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2019年3月2日土曜日

八百屋お七、地獄の便り。「幻お七」全訳





平成19年、仙台電力ホールで踊った「幻お七」紹介の続きです。

井原西鶴(1642~1943年、浮世草子・浄瑠璃作者)が書いた「好色五人女」をもとに、いろいろな物語や唄が作られました。その中のひとつを紹介させてください。

※ここが地獄の一丁目。「幻お七」という踊り、の記事はこちら
※地獄の数え唄「幻お七」鈴ヶ森刑場への道、の記事はこちら







ご存知のとおり、江戸時代は仏教が優勢な時代です。そのため、唄のジャンルに「地獄もの」と呼べるような、地獄の責め苦を並べ立てる悪趣味なものがあります。誰が何のためこのような唄を唄い始めたのかわかりませんが、その唄の流れはなんとなく因果ものに似ており、説教節の一種のように見えます。「地獄もの」が、実際のところ仏師が始めたものかどうかは不明です。しかし仏教のいましめを広く民衆に理解させる手段として、効果的だったのは確かです。

地獄の獄卒にその身を苛(さいな)まれる犠牲者は、誰もが知るような恋多き有名人になることが多く、たとえば色男で知られる「在原行平(ありわらの ゆきひら、「行平地獄物語」)」、恋多き女「高尾太夫(「高尾さんげ」)」、恋のため罪を犯した「八百屋お七(八百屋お七追善)」などです。


平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」


今回ご紹介するのは「八百屋お七」の地獄ものです。三味線譜の方は残っているかわかりません。そのためどんな曲かはわからず、歌詞だけが確認できます。内容はほぼエログロナンセンスと言って良く、どこまで本気で書かれたものかも、わかりません。

そうはいっても「幻お七」では、「紅蓮地獄(ぐれんじごく)に堕ちる女」(櫓お七の踏襲)を表現するのですから、江戸時代の「地獄」のイメージをお伝えしないわけにはゆきません。ちなみに「紅蓮地獄(ぐれんじごく)」は八寒地獄(はっかんじごく)にあたり、寒さのあまり皮膚が破れて真っ赤に、血まみれになる地獄です。だから「幻お七」の中で、昇る梯子の踏み板が「氷の道」と呼ばれるのです。

ところでこの歌詞には「照日巫女(てるひのみこ、ただの「日巫女」とも言う)」という、わが国最古の口寄せ巫女が登場します(卑弥呼=日巫女)。照日巫女(てるひのみこ)は個人名のように使われたり、たんなる口寄せ巫女の総称に使われたりもする古い名前で、シビュラ(Sybil)という、ギリシア・ローマ世界における伝説の巫女と同様の存在です。





////// 「八百屋お七追善」歌詞(「松の落葉集」)

◆原文
戯れ遊ぶ夢の世や、江戸のお七は恋故に、朝(あした)の煙と消え果てて、
罪も我が身に恋衣、うらなく交わす言の葉の、
吉三は夜毎恋い焦がれ、せめて冥途の便りもと、
照る日の御子(てるひのみこ=照日巫女、口寄せの巫女)を頼みつつ、
お七に再び梓弓(あずさゆみ)、手向(たむけ)の水こそ哀れなり。
天清浄地清浄、内外清浄六根の清浄、
(てんしょうじょう ちしょうじょう ないげしょうじょう ろっこんしょうじょう)
世々(せぜ)も変わらじと。

◆現代語訳
たわむれ遊ぶような世の中を生きて、
江戸のお七は恋ゆえに、夜明けの露のようにこの世から消え果てた。
たとえ罪の女だろうと、吉三にとってみれば自分恋しさのあまり犯した罪、
くったくのない言葉を交(か)わした昔が懐かしく、
可哀そうに吉三は夜毎(ごと)お七に恋焦がれ、
せめて冥途の便りが聞きたいと、
口寄せの照日巫女(てるひの みこ)に頼み、
憑依のための梓弓(あずさゆみ)をお七へ捧げ、水を手向(たむ)けた。
天清浄地清浄、内外清浄六根の清浄(のりと)
(てんしょうじょう ちしょうじょう ないげしょうじょう ろっこんしょうじょう)
これからも一生変わらず、お慕いします、と。


錦絵・櫓お七

◆原文
思いし夫(つま)のこなさんが、水を手向けて御回向(おんえこう)は、
過ぎし添い寝の約束(かねごと)と、引き替わりたる梓弓(あずさゆみ)
(から)の鏡もかけ曇る、煙の地獄焦熱の、責(せめ)の苦しさ其のつらさ、
閻魔さんの恋知らず、阿呆羅刹(あぼう らせつ)の野薄(のすすき)たちが、
言わんす事を聞かさんせ、一度出家と名の付いた、こなんに恋を何故にした。
憎い奴とてある事か、碓(からうす)地獄へ落とされて、
大切(だいじ)の情の掛所(かけどこ)を、朝夕ついて責めらるる。
それに何ぞや流行節(はやりぶし)、六蔵鬼(りくどうの おに)が張り上げて、
五尺いよこのそれそれ、五尺てん手拭さんさ中染めたえ、

◆現代語訳
わが夫(つま)と思い定めたこなさんが、
みずから水を手向(たむ)け、
御回向(おんえこう)くださるとは嬉しいこと。
過ぎた昔の叶わなかった添い寝の約束と、
引き換えのような梓弓(あずさゆみ)
それによって許された、この世とあの世の逢瀬だわね。
せっかくだから言うけれど、
ぴかぴかに磨いた唐鏡(からかがみ)も曇ってしまうほどの、
灼熱地獄(しょうねつじごく)で責めさいなまれ、つらい思いをしています。
閻魔さんは恋を知らないわからんちん、
アホンダラなうえ羅刹に生きる野ススキのような下等な連中が、
こら、言われることがわからないのか、
一度出家すると決まった男に何故恋をしたと、しつこく責め立てるのです。
憎ったらしいと思っても、碓(からうす)地獄へ落とされて、
二度と情を交(か)わせないよう、
朝な夕な、大きな臼(うす)に入れられ、
餅のように杵(きね)で突き責められているのです。
そのうえ何なの、六蔵鬼(りくどうの おに)が声を張り上げ、
「五尺いよこの、それそれ」と、おかしな唄を唄うのです。(流行した兵庫県の五尺節)
「五尺いよこのそれそれ、五尺てん手拭さんさ中染めたえ」と。(同上)

