平成13年、仙台電力ホールで踊った長唄「越後獅子」の紹介の続きです。
※「越後獅子」という踊り
※ 男と女「越後獅子」布晒しの謎を解く
前の記事では、長唄「越後獅子」と「近江お兼」で演じられる「布晒し」と「細布」について考察し、二つの演目が共通して取り込んだのは藤原基俊
(ふじわらの もととし)」の和歌と、長唄「晒三番
(さらしさんばそう)」だと、書きました。藤原基俊は
「川上に晒す細布 けふだにも 胸あうばかり 契りせよ君」と歌い、「川上で女に細布を晒されたなら、どうにもならない尺のことなど忘れて、思い切って抱き合ってしまえばいい」と、自由な恋を歌いあげた人です。
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鈴木春信「今様おどり八景 布晒の帰帆」 |
////// 謡曲「三番叟(さんばそう)」という演目
歌舞伎舞踊の「三番叟
(さんばそう)もの」は謡曲「式三番
(しきさんばん)」を、一演目にまとめたものです。謡曲「式三番
(しきさんばん)」は現在は「翁
(おきな)」という演目名で上演されるのですが、起源がわからないほど古くから存在した祭礼の祝祭舞踊です。
世阿弥作「風姿花伝」によると、「三番叟
(さんばそう)」は猿楽の祖とされる秦河勝
(はだの こうかつ)の子孫が村上天皇の御代
(みよ)、秦氏伝来の申楽
(さるがく)を六十六番舞って繁栄を祈願したのに始まり、そこから三番選んで後代に残されたもの、となっています。
選ばれた三番は「父尉
(ちちのじよう)」「翁
(おきな)」「三番叟
(さんばそう)」で、簡単に説明してしまえば
「老いた父と息子」「死にゆく老人」「死んだあと神になって豊穣を振りまく老人」です。「三番叟
(さんばそう)」という言葉は、最初「ひとくくりの三翁の三番目の申楽
(さるがく)=三番申楽」だったものが、だんだん省略されて「三番そう」になってしまったらしいです。
◆太夫
(1) 呪言「とうとうたらり とうたらり たらりら」を謳う
◆父尉(ちちのじよう)※演目名「翁」の場合上演されません。
(1) 息子である延命冠者
(えんめいかじゃ)が舞って翁を祝福
(2) 肉色の翁面を着けた翁が喜びの言葉を述べる
(3) 翁が「天地人の舞」を舞って天下泰平、国土安穏を祈念する
◆翁(おきな)
(1) 露払いである「千歳
(せんざい)」が舞って翁を祝福
(2) 白い翁面を着けた翁が喜びの言葉を述べる
(3) 翁が「天地人の舞」を舞って天下泰平、国土安穏を祈念する
◆三番叟(さんばそう)
(1) みずから露払いである「揉
(もみ)の段」を舞って地を目覚めさせる
(2) 黒い翁面を着けて神がかりし、喜びの言葉を述べる
(2) 五穀豊穣である「鈴の段」を舞い、鈴を振って種まきし足拍子で地面を踏み固める
ちなみに父子を演じる「父尉
(ちちのじよう)」は室町時代には演じることがなくなり、事実上「二番申楽」になっています。三番とも呼べないため、「翁
(おきな)」が演目名になっているのです。「千歳
(せんざい)」は流派によっては狂言方
(きょうげんかた)が舞い、「三番叟
(さんばそう)」は流派にかかわらず狂言方
(きょうげんかた)が務める決まりです。
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謡曲「二人翁(ににんおきな)」 |
始まりは太夫の歌う呪言「とうとうたらり、とうたらり、たらりら」です。この謎の歌詞はチベット起源説など諸説ありますが、わたしは単純に「どうどうと流れる滝の水音」だと感じています。
各地の神社に「式三番」が残っており、謡曲も流派によって違うため内容はまちまちですが、おおまかには、露払い
(つゆはらい)が「
鳴るは滝の水、滝の水、日は照るとも=
お天気ですが、滝の水がとうとうと鳴っています」と舞い唄うや、延命冠者
