
忍ぶ山(恋の国・奥州にあったという山の名前) 口舌(くぜつ)の種の 恋風が

妄執の雲がいまだ晴れない、朧月夜(おぼろ づきよ)に、
恋に迷ったわたしのこころがうかびあがり、恋を探して彷徨い歩きます。
しのぶこころに、怨みごとの種になる恋風が吹き込んできたせいです。

平成4年、仙台電力ホール、歌泰会「鷺娘」


吹けども傘に雪もつて
積もる思いは 泡雪(あわゆき)
消えて果敢(はか)なき 恋路とや
思ひ重なる胸の闇
せめてあはれと夕暮れに
ちらちら雪に濡れ鷺(さぎ)の しょんぼりと可愛いらし

吹けどもやむことのない雪が傘のうえに降り積もり、
積もる想いが淡雪のように、消えてはかない恋路になるかと思いきや、
想いはむしろ重なりあって、胸の裡(うち)に深い闇をつくってしまいました。
寂しい夕暮れどき、ちらちら舞う雪に凍(こご)えながら、
せめてお哀れみを、とばかり、
羽を濡らして佇(たたず)む鷺の、しょんぼりとかわいそうな姿。

平成4年、仙台電力ホール、歌泰会「鷺娘」

迷ふ心の細流(ほそなが)れ ちょろちょろ水の ひと筋に
恨みの外(ほか)は白鷺の 水に慣れたる足どりも
濡れて雫(しずく)と消ゆるもの

迷うこころは、ちょろちょろ流れる水のひとすじに行き着きます。
恨みのほかの感情は、考えてみれば、
水の中を歩く白鷺の足にまとわりつきながら、
すぐ消えてゆく雫(しずく)のようなものにすぎません。

平成4年、仙台電力ホール、歌泰会「鷺娘」

我れは涙に乾く間(ま)も 袖干しあえぬ月影に
忍ぶその夜の話を捨てて

縁を結ぶの神さんに 取り上げられし嬉しさも
===★9代目 市川団十郎版(「月雪花三組杯觴」)
縁を結ぶの神さんに 恨みて初手は ついひぞりごと
届かぬ思ひ 浮名立つ
ほんに涙の氷柱(つらら)さえ 解けて逢う夜の睦言(むつごと)
===
余る色香の恥ずかしや


わたしは、ひとつの恋のため流した涙が乾けば、
抱き合い、着物を並んで干すことのなくなった月影の晩に、
逢瀬の夜の思い出を、月の光の中へ捨てるようにしていました。

縁結びの神さまに、よく取り上げてくださったと感謝しながらも、
恋のさなかには自分の色欲の香(かおり)が溢れ出て、
外に洩れるのではないかと、恥ずかしく思ったものです。
===★9代目 市川団十郎版(「月雪花三組杯觴」)
縁結びの神さまを、初めは恨み、
ひとり呪(のろ)い言を、口にしたりしたものです。
わたしの届かない想いが他人の噂になったほど。
ほんとうに、会えないあいだには涙が氷柱(つらら)のように冷たく凍り、
会えば会ったで睦(むつ)みごとの喜びのあまり、色欲の香(かおり)が溢れ出て、
外に洩れるのではないかと、恥ずかしく感じたものでした。
===

平成4年、仙台電力ホール、歌泰会「鷺娘」

須磨の浦辺で汐汲(しおく)むよりも
君の心は取りにくいさりとは 実(じつ)に誠(まこと)と思はんせ
繻子(しゅす)の袴(はかま)の襞(ひだ)とるよりも
(ぬし)の心が取りにくい さりとは実(じつ)に誠(まこと)と思はんせ
しやほんにえ
白鷺の 羽風(はかぜ)に雪の散りて 花の散り敷く
景色と見れどあたら 眺めの雪ぞ散りなん 雪ぞ散りなん

須磨の浦辺で汐(しお、海水)を汲(く)むよりも
お前さまのこころは汲(く)みにくい。
それなのに、その言い分は真実と思わせます。
繻子(しゅす=サテン)の袴(はかま)に折り目をつけるより、
お前さまのこころを理解するのは難しい。
それなのに、それなのに、
その口の言うことは、真実かと思わせます。
いや、ほんとうに。

白鷺の羽風(はかぜ)で雪が散ると、地面へ花弁が散り敷いたように。
眺めの良い美しい雪が降り積もって、あだに美しい雪景色になりました。

平成4年、仙台電力ホール、歌泰会「鷺娘」

憎からぬ 恋に心もうつろひし
花の吹雪の 散りかかり
払ふも惜しき袖傘(そでがさ)
傘をや 傘をさすならばてんてんてん日照傘(ひでりがさ
それえそれえ
さしかけていざさらば
花見にごんせ吉野山
それえそれえ
匂ひ桜の花笠(はんながさ)
縁と月日の廻(めぐ)りくるくる車傘(くるまがさ)
それそれそれ さうじゃえ
それが浮名の端(はし)となる