絵草紙・挿花の吉三

◆原文
此の碓(からうす)も取り置けば、
(か)の楊貴妃や小町にも、負けじと親の育てたる、五輪五体のその指を、
誓いの咎(とが)に切り捨(す)つる、その罪科(つみとが)が憎いとて、
十の指をば十日目に、一つつ捥(も)いで落とさるる、二人の親の寝所を、
そっと抜け出て忍びしを、親の目を抜く不孝とて、両目忽(たちま)ち針の先、

◆現代語訳
~残酷なので、自粛します~


◆原文
水もたまらずつぶさるる、その外(ほか)責苦の数々を、
(くら)べば剱(つるぎ)の山に越え、深さ奈落の底とても、
劣らぬ程の苦しさも、こなさん故と苦にならず、
(しか)しうき世に存(ながら)えば、何か思いは有明(ありあけ)の、
月とも日とも思うまじ、若木の花は散り果てて、残る老木の父様(ととさま)や、
(かか)さんたちの御嘆(おなげき)が、却って猛火の雨と降る、
必ず諌(いさ)めて下さんせ。

◆現代語訳
水地獄もたまらない、毎日つぶされているのです。
そのほかにも責め苦の数々を、あじわっているところです。
責め苦の数は比べてみれば剱(つるぎ)の山を越えるほど、
苦しみの深さは、奈落の底に劣りません。
それほどの苦しみですが、全部こなさんに会いたかったからなので、
少しも苦ではありません。
こなさんは浮世に生きているのだから、
この逢瀬を喜んだあまり、こりゃ有明(ありあけ)の月だぞ、日だぞ、
などと、ひとりがってに晴れ晴れとせずに、
若い者が死んだあとに残ったわたくしの父(とと)さま、
(かか)さまのお嘆きを、おもんぱかってくださいね。
そのお嘆きが地獄で猛火の雨と降り、
このわたくしを苦しめることになると、両親によく言い聞かせ、
必ず諌(いさ)めてやって、わたくしを救ってくださいませね。

絵草紙・手習いお七

◆原文
(よ)の人千夫萬夫(せんぷまんぷ)より、君が手向(たむけ)の香花(こうげ)には、
罪も消え行く後(のち)の世は、ひとつ荷(はちす)に二人寝て、
積もる恋しさ語り度(た)く、思い廻せどなかなかに、
冥途の使い繁(しげ)き故、名残惜しくも帰るぞえ、さらばと言うも跡絶ゆる、
(あずさ)の上ぞ哀れなり、吉三は恋しさいや勝(まさ)り、
兎に角菩提を祈らんと、花の姿をふり捨てて、墨の衣に引き替わる、
煩悩即ち菩提なり、歌うも舞うも法(のり)の声、貰い涙に袖絞る、目元に汐がえ

◆現代文
世界に千人万人の人がいて、誰が回向(えこう)してくださろうが、
貴方さまが手向(たむ)けてくださる香花(こうげ)にまさるものはありません。
罪を償い終わった後生(ごしょう)には、
ひと房の蓮(はちす)の花弁に二人で寝て、
積もる恋の想いを語りたいと願っているのだけれど、
冥途の使いがさっきから繁々(しげしげ)と来てわずらわしく、
名残惜しいけれど、もう帰ります。じゃあね、と言うきり、お七は消えた。
お七の気配だけがしみじみと、梓弓(あずさゆみ)の上に残っていた。
吉三は、ますます恋しさが募(つの)ったあげく、
今はとにかく菩提を弔わなければと心が急(せ)いて、
花のような小姓姿を振り捨て、すぐさま墨ごろもに変った。
煩悩はすなわち菩提なり。
唄うも舞うも、
すべては仏性(ぶっしょう)のあらわれである。
(かたわら)で見守った人々も、貰い泣きで袖を濡らし、
目元がしょっぱくなったほど。




//////遊女文化と仏教の地獄思想

現代人のわたしたちの目に不可解に映るのは、「八百屋お七追善」のなか、お七が地獄の獄卒に責められるのは「仏師になる予定の相手に女犯(にょぼん)の罪を犯させたこと」「親を欺(あざむ)き恋を貫いたこと」「親に貰った肉体を、起請文を書くため小指を切るなど切り刻んだこと」です。放火の罪は、いっさい問われません。つまりこの時代の仏教が重要視したのは、性的な清純さと家父長制度への従順であって、まるで儒教のように感じます。

この教えの結果として、「遊女は死ぬと、みな地獄へ堕ちる」と言われました。吉原遊郭などを「苦界(くがい)」と呼ぶのは、そこで生活する遊女が今、苦しいからではなく、死ねば必ず地獄の責め苦を受けるからです。

平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」


「幻お七という踊り」の記事を読み、気づいた方もいらっしゃったかと思います。「幻お七」作詞者(原作者)である木村富子は旧姓を赤倉と言い、明治44年(1911)の吉原大火まで吉原遊郭にあった「中米楼(なかごめろう)」の娘です。その父親の名前が「赤倉鉄之助」、この名前に見覚えのある方は多いはず。映画やテレビドラマになった「吉原炎上」の揚屋の主人の名前です。