(えんめいかじゃ)は父である老人に「
所千代(ところ ちよ)までおはしませ=
どうぞ千年までも生きてください」と呼びかけます。老人は「
鶴と亀との齢(よわい)にて=
鶴亀ほど長生きしていますが」「
幸(さいわい)心に任(まか)せたり=
しあわせに感じます」と、息子の気持ちを喜びます。そうして二人が声をあわせ「
そよや喜びにまた喜びを重ぬれば=
そうして喜びに喜びを重ねてゆきましょう」などと延年を祈願したあと、老人が舞い始め
(翁)「
天下泰平、国土安穏=
天下が平和で国土が安らかでありますように」「
万歳楽!=
永遠に!」と退場します。
その後狂言方が舞台に現われ、まずは素面で激しく踊る「揉
(もみ)の段」を舞い、やがて黒面をつけて神がかりし、五穀豊穣を授
(さず)けるという「鈴の段」を踊ります。父尉
(ちちのじよう)や翁
(おきな)に比べ、謳
(うたい)は非常にシンプルです。
おおさえ、おおさえ
(さいわいよ、さいわいよ)
喜びありや、喜びありや
(よろこばしいことがありました、よろこばしいことがありました)
我(わ)がこの処(ところ)より他へはやらじとぞ思う
(このよろこびが、外へ逃げてゆきませんように)
これだけ。要するに「この喜びを逃がさないぞ!」と、祈念するのが三番叟です。三番目の冠者
(かじゃ)に憑依する黒い神は、海神・住吉大明神であると言われています。
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謡曲「三番叟(さんばそう)」 |
////// 長唄「三番叟(さんばそう)」という演目
謡曲「式三番
(翁)」は「能であって能ではない」と言われます。芝居があるのが「能」であり、祝祭のみの「式三番
(翁)」は猿楽
(申楽)なのです。また、三翁はどう見ても内容がつながっていますが、能の世界では「内容につながりはない」とされています。こういうめんどくさいところを嫌って出たのが、浄瑠璃や歌舞伎舞踊の「三番叟」です。
「好きに祝わせてくれよ!」という感じでしょうか。「天下泰平」「五穀豊穣」を祈念する能・狂言の「式三番」を、浄瑠璃師たちは「子孫繁栄」を祈念する、色っぽくて騒々しくて、愉
(たの)しい踊りに変えました。主人公は「翁」でも「延命冠者」でもなく、神がかりする冠者
(かじゃ)であり、能では登場しない女性も演目によっては登場します
(最古の「晒三番叟」や「雛鶴三番叟」)。
色っぽい男女の交わりを表現する長唄「三番叟」も、終幕まぎわ、踊り手が鈴を手にしたら「神がかり」をあらわし、長唄に合うようアレンジされた「能の振り」、いわゆる「能ぶり」「能がかり」の始まりです。こうして、最後だけ厳
(おごそ)かに舞って終わるのです。鈴に至る途中のストーリーは、こう言っては何ですが、はちゃめちゃです
(笑)。その落差こそが「三番叟」という踊りの真髄
(しんずい)であり、浄瑠璃師たちが意図したところです。
祭りの喧騒(けんそう)のような浮世を生きるのが人間というもの、それを暖かく見守り、寄り添ってくれるのが「神」じゃないの? という、浄瑠璃師たちの意見表明のようなものです。
わたしは、長唄「越後獅子」は、地方風に脚色された「三番叟」だと思っています。
長唄「越後獅子」の布晒しは「三番叟」の鈴の段と同じです。
長唄「晒三番叟」と同じに、布晒しを舞って男女の心へ恋を想起させ、子孫繁栄を祈るのです。
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歌舞伎舞踊の三番叟(さんばそう) |
////// 謡曲「式三番」と、長唄「越後獅子」の比較
謡曲「式三番」はわたしに言わせれば、父尉
(ちちのじよう)で「親子の情愛」を、翁
(おきな)で「死にゆく老人の一抹の寂しさと人生讃歌」を、三番叟