自分から希(のぞ)んで恋をし、そのせいで、こころがふらふらとしてしまいました。
花吹雪が散りかかるように、雪が吹雪いています。
袖に降り掛かる罪業(ざいごう)の雪は、
わたしには、払い落とすには、もったいないとさえ感じてしまいます。

平成4年、仙台電力ホール、歌泰会「鷺娘」

仏のご加護の傘を、わたしにください。
傘を差すなら、むしろ、てんてんてんの日傘が良いですね。
ええ、それ、それです。
日傘を差して、「では、おさらば」と。
花見へ行きましょう、花見と言えばやっぱり吉野山。
ええ、それ、それです。
桜の匂いが立ち昇る、仏のご加護の花笠を被って、
ひとの縁と月日が巡(めぐ)る、
(めぐ)りくるくる、車笠(くるまがさ=廻る花笠)で、仏のお慈悲の下に隠れて。
ええ、それ、それ、それが良いでしょう。
そうして仏のご威光に頼れば、浮名が止むのでございます。


添ふも添われず あまつさえ
邪慳(じゃけん)の刃(やいば)に先立ちて
この世からさえ剣(つるぎ)の山

添いとげたいと思っても、添い遂げられるわけもなく、あまつさえ、
あの世へ行って邪険にされる責め苦に先立ち、
この世でさえ、剣(つるぎ)の山を登らされているわたしでございます。

平成4年、仙台電力ホール、歌泰会「鷺娘」

一樹(いちじゅ)の内に恐ろしや
地獄のありさま ことごとく
罪を糺(ただ)して閻王(えんおう)
鉄杖(てつじょう)まさに ありありと
等活畜生衆生地獄(とうかつちくしょう しゅじょうじごく)
あるいは叫喚大叫喚(きょうかん だいきょうかん)
修羅の太鼓(たいこ)は隙(ひま)もなく
獄卒四方(ごくそつよも)に群(むら)がりて
鉄杖(てつじょう)振り上げ鉄(くろがね)
(きば)噛み鳴らして
ぼつ立てぼつ立て

「一樹の蔭(かげ)一河(いちが)の流れも他生(たしょう)の縁」と言うけれど、
仏の奇特でしょうか、地獄のありさまが、ことごくわたしを襲うのです。
まさにいま、ありありと、
罪をただす閻魔さんの鉄杖に、撃たれているのでございますよ。
罪を犯したせいで畜生道(ちくしょう どう)に堕ち、
衆生地獄(しゅじょう じごく)あるいは叫喚地獄(きょうかん じごく)
またあるいは大叫喚地獄(だいきょうかん じごく)を、さまよう、わたし。

平成4年、仙台電力ホール、歌泰会「鷺娘」

修羅道(しゅらどう)に響く太鼓の音は連打になって息吐(つ)く暇もなく、
地獄の獄卒(ごくそつ)である鬼たちが、
四方(よも)に群がり立ってわたしの前を阻(はば)み、
わたしを威嚇しようと鉄杖を振り上げると、
鉄の牙(きば)を噛み鳴らしながら、
そこからもぼっ立て、あそこからも、ぼっ立てるのでございます。


二六時中(にろくじちゅう)がそのあいだ くるり
くるり 追ひ廻(めぐ)り 追い廻(めぐ)
(つい)にこの身は ひしひしひし
憐れみたまえ
我が憂身(うきみ)
語るも涙(なみだ)なりけらし
姿は消えて失せにけり※唄われない場合もあります。

一日中やすみなく、
地獄の鬼たちがくるりくるりとわたしを追いまわします。
そうして最後には、この体はひしひし、ひしひし。

平成4年、仙台電力ホール、歌泰会「鷺娘」

どうか、お哀れみを。
わたしの生身が責めさいなまれ、
聞くも涙、語るも涙なことになってしまったのです。

そう言いながら、白鷺の幻影は消えて見えなくなったのです。
※唄われない場合もあります。

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先日、このブログの話をしていて「わからない方が良いこともある」と、いうご意見を頂戴しました。それは「鷺娘(さぎむすめ)」ではなく、「傀儡師(かいらいし)」についてです。

そうかもしれません。わかりたくないこと、わかられたくないこと、わかられては困ることが伝統芸能には多々ありますね。伝承するのは難しいことです。それでも、伝える側が自分たちに都合の良い、伝えやすいことだけを伝えても、伝統芸能を守ることにはならないように感じます。

世代交代が続き、やがて演目のテーマが何かなんて、誰にもわからない時代が来るかもしれません。若い方は自身の新しい考えで欠落した部分を補うなど、新しい伝統・新しい解釈を積極的に創らなければいけません。そうして古典を刷新(さっしん)し、時代に同調させて、次世代へ継承するのです。

完璧ではなかったかもしれないけれど、明治期の演劇改良運動はやる価値があったと思っています。新時代に向けて、わたしたちも革新的に頑張らないといけませんね。

※涙の氷柱が溶けるとき「鷺娘」という踊り、の記事はこちら




ここで紹介させていただいた現代語訳が、皆さまの参考になることを祈りつつ。

踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







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