//////吉原遊郭と木村富子

木村富子の父方の祖母が加賀藩のお狂言師だったことは、「幻お七という踊り」の記事にも書きました。赤倉家はもとは武家ですが、木村富子の祖父・祖母(お狂言師)の代に「中米楼」を買って経営に乗り出しました。映画やドラマの主人公「久野(のち角海老楼へ移り「紫太夫」と名乗る)が所属していた頃は、総領娘だった長女で舞踊家の赤倉古登子(のちの喜熨斗古登子)が経営し、兄弟の赤倉鉄之助とその妻夫婦が帳場を廻しています。これは強く断言しておきますが、映画・ドラマの「吉原炎上」で描かれる下品な吉原遊郭と遊女のイメージはまったくデタラメで、「赤線地帯(1956年、溝口健二監督)」など、敗戦直後の貧しい娼婦の悲哀を描く、映画の影響を受けすぎていると思います。

絵草紙・奥座敷でお狂言師演じる歌舞伎狂言を愉しむ女性たち

自分も何度か、「お狂言師」の芸を受け継ぐという方にお会いしたことがあります。また、かつて吉原遊郭にいたという女性たちのバーへお邪魔したことや、吉原遊郭で演奏していたという男女のもと芸人の方、昔は放蕩者で遊女に養われていたというお年寄りにまでお会いしたことがありますが、どなたもみんな「キリリとしゃんと」した方たちでした。全員ご老人でしたが、内側から匂い立つように美しい人たちです。映像で言えば、坂東玉三郎監督・吉永さゆり主演「夢の女」という映画の世界が、事実に一番近いように感じます。映画・ドラマの「吉原炎上」を鵜(う)呑みにしないでくださいね。

実際の「中米楼」の様子は、久野の孫という人が書いた「絵草紙 吉原炎上」という本に詳しく、また、初代 市川猿之助の妻・喜熨斗古登子(赤倉古登子)の晩年のインタビュー「吉原夜話」にも残されています。

平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」

要するに木村富子は遊郭文化(実家が揚屋「中米楼」)と唄(母方が琴古流尺八宗家)に詳しく、むしろその中で育った人でした。そのため「黒塚(くろづか)」にせよ「幻お七」にせよ、世間から地獄に堕ちると揶揄されるような主人公をきわめて愛情深く、且つ、罪の中心から目をそらさず、ありのまま描写する傾向があります。

これだけはお伝えしなければいけません。木村富子は最晩年に国策作品の製作にかかわり、「南洋萬歳」(1944年)という舞踊劇を書いて外国から批判されています。夫の木村錦花も、子息の5代目 澤村源之助(1907~1982年)も伝統芸能の中で生きていたのですから、木村富子が国家の政策に従うのは仕方のないこと、いち芸術家の責任を問うべきではないと考えます。第二次世界大戦後まで生きていたら、戦中作品を批判されて悔しい思いをしたかもしれません。さいわいに、と言って良いかはわかりません。木村富子は昭和19年(1944)に没し、現在は東京の天龍寺(東京都品川区)に眠っています。

平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」



//////「幻お七」歌詞・原文

恋風に ほころびそめし 初ざくら
花の心も白雪の うきが上にも降り積みて
解けぬ ゆうべの もつれ髪

いつか人目の すき油
おもい 丈長(たけなが) むすび目も
しどけなり振り かの人を
(しの)ぶ押絵の 羽子板に
いとしらしさの 片えくぼ
そっと突いて 品遣(しなや)り羽子も
二つ三つ四つ いつの日に
遭わりようものぞ 遭いたさに
無理を湯島の神さんへ
梅も絶ちましょ 白桃に
妹背(いもせ)わりなき 夫婦雛(みょうとびな)

あやかりたさの振袖に 
(た)が空焚(そらだき)の移り香や
あるか無しかのとげさえも ふるう手先に 抜きかねる
寂漠(しじま)がえんの はしわたし
のぼりて嬉し 恋の山


平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」


「おお さっても見事な嫁入りの」

花の姿や 伊達衣装
いろ土器(かわらけ)の 三つがさね
祝いさざめく その中に
うちの子飼いの太郎松(たろまつ)
ませた調子の 小唄ぶし

誰に見しょとて 五百機(いおはた)織りやる
いとしけりやこそ 五百機(いおはた)
(つま)をほらほら 吹く春風に
あらうつつなの 花吹雪

狂う胡蝶や 陽炎(かげろう)
燃ゆる思いも そのままに
今はかいなき 仇枕(あだまくら)

(お)うて戻れば 千里も一里(いちり)
遭わで戻れば 又千里 ほんにえ

夢の浮世にめぐり遭い おもい合うたるその人の
おもかげ恋し 人恋し
遭いたや見たやと 娘気(むすめぎ)

「おお お前は吉さま」

狂い乱れて降る雪に それかあらぬか面影(おもかげ)
かしこに立てば そなたへ走り
ふっと見上ぐる 櫓(やぐら)の太鼓

平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」


「あれあれ 吉さまを連れて何処へ ええ憎い恋知らず 返しゃ 戻しゃ」

打つやうつつか 幻を
(しと)う 梯子(はしご)の踏みどさえ
一足づつに 消ゆる身の
(はて)は 紅蓮(ぐれん)の氷道(こおりみち)
危うかりける 次第(しだい)なり




//////「幻お七」歌詞・全現代語訳(全訳)

心の中に恋の風が吹き荒れ、初桜が咲いています。
積もった冷たい雪のうえにも、花の心が降り積もるのです。
夕べ抱き合ったかのように、風に吹かれて、髪がもつれて解(ほど)けません。

いつか、ひとめでいい、お遭いしたいと思案しながら、髪すきの油をとり、
悩みながら長い髪を結びますが、その結び目もすぐに解けてしまいしどけなく。
なりふり構わず、彼(か)の人へ想いを馳せる、わたしです。

(か)の人に似た押絵羽子板の、
かわいらしい片えくぼをそっと指でつついてから、
しなしなと色っぽく、羽根つきのふりをして遊んでみたり。
二つ打ち、三つ打ち、四つ打ち、あといくつ打ち数えたら、
あの人に遭えるのでしょうか、
遭いたいのです。
無理を承知で湯島天神さんへお願いしてみました、
天神さまになった菅丞相(かんしょうじょう)さんにあやかり、
梅断ちをして、代わりに白桃を食べています。
そうして男と女はわからないものね、と、
大人ぶって夫婦雛(めおとびな)に話しかけたりするのです。