(さんばそう)で「次の世代の目覚め」を謳い、ことほぐものです。長唄「越後獅子」は内容的には三段に分かれており、一段目で「夫婦の情愛」を、二段目で「おけさ女郎との激しい恋」を、三段目で「越後獅子の子の、初恋」を描き、生命の息吹をことほぎます。そう、わたしには読めるのです。
月日の経過を追って人間存在を描く謡曲「式三番」に対し、長唄「越後獅子」は恋を追って人生を描きます。
ところで
謡曲「式三番」が時間経過どおりに演じられるのと反対に、長唄「越後獅子」は時間をさかのぼってゆくのですが、これが曲の中に特有のうねりを引き出します。最初は穏やかに始まる唄の内容が、時間の経過とともに激しくなり、しかし最後にはまた穏やかに、女浪男浪が交差する命の根源へと還ってゆくのです。
そう思うのは、ひとつには下記のような流行歌があるからです。
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- 作者不明「釣舟踊」(松落葉集)-
沖に漕がるる女舟を見たか
おっと舵を枕に櫓櫂(ろかい)をさ
立つる立つる 立つる立つる 波立つる立つる
女波(めなみ)寄すれば 男波(おなみ)も寄する
とかく男波はやよいこ こいここ こいここ
今宵はどち枕
[現代語訳]
沖を漕いでる女舟を見たか。
おっと、舵を枕に櫓櫂(ろかい)を繰り出すかい。
立つ立つ、立つ立つ、波が立つ立つ、
女波(めなみ)が寄せれば、男波(おなみ)も寄せる。
そうして男の波ってやつは、やれ行こう、いやここだ、と性急に。
今宵はどこの枕で寝るのやら。
***
女波男波
(めなみ おなみ)は、性の営みの表現なのです。
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葛飾北斎・画「怒涛図(どとうず)」左上が男浪、右下が女浪 |
////// 長唄「越後獅子」歌詞・全訳
主人公は越後獅子の囃し方か親方のように読めます。おそらく子ども時代は自分も越後獅子として舞い踊り、曲芸を観せていたのでしょう。
二段目前半に出てくる浜唄は、ほぼ「おけさ節」です。
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- 伝承「おけさ節」(新潟県の民謡)-
来るか来るかと浜へ出て見れば 浜の松風 音ばかり
好いたすいせん好かれたあやめ 心石竹(こころ せきちく) 気はもみぢ
波の上でもござるならござれ 船にゃ櫓(ろ)もある櫂(かい)もある
布晒しの唄は、すべからく謡曲「天鼓
(てんこ)」に似ています。民間伝承と謡曲と、どちらが先かあとかではなく、イメージを共有していたことが重要です。
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- 伝・世阿弥(1363~1443年)作「天鼓(てんこ)」(謡曲)-
打つなり天の鼓(つづみ)
打ち鳴らす その声の その声の
呂水(ろすい、川の名前)の波は 滔々(とうとう)と
打つなり 打つなり 汀(みぎわ)の 声の
より引く糸竹(しちく)の 手向(たむけ)の舞楽(ぶがく)は ありがたや
おもしろや 時も実(げ)に
おもしろや 時も実(げ)に 実(げ)に
「糸竹=しちく=紫竹」は、三味線や琴など弦楽器全体を意味します。地歌筝曲「越後獅子」では「夢占い」を出したせいで「筮竹
(ぜいちく)」と意味がまざり、わからなくなっていますが、長唄「越後獅子」ではあきらかに「紫竹=糸竹」です。つまり「そこに三味線があるから、舞い踊った」と、歌詞は言っているのです。
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平成13年、仙台電力ホール、歌泰会「越後獅子」 |
<夫婦の情愛>
◆原文
打つや太鼓の音(ね)も すみ渡り
角兵衛 角兵衛 と招かれて、