夫婦雛(めおとびな)にあやかりたいと思いながら、まだこのように振袖姿。
ああ。空焚きで染み込ませたこの香のかおりは、あの人の移り香、
あるかなしかの棘を抜いてあげようと、手先を動かすにも、
あの人のお顔が美しすぎて、手が震えたほどでした。
ふたりとも、お互いがお互いに見入ってしまい、
ずっと沈黙が続きましたね。
その沈黙が、恋の始まりでした。
恋の山に登ることができて、嬉しくて仕方がない今のわたしです。
山から里を見下ろしたところ、花嫁行列が目に留まりました。


平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」

「ああ、なんて見事な嫁入り仕度(じたく)でしょう。」

花嫁の色とりどりの伊達衣装と、美しい三つ重ねの調度品が目に入ります。
行列を取り囲み、祝いに賑わうその中には、
大人の声で小唄を歌い、花嫁を言祝(ことほ)いでいる、
うちの奉公人の太郎松(たろまつ)が、いるではありませんか。
(ああ、そんならあれは、わたし自身の嫁入りなのだねぇ)

誰に見せようと、あんなに色とりどりの機(はた)を織ったのでしょうか。
愛しいあなたのためだからこそ、色とりどりの機(はた)を織ったのですよ、
着物の褄(つま)が、吹きつける春風に、ほらほらと軽く翻(ひるがえ)ります。
ああ、花吹雪が舞い始めました。これはいったい、現実なの?

胡蝶が舞い狂い、
足許には陽炎(かげろう)が、もやっとばかり立ち昇ります。
燃える想いを捨て置かれ、
今は甲斐なく感じる、独り寝の、
憎いほどに寂しい、わたしの枕の部屋なのに。

お会いすることができれば、千里の道も一里に感じます。
お会いすることができなければ、
千里の道は千里のうえにまた千里です、ああ本当に。

確かなものなどない人の世にもかかわらず、
夢のように出会いが叶い、
相愛となることができた、その人の
おもかげが恋しい、その人が恋しい、逢いたい、見たい、
その娘ごころを、わかってください。

「おお、そこにいるお前は、吉さまではないか」

さてもこうして、狂い乱れるように降る雪のなか、
あるかないか、わからないほど微(かす)かな面影が、
お七の目には見えている。
幻影がそちらへ立ったと見ると、そちらへ走り寄り、
ふっと見上げたところ、そこに火の見櫓の太鼓があった。

「あれあれ、吉さまを連れて何処へ行くのじゃ」
「ええ、憎い奴め。わたしたちの恋を知らず、邪魔をするか。吉さまを返せ、戻せ」

平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」

お七は邪魔者を打とうとするのだが、
それが現(うつつ)か幻(まぼろし)か、もう、わからない。
吉三郎を慕って昇る梯子の踏み板は、ひと足ごとの死への道行き。
その果てに紅蓮地獄(ぐれんじごく)の待ち受ける、氷の道なのだけれど。
お七が危うい道へ踏み込んだのは、こういう事情だったので、ございますよ。

//////


※ここが地獄の一丁目。「幻お七」という踊り、の記事はこちら
※地獄の数え唄「幻お七」鈴ヶ森刑場への道、の記事はこちら




可愛らしい十五歳(数えで十六歳)のお七を演じるのはちょっと勇気がいりますが、大人の演者には後半に魅せどころがたくさん用意されていますよ。簡単ではありませんが、おすすめの演目です。

踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







2019年2月21日木曜日

地獄の数え歌「幻お七」鈴ヶ森刑場への道





平成19年、仙台電力ホールで踊った「幻お七」の紹介の、続きです。
※  ここが地獄の一丁目。「幻お七」という踊り、の記事はこちら
※  八百屋お七、地獄の便り。「幻お七」全訳、の記事はこちら



こちらの記事では、木村富子が書いた「幻お七」の歌詞の源流を辿(たど)ります。前の記事で取り上げたとおり、「幻お七」は「櫓(やぐら)お七」の簡易版でも、改悪版でもないからです。

「櫓(やぐら)お七」は名刀・天国の剣(あまくにのつるぎ)を取り巻く架空の冒険譚がもとの舞踊です。いっぽう「幻お七」は井原西鶴(1642~1943年、浮世草子・浄瑠璃作者)「好色五人女」と「(通称)八百屋お七からくり口上(からくり芝居の口上)」を参考にした(と言われている)、写実舞踊です。


ですので、あえて周知の「八百屋お七」の物語を、実際の「好色五人女」と「(通称)八百屋お七からくり口上」から紹介させていただきます。ただし「(通称)八百屋お七からくり口上」は本物を記した資料が見つからず、瓦版(かわらばん)口上に写されたものを利用します。ご了承ください。

なお「傀儡師(かいらいし)」という踊りでは、「八百屋お七と寺小姓吉三」「牛若丸と浄瑠璃姫」「平知盛(たいらの とももり)と武蔵坊弁慶」の物語が登場します。傀儡師(かいらいし)たちが人形を廻し(舞わす、の意味)ながら唄ったのは、浄瑠璃姫は当然「十二段草紙」、平知盛は「船弁慶」です。そうして「八百屋お七」は、からくり人形の口上へそのまま引き継がれたと言われています。ですからここでご紹介する「八百屋お七小姓の吉三からくり口上」が、傀儡師(かいらいし)たちが人形を廻しながら唄った唄そのものです。

平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」





ところで井原西鶴「好色五人女」の刊行は貞享3年(1686)、それと前後して「天和笑委集(てんな しょういしゅう、作者不明、1684~1688年成立)」という伝記本が世に出ています。井原西鶴がこれを参考にしたかどうかは、わかっていません。「天和笑委集」は「好色五人女」とは内容がだいぶ違ううえ、物語仕立てになっているものの、まったくおもしろくありません。

史実として信頼できる記録は、五代将軍綱吉の治世を記録しようとした官吏・戸田茂睡(とだもすい)「御当代記(ごとうだいき)」に、「放火の罪で処刑された、お七という娘がいた」と書いてあるのがすべてです。




////// 井原西鶴「好色五人女」お七と吉三郎の、恋の始まり

吉三郎さまなら、今まで俺と足を絡めて寝ていたさ。その証拠がこれよ、と、起きて来た小坊主の新吉がお七の前で袂(たもと)をひらひらさせる。新吉の袂(たもと)から、白菊という香の薫りが漂(ただよ)った。この小坊主をどうしたものかと、お七が悩みながら寝間に入ると、続いて入ってきた新吉が「はぁ、お七さまが良いことしようとしている」と、声をたてた。

お七は振り返り「お黙り。何でも欲しい物をあげるよ」と。新吉は「そんなら銭八十と、松葉屋の歌留多(かるた)、浅草の米饅頭(よねまんじゅう)五つが欲しい」と言う。「そんな容易(たやす)いもの、明日にでも届けてやるさ」、そう約束してやると新吉は布団に入り「夜が明けたら、三品目を必ず受け取るぞ」「必ず三品目を」と、ぶつぶつ言いながら寝入ってしまった。

絵草紙・手習いお七

これで何をしようと自由になったので、お七は吉三郎の寝姿に寄り沿い、何も言わず抱きついた。吉三郎は夢から醒めて身を震わせ、夜着(やぎ)の袂(たもと)を被って顔を隠した。それを手で払い除(の)け、「髪が乱れる」と、お七が吉三郎を叱る。吉三郎はせつなそうな声で「わたくしは、十六(数えなので実際には十五)になります」と言う。お七は「わたくしも、十六(同)になります」と返した。吉三郎はさらに「長老さま(寺の住職)が、こわいのです」と言ったので、お七も「わたくしも、長老さま(同)はこわいです」と返す。なんとも、もどかしい恋の始まりだった。




////// 井原西鶴「好色五人女」恋に生命(いのち)をかけた吉三郎

井原西鶴の、「好色五人女」「恋草からげし八百屋物語」本文の一部を紹介しました。ふたりはこのあと、ぎこちなく情を交わし、お七はやがて再建された実家へ帰ります。

お七は江戸・本郷駒込の八百屋の娘で、天和2 (1682) 年の江戸の大火で寺に非難した際、寺小姓の吉三郎を見初めます。きっかけは暮れかかった寺の縁側で、ひとさし指に刺さった小さな棘を抜くのに難儀している吉三郎を気の毒がり、お七の母親が「手伝ってあげなさい」と、言いつけたことでした。

絵草紙・挿花の吉三郎

お七が実家へ帰ったあと、ふたりは手紙の遣り取りで胸のうちを伝えあいます。ある日、吉三郎は田舎の物売に身をやつし、お七の実家を訪ねて来ました。ところがこの日は雪が降り止まず、物売だと思われ庭先に置いておかれた吉三郎はお七の家で凍死寸前になってしまいます。下女の知らせで見に行ったお七は物売の正体が吉三郎と気がついて驚愕、両親の目を盗み自室へ運び込んで看病します。襖一枚へだてた先に両親が寝ているため、ふたりは硯と筆とで夜どおし語りあい、明け方には別れなければいけません。

お七恋しさに吉三郎がとったこの大胆な行動が、地獄の道行きの始まりでした。吉三郎の気持ちに応えようと、お七は自分もさらに大胆になろうと奮起するのです。

井原西鶴は段の終わりにこう書きます。
****************
浮世草子「好色五人女」「恋草からげし八百屋物語」(雪の夜の情宿)
又もなき恋が余りて さりとては物憂き世や

[現代語訳]
唯一無二の恋が(お七の胸に)溢れてくる。そうはいっても、いろいろ難しい世の中の決まりごとがあるのだ。
****************


ところが、その後吉三郎の手紙は途絶えます。実は吉三郎は凍死寸前になったせいで、寺へ帰ったあと高熱にうなされ長患(ながわずら)いをするのです。来ない便りを待つあいだ、お七は自分を「女心の墓場」だと感じ始めます。


平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」

やがてある風の強い日の夕暮れ、お七はふと、みんなが寺を目指して逃げていた火事の光景を思い出しました。そして小さな火煙が上がります。人々が駆けつけると、そこにいたのはお七でした。「好色五人女」では、このあいだ何ひとつ説明がありません。




////// 「八百屋お七小姓の吉三からくり口上」放火まで

◆原文
かわい吉三にあわりょうかと 娘ごころの頑是(がんぜ)なく
炬燵(こたつ)の熾(おき)を二つ三つ 小袖の小褄(こづま)にちょいと包み
隣知らずの箱梯子 ひと桁(けた)昇りて ほろと泣き
ふた桁(けた)昇りて ほろと泣き
三桁(みけた)四桁(よけた)と昇りつめ これが地獄の数え歌
ちょいと投げたる まごびさし
(たれ)も彼もが 知るまいとは思えど
天知(てんし)る地知(ぢし)るの道(どおり)にて

平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」

◆現代語訳
愛しい吉三郎さまに遭えるだろうかと、
何もわからない、子どもじみた娘ごころが高じて。
炬燵の熾(おき)を二つ三つ、小袖の褄(つま)に包んで持って、
隣の家の箱梯子を、知られないようこっそり掛ける。
ひと桁(けた)昇っては、ほろりと泣き、
ふた桁(けた)昇っては、ほろりと泣く。
三桁(みけた)四桁(よけた)と昇りつめたが、
これはまるで地獄の数え歌だ。
そうして熾(おき)を、隣の家の庇(ひさし)の中の庇(ひさし)へちょいと投げた。
近所の者は気づいたろうが、
そんな些細な罪を、誰も彼もが気づくわけはないと思ったのに。
しかし天は知る、地は知る、道理というものが、
この世にはあるのだ。