居ながら見する石橋(しゃっきょう)の、
浮世を渡る 風雅者、
歌うも舞うも囃(はや)すのも、一人旅寝の草枕
おらが女房を誉(ほめ)るぢゃないが、飯も炊いたり水仕事、
麻よるたびの楽しみを、一人笑(えみ)して来たりける
越路(こしぢ)がた お国名物は様々あれど、
田舎訛(なま)りの片言(かたごと)交じり
しらうさになる言の葉を 雁の便りに屆けてほしや
小千谷縮(おぢやちぢみ)のどこやらが、見え透く国の習いにや
縁を結べば兄(あに)やさん、兄ぢゃないもの夫(つま)じゃもの
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平成13年、仙台電力ホール、歌泰会「越後獅子」 |
◆現代語訳
今日もまた、太鼓の音色は澄み渡っている。
角兵衛、角兵衛と招かれ辻々で獅子の舞を演じ、
からだはここにありながら、心は遠く清涼山へと飛んで、
そそりたった山の谷間の細い石橋を渡るように、
あやうい浮世を渡って歩く風流者
(ふうりゅうもの)のひとりだが。
唄って囃して楽しそうに舞いながら、ひとり寂しく草を枕に旅寝の日々を送っている。
俺の女房を誉めるわけじゃないが、あれは飯を炊くのがうまく、水仕事も嫌がらない。
朝から晩まで麻をよるのを楽しみにしてくれて、
貧しいせいで娯楽がないのに、ひとりで微笑み、
俺をここまで支えてくれた。
越後の国のお国名物はさまざまにあるのだけれど、
田舎訛
(なま)りの片言
(かたごと)交じりが、
そのひとつのように言われて悲しい。
うさぎが白くなったという季節の知らせを、
せめて雁の便りに届けてほしいよ。
小千谷縮
(おぢやちぢみ)は着ればどこやら透けて見えるような、
色っぽくて風流な布。
女房にとって俺がまさにそれなのだが、
そんな風流な布を作る風流な国の常として、
「兄
(あに)やさん」だった男が、
いつのまにやら縁を結び「兄
(あに)」じゃないもの、「夫
(つま)」だもの、
となったのだった。
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平成13年、仙台電力ホール、歌泰会「越後獅子」 |
<おけさ女郎との激しい恋>
◆原文
来るか来るかと浜へ出て見ればの ほいの
浜の松風 音やまさるや やっとかけのほい、まつかとな
好いた水仙すかれた柳、のほいの、
心石竹(こころせきちく)、気はや紅葉さ、やっとかけのほいまつかとな
辛苦甚句(しんく じんく)もおけさ節
何たらぐちだへ 牡丹は持たねど越後の獅子は
おのが姿を花とみて、庭に咲いたり咲かせたり、
そこのおけさに異なこと言われ、寝まり寝まらず待ち明かす、
御座れ話しませうぞ、こん木松の陰で、松の葉の様にこん細(こま)やかに
弾いて唄うや獅子の曲 向かい小山のしちく竹、
いたふし揃えて、きりを細かに
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平成13年、仙台電力ホール、歌泰会「越後獅子」 |
◆現代語訳
来るか来るかと心待ちに、やっと来たと思って浜へ出てみたところ、
舟音と聞こえたのは、大きな音を立てる、ただの松風だった。
やっとかけのほい、まつかとな
(なんだよ、駆けてきたのに松なのかい!)。
好きになったのはキリリとした水仙で、好かれた方は柳のように及び腰。
のほいの。
心は逸
(はや)るし、気は揉
(も)める。
やっとかけのほい、まつかとな
(なんだよ、駆けてきたのに松なのかい!)。
そんな苦しさ悲しさを並べ立てる甚句
(じんく、祭礼の奉納の呪いごと)でさえも、
越後では、おけさ女郎のざれ唄にすべて呑みこまれる。
「何だら、そんなの愚痴だんべ。
越後の獅子は高価な牡丹の花なんぞ背負ってはいねぇが、
笛と太鼓で、おのが姿を花のように咲かせ、
清涼山には及びもつかない簡素な石庭