////// 井原西鶴「好色五人女」放火のあと

放火でかけつけた人々が問うと、お七は慌てる風もなく「自分が火をつけた」と白状します。その後、今日は神田、または四谷、または浅草、または日本橋と、お七は晒(さら)されて歩き、集まった見物の涙を誘います。

両親が手配したものか、髪は毎日結いなおされ、以前と同じ見目(みめ)麗しい姿です。一月(旧暦)の初め、最期だからと見物人が桜の枝を持たせると「世の哀れ 春吹く風に名を残し 遅れ桜の けふ散りし身は(春吹く風のせいで遅れ桜のように今日みだれ散ったこの身は、浮世の人にはさぞや哀れに見えることでしょうね)」と詠み、鈴ヶ森から旅立ちました。品川のあたり一帯、路地に火あぶりの煙の届かないところはなく、いっそう哀れに感じさせたと書かれます。


平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」



////// 「八百屋お七小姓の吉三からくり口上」放火のあとの、お七

◆原文
江戸橋越えて四日市 日本橋へと引き出(いだ)
是非もなく中橋(なかばし) 京橋を過ぎればもはや程(ほど)もなく
田町(たまち)九丁は夢うつつ 最期は近寄る 車橋(くるまばし)
高輪(たかなわ)十八丁の其の先が 七つ八つや 右に見て
品川おもてになりぬれば 品川おもての女郎衆(じょろしゅう)
あれが八百屋お七かえ うりざね顔で 色白で あのもみあげの美しさ
吉三が かっ惚(ぽ)れたのも無理はない
ここがおさめの泪橋(なみだばし) 鈴ヶ森にぞ着きにける
お江戸を離れた仕置き場 仕置き場
四町四方(よんちょうしほう)に矢来(やらい)をしつらいで
中に立てたる角柱(かくばしら)
かわいいお七を縛り上げ 見るも哀れな其の中へ
数多(あまた)の見物押しのけて 久兵衛夫婦はかけ来たり
これこれお七 これ娘 この世でひとめ遭いたさに 杖にすがって
あいに言い置くことがあるならば 息あるうちに言ふてくれ
これのぅお七と言う声も そらに知られぬ曇り声
わっと泣いたる ひと声が
妙法蓮華経 南無阿弥陀仏と無常の煙と立ち昇れば
ここが親子の名残 哀れやこの世の見納め

平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」

◆現代語訳

江戸橋を越えて四日市(日本橋と江戸橋のあいだ)へ。
日本橋へ至って、そのまま中橋(なかばし)へ行き、
京橋を過ぎればもう廻るべきところはない。
田町(たまち)九丁(田町九丁目は現在の港区江南2丁目あたり)は夢うつつに通り過ぎ、
最期までもう間がないとわかる、
車町(くるまちょう、現在の泉岳寺のあたり「芝車町」)の入り口・車橋(くるまばしが目に入る。
高輪十八丁の先を、七丁か八丁行ったところで
高輪を右に見て曲がり、品川おもてへ出たところ、
品川女郎衆が
あれが八百屋お七かえ、うりざね顔で、色白で、
あのもみあげの美しさをご覧よ、とざわめいた、
吉三郎が、かっ惚(ぽ)れたのも、そりゃあ無理はないやねぇと。
ここがこの世の終わりの泪橋(なみだばし)、鈴ヶ森に着いたのだ。
鈴ヶ森はお江戸を離れた仕置き場なのだ、仕置き場さ。
見物を離すため四町四方(よんちょうしほう)に矢来(やらい)を掛けまわし、
その中心に角柱(かくばしら)が立ててある。
与力が見守り獄卒たちが可愛いお七を縛り上げると、
見るも哀れ、その中へと引きずってゆく。
すると数多(あまた)の見物を押しのけ、お七の親の久兵衛夫婦がかけ寄った。
お七、これ我が娘よ。この世でひとめ遭いたさに、杖にすがって来たのだぞ。
わしに言い置くことがあるなら、息あるうちに言ってくれ。
これのぅお七と言う声も、役人に聞こえないよう、くもり声だ。
見物には久兵衛が、わっと泣いたそのひと声だけが耳に入ったことだろう。
妙法蓮華経。南無阿弥陀仏。お七は無常の煙になり、空高く立ち昇った。
これが親子の名残だった。
哀れなことだが、お七にとってはこの世の見納めだったのだ。


平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」



////// 井原西鶴「好色五人女」放火のあとの、吉三郎

お七が投獄されたことを、吉三郎は知らず高熱にうなされていました。寺ではお七恋しさゆえの病(やまい)、恋わずらいという診断でした。お七の両親が駆けつけ、吉三郎に遭いたいと言うのですが、病室を覗くと可哀そうになり、そのまま帰ってしまいます。お七が死ぬと吉三郎のいる寺で回向(えこう)が行われますが、吉三郎は「手紙は届いていないか」「お七に遭いたい」とうわごとを言うばかりです。吉三郎が布団から起き上がれるようになった時には、すでにお七が死んで百ヵ日が過ぎていました。

寺では吉三郎にお七のことを教えませんが、吉三郎は杖をついて寺の庭を散歩し、真新しい卒塔婆を見つけてその名を読むと、脇差を抜いて死のうとします。それを同輩の僧が止め「死ぬつもりならば、まずは長老さまに暇乞(いとまごい)すべき」と諌(いさ)めます。その後お七の両親が呼ばれ、お七の遺言が伝えられます。

「吉三郎様まことの情あらば、浮世棄てさせ給い、いかなる出家にもなり給いて、かくなり行く跡を訪(と)わせ給いなば、いかばかり忘れ置くまじき。二世までの縁は朽ちまじ」と。つまり「わたくしに情があれば、浮世を棄てて出家してください。そうしてわたくしの菩提を弔ってください。そのようにしていただいたなら、わたくしもけっして吉三郎さまを忘れません。生まれ変わって、またお会いしましょうね(はあと♥)」と、いうものでした。

錦絵・櫓お七



//////「幻お七」歌詞(抜粋)

◆原文
夢の浮世にめぐり逢い おもい合(お)うたる その人の
おもかげ恋し 人恋し 逢いたや見たやと 娘気の

「おお お前は吉さま」

狂い乱れて降る雪に それかあらぬか 面影の
かしこに立てば そなたへ走り ふっと見上げる櫓(やぐら)の太鼓

「あれあれ 吉さまを連れて何処へ」
「ええ 憎い恋知らず 返しゃ 戻しゃ」

打つやうつつか幻を 慕(しと)う梯子の 踏みどさえ
一足づつに 消ゆる身の
(はて)は紅蓮(ぐれん)の氷道(こおりみち)
危うかりける次第なり

平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」

◆現代語訳
確かなものなどない人の世にもかかわらず、
夢のように出会いが叶い、
相愛となることができた、その人の
おもかげが恋しい、その人が恋しい、逢いたい、見たい、
その娘ごころを、わかってください。

「おお、そこにいるお前は、吉さまではないか」

さてもこうして、狂い乱れるように降る雪のなか、
あるかないか、わからないほど微(かす)かな面影が、
お七の目には見えている。
幻影がそちらへ立ったと見ると、そちらへ走り寄り、
ふっと見上げたところ、そこに火の見櫓の太鼓があった。

「あれあれ、吉さまを連れて何処へ行くのじゃ」
「ええ、憎い奴め。わたしたちの恋を知らず、邪魔をするか。吉さまを返せ、戻せ」

お七は邪魔者を打とうとするのだが、
それが現(うつつ)か幻(まぼろし)か、もう、わからない。
吉三郎を慕って昇る梯子の踏み板は、ひと足ごとの死への道行き。
その果てに紅蓮地獄(ぐれんじごく)の待ち受ける、氷の道なのだけれど。
お七が危うい道へ踏み込んだのは、こういう事情だったので、ございますよ。

//////


平成19年、仙台電力ホール、歌泰会「幻お七」


「好色五人女」にも「(通称)八百屋お七からくり口上」にも火の見櫓(やぐら)は登場せず、お七が半鐘(はんしょう)を叩くエピソードは出てきません。ですが演出上の効果を考えれば、「火の見櫓」を出す程度のファンタジーは仕方がないと感じます。

ちょっと隣家の箱梯子を借りて登り、隣の家の庇(ひさし)の上にちょこちょこっと炬燵の熾(おき)を撒いたところ折からの雪でジュッと消える、では、舞台が成立しないです。コントであれば、やってみたいと思いますが(笑)

※  ここが地獄の一丁目。「幻お七」という踊り、の記事はこちら
※  八百屋お七、地獄の便り。「幻お七」全訳、の記事はこちら





研究書ではないので史実は気にせず、演目の作者が参考にしたと言われる物語だけを追ってみました。演じるときの、お七の心情を理解する参考になれば嬉しく存じます。

踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







2019年2月16日土曜日

ここが地獄の一丁目。「幻お七」という踊り




平成19年、仙台電力ホールで踊った「幻お七」という踊りを紹介させてください。

※地獄の数え唄「幻お七」鈴ヶ森刑場への道、の記事はこちら
※八百屋お七、地獄の便り。「幻お七」全訳、の記事はこちら







////// 歴史と概要

この演目は義太夫「櫓(やぐらの)お七」と「(通称)八百屋お七からくり口上」から着想したと伝わり、「櫓(やぐらの)お七」に似た背景で、人形振りなしに踊るものです。昔のお師匠連中は「新舞踊と名言されてはいないが、新舞踊と呼んでもよい踊り」と、説明していました。最近はどうなのでしょうか。

ともすると「櫓お七」の準備のため若い舞踊家に演じさせる練習曲扱いをされたり、「櫓お七」の簡略版のように扱われる「幻お七」ですが、昔のお師匠連中からの申し送りもあって、自分はそのようには考えていません。

■作詞(原作)
木村富子(1890~1944年)

■作曲■
3代目 清元梅吉(1889~1966年、2代目 清元寿兵衛)
4代目 清元栄寿太夫(1895~1939年、延寿太夫襲名前に没)

■振付■
不明、初演したのは尾上菊枝(1913~1947年)

■初演■
昭和5年(1930)「東京劇場」(曲は4代目 清元栄寿太夫)



平成19年、歌泰会「幻お七


つまるところ技術の「櫓お七」、リアリティ(写実)の「幻お七」です。

たとえば最初に曲をつけた「3代目 清元梅吉(1889~1966年、2代目 清元寿兵衛)」は「新楽劇(しんがくげき)」を提唱した坪内逍遥(1859~1935年)作・新舞踊「お夏狂乱(常磐津)」を、さらに改良して名曲に変えた作曲者です。冗長で不快な印象を与える子ども達の場面を削除し、すっきりと見やすくまとめました。

初演した尾上菊枝(1913~1947年、本名「近藤冨志」) は神田佐久間町の生まれ、実業家 近藤波保の令嬢で6代目 尾上菊五郎(1885~1949年)のお弟子さんです(踊りは若柳吉三郎門下)。昭和6年、女性として初めて名題(なだい、看板役者※名題以下が大部屋役者)に昇進した舞踊家で、「鏡獅子」の弥生や「紅葉狩」の鬼女を当たり役にして活躍したあと新派に転じ、狂言師・和泉流 野村万介(のち9代目 三宅藤九郎)と結婚引退しました。

平成19年、歌泰会「幻お七

つまり新派の女優さんで、和泉元弥氏の祖母にあたる人です。新派作品も今では古典ですが、もとはリアリティ(写実)を追求した「新劇」でした。




////// 「幻お七」作者・木村富子

「幻お七」は木村富子(1890~1944年)という、女性作家の作品です。木村富子は大正時代から昭和へかけて活躍した劇作家・舞踊作家で、歌舞伎狂言作者・松竹役員だった木村錦花(きむら きんか、1877~1960年)の妻として知られます。また2代目 市川猿之助の従姉妹にあたるため、「黒塚(くろづか)」「高野物狂(こうやものぐるい)」「独楽(こま)」など、多くの木村富子作品を2代目 市川猿之助(初代 猿翁)が演じたことで知られます。