(せきてい)に遊んでも、
みずから花と咲いてみたかと思えば、同輩を助け、花と咲かせてやるものだろ」
そんな風に、顔見知りのおけさ女郎に不本意なことを言われてしまい、
腹が立ったあまり寝るに寝られず、夜どおし女を待ち明かした。
会えば、こちらへ御座れ、
話そうじゃないか、
男と女が抱き合う姫小松の木陰に隠れて、と。
俺が愚痴ったわけではないことを、
松の葉のように、こと細かに説明させてくれよ、と。
そうして弾いて唄うは、獅子の曲。
向かいの小山から聞こえてくる、糸竹
(しちく)の林の三味
(しゃみ)の調べ。
板節を揃えて撥
(ばち)を切り、
さぁ節を揃え、切りを細かに、松の木陰に舞って花と咲いてみせようじゃないか。
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平成13年、仙台電力ホール、歌泰会「越後獅子」 |
<初恋>
◆原文
十七が室(むろ)の小口(こぐち)に昼寝して、
花の盛りを夢に見て候(そうろう)
見渡せば 見渡せば 西も東も花の顔、
何(いず)れ賑わう人の山 人の山
打寄る 打寄る 女波男波(めなみおなみ)の絶間なく、
逆巻水(さかまくみず)の面白や 面白や
晒す細布(ほそぬの) 手にくるくると、くるくると、
いざや帰らん おのが住家(すみか)へ
◆現代語訳
そら、十七の子が水屋の入り口で、
ひる日なかから眠りに落ち、花の盛りを夢に見てござそうろう。
夢の中で目覚めてふと見渡せば、見渡せば、西から東まで一面の花。
どっと賑わい、いつか集まる祭礼の、人の群れ、人の群れ。
打ち寄せる、打ち寄せる、恋の女波男波
(めなみおなみ)が絶え間なく。
打ち寄せる波が逆巻
(さかま)いて、風流に、風流に。
細布
(ほそぬの)を水に晒したところ、
打ち寄せる波のせいで手にくるくると、くるくると、
小車
(おぐるま)の縁が、水車のようにまとわりついて。
少年が言う。さぁ、帰ろう。
俺たちの、帰るべきところへ。
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平成13年、仙台電力ホール、歌泰会「越後獅子」 |
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同時代人である江戸の人々ですら、三段目を自由奔放の象徴「近江お兼(おうみの おかね)」と思ったようです。そのため、あと追いで出た演目が全部「近江お兼
(おうみの おかね)」になってしまいました。しかし地歌筝曲「越後獅子」の、「室
(むろ)の小口
(こぐち)で昼寝」して夢占いのネタにされる越後獅子の子を踏襲しているため、この部分は「近江お兼
(おうみの おかね)」と関係ありません。
ちなみに「室(むろ)の小口(こぐち)」は「茶室のにじり口」か、「水屋の小さな入り口」の言い換えで、控えの若輩者
(じゃくはいしゃ)がうたた寝をしてしまう場面のように読み取れます
(地歌筝曲「越後獅子」)。城の曲輪
(くるわ、城と外との区切りの区画)の入り口や、店舗などの小さな通用口を「小口
(こぐち、虎口の意味)」と言います。
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長唄「越後獅子」作詞者・初代 篠田金治こと2代目 並木五瓶は、ちょっと大風呂敷を広げすぎたのかもしれません。とはいえ、お陰で長唄「越後獅子」は、予想外の展開が続くダイナミックな歌詞になりました。
「意味がわからない」と不平を言いながら、みんなこの唄が大好きです。
※「越後獅子」という踊り
※ 男と女「越後獅子」布晒しの謎を解く
のちのちまで大切にしたい、演目のひとつです。
踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved. |