ただし市川猿之助のために書いたと言われる「黒塚(くろづか)」は、最初は6代目 尾上梅幸(1870~1934年)の依頼で書いたものです。(随筆「浅草富士」木村富子著)



平成19年、歌泰会「幻お七

松竹映画第一号「島の女」を監督し、歌舞伎座の立作者代理としてたくさんの作品を上演した木村綿花ですが、もとは初代 市川左団次一座の役者の子に生まれ、明治座の興行主任などしていた人です。木村富子は最初から作家志望でしたが父親に理解されず、結婚し子育てが一段落したあとの大正15年(1926)、やっと初作品「玉菊」を雑誌「早稲田文学」に発表します。この「玉菊」を5代目 中村歌右衛門(1866~1940年)が気に入って歌舞伎座で上演、その技量を広く認められました。このとき後ろ盾になった戯曲の師匠が「松居松葉(まついしょうよう、1870~1933年)」で、宮城県出身の劇作家・演出家であり、坪内逍遥の弟子だった人です。

松井松葉(まついしょうよう)は宮城県塩竈市の生まれ、尋常中学校卒業後に丁稚奉公へ行かされ、そこから努力して坪内逍遥の弟子にまでなりました。その後、初代 市川左団次が力を認めて松葉作「悪源太」など一連の作品を上演、ヨーロッパ留学後、「椿姫」など翻訳劇を上演しながら松竹の文芸顧問として働いていました。要するに、木村富子の活躍の背景には坪内逍遥の「新楽劇論」と、歌舞伎座の「演劇改良運動」がありました。

平成19年、歌泰会「幻お七



////// 「櫓お七」と「幻お七」の違い

木村富子の作品の特徴は、登場人物への深い理解と愛情、そして新解釈にあります。

あまり知られていないことですが、木村富子は父方の祖母が加賀藩の「お狂言師(長唄と舞踊を担当)」、母方の祖父が琴古流尺八宗家・2代目 荒木竹翁(あらきちくおう、1823~1908年)です。また、伯母に初代 市川猿之助(2代目 市川団四郎)と結婚した喜熨斗古登子(きのし ことこ、赤倉古登子)がいます。この喜熨斗古登子は初代 花柳壽輔(はなやぎ じゅすけ、1821~1903年)に芸養子に乞われたほど、舞踊家として有名な人です。木村富子の芸ごとへの理解度は、常人のものではないのです。

ところで「幻お七」の歌詞は、「独楽(こま)」や「黒塚(くろづか)」など傑作揃いの木村富子作品のなかでは、どうにも微妙な出来ばえです。三味線の思い切りの悪さのせいもありますが、これを義太夫作品と見て「櫓お七」と聴き比べれば、「幻お七」はその改悪版にすぎないと感じてしまうことでしょう。

しかし「幻お七」を松井松葉が上演したようなギリシア悲劇風表現と見て、清元節をコロス(ギリシア悲劇であらすじ語りを担当する群衆、koros、chorus)の唄と考えれば、このスカスカな歌詞の意味がわかります。舞踊家の写実的な演技が、その行間を埋めなければいけないのです。これは清元節を愉(たの)しむための踊りではなく、近代的で写実的な舞踊表現を愉(たの)しむための踊りなのです。




////// 歌詞(抜粋)

スカスカ、と書きましたが酷評しているわけではありません。マイムのための間(ま)をかせぐため、この舞踊は歌詞が少ないのです。義太夫「櫓お七」では歌詞のあいだに語りが入りますが、「幻お七」では入りません。しくじれば間延(まの)びするわけで、唄い手にとっても、踊り手にとっても、難しい演目だと思います。歌詞自体は、もちろん少しも悪くありません。


平成19年、歌泰会「幻お七


◆原文
あるか無しかのとげさえも ふるう手先に 抜きかねる
寂漠(しじま)が縁(えん)の はしわたし
のぼりて嬉し 恋の山

「おお さっても見事な嫁入りの」

花の姿や 伊達衣装
いろ土器(かわらけ)の 三つがさね
祝いさざめく その中に
うちの子飼(こが)いの太郎松(たろまつ)
ませた調子の 小唄ぶし


平成19年、歌泰会「幻お七


◆現代語訳
あるかなしかの棘を抜いてあげようと、手先を動かすにも、
吉さまのお顔が美しすぎて、手が震えたほどでした。
ふたりとも、お互いがお互いに見入ってしまい、
ずっと沈黙が続きましたね。
その沈黙が、恋の始まりでした。
恋の山に登ることができて、嬉しくて仕方がない今のわたしです。

山から里を見下ろしたところ、花嫁行列が目に留まりました。
「ああ、なんて見事な嫁入り仕度(じたく)でしょう。」

花嫁の色とりどりの伊達衣装と、美しい三つ重ねの調度品が目に入ります。
行列を取り囲み、祝いに賑わうその中には、
大人の声で小唄を歌い、花嫁を言祝(ことほ)いでいる、
うちの奉公人の太郎松(たろまつ)が、いるではありませんか。
(ああ、それならあれは、わたし自身の嫁入りなのだねぇ)

******

平成19年、歌泰会「幻お七



「櫓お七」の良いところを取り入れながら、お七の狂乱してゆくさまが時間どおりゆっくりと、恐ろしいほどリアルに描かれます。歌詞でほのめかされる、お七が辿る地獄道についてはまた後日、紹介させてくださいね。

※地獄の数え唄「幻お七」鈴ヶ森刑場への道、の記事はこちら
※八百屋お七、地獄の便り。「幻お七」全訳、の記事はこちら






お七の恋と狂乱を、頑張って演じました。いかがでしょうか。

踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.







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