だいぶ以前ですが、平成3年(1991)、仙台電力ホールで踊った義太夫「団子売」を紹介させてくださいね。
////// 歴史
「団子売(だんごうり)」は清元「玉兎月影勝(たまうさぎ つきのかげかつ)」を、義太夫節に移したものと言われます。
明治12年(1879)、「伊賀越道中双六(いがごえ どうちゅう すごろく)」七段目「新関所の段」遠眼鏡(えんがんきょう)の場に「団子売」として初演されました(人形です)。
義太夫は、
時代物
世話物
慶事物(けいじもの)
に、大別できます。「団子売」は筋書きはなく、所作事(人形の踊り)だけなので「慶事物」に当たります。
その後、歌舞伎演目となり、歌舞伎舞踊になりました。
夫婦ものの団子売り、お臼(おうす、文楽・歌舞伎では「お福」)と杵造(きねぞう、文楽・歌舞伎では「杵蔵」)が、臼(うす)と杵(きね)とで子孫繁栄のための夫婦の睦みごとを表現し、生まれた子どもを団子に見立ててゆったりと童歌を踊り、やがて歌詞に「高砂の松」が登場するや、一転「おかめ(お多福)」「ひょっとこ」の面をつけて二人で滑稽に踊り回る、おめでたくも起伏に富んだ、愉快な踊りです。
平成3年、仙台電力ホール「団子売」、お臼・水木歌泰先生、杵造・水木歌惣 |
////// 考察(まさかの、団子考察)
ふたりが踊りながら捏(こ)ねる団子は、江戸時代~明治ごろまで江戸の屋台で売り歩いていた、「景勝(かげかつ)団子」というものです。
「景勝団子」は、その形が上杉景勝の生家・長尾家の鉾先(ほこさき)に似ていたところから名が付いたと言われ、享保(1716~1736)の頃に、ものの本に登場します。
団子は串にさして売るもの、宝暦年間(1751~1764)にはひと串に5粒さして五文でしたが、明和5年(1768)に四文銭ができるとひと串4粒、四文で売られるようになりました。花見団子は三色でひと串3粒、考案したのは大閣・豊臣秀吉公ですが、花見でもっぱら三色団子を食べたのは江戸の庶民です。それなのに東京では今も、お年寄りほど「三色団子は高い」と言います。それは他の団子に比べ、ひと串の団子の数が少ないからです(東京育ちのいとこ談)。
ところがこの「景勝(かげかつ)団子」を、歌詞では「飛び団子」と唄います。
「飛び団子」というものはいくつかあります。有名なのは富山県富山市の「悪者に襲われたとき、天空から団子が跳んできて口の中に飛び込み、そのおかげで力が出て悪者を退治できた」という伝説のある団子です。富山の人々が伝えているものが伝説どおりかはわかりませんが、富山の「飛び団子」は白い団子に餡子(あんこ)をかけたもの、屋台で売るような串団子ではありません。江戸の「飛び団子」は、このような趣旨ではありません。
江戸の庶民は団子好き、永代橋あたりで売られた「永代団子」や日本橋室町の「浮世団子」、大きくて有名な浅草の「喜八団子」も知られます。そしてまさかの江戸の「飛び団子」、かつて、神社境内の屋台などで唄い踊りながら団子を捏(こ)ね、客に飛ばす曲芸というか、曲売りがありました。味見だと言ってお客の口の中へ団子を飛ばし、拍手喝采ののち、普通の団子が売られる趣向です。団子の種類はそのときによって違います。
「団子売」の前身になる演目のひとつ、江戸・中村座初演、常磐津「主唯恋山吹(ぬしはたれ こいのやまぶき)」の通称が「景勝団子」、元になった清元「玉兎」も本名代に「影勝(かげかつ)」と付きます。そのため「団子売」の団子は「景勝団子」ということになっていますが、本当のところ「飛び団子」の団子の種類は、何でも良いのです。
「飛び団子」のくだりは、お臼と杵造が「これから唄い踊りながら、団子を捏(こ)ねて飛ばしますよ」と、売立口上(うりたての こうじょう)を行っているのです。
平成3年、仙台電力ホール「団子売」、お臼・水木歌泰先生、杵造・水木歌惣 |
////// 歌詞(太字が現代語訳)
今度今度仕出しぢゃなっけんけれど
雪か花かの上白米を 痴話と手管でさらせて(さらして)挽いて
情けでこねてしっぽりと 飛び団子
このたび、新趣向と言うほどじゃ、ありゃしませんが、
雪か花かと思うほど、真っ白い上新粉を恋の遣り取りと手練手管でさらし、
情愛でこねてしっぽりと、団子を作り飛ばしてみせましょう。
ヤレモサウヤヤレ ヤレサテナ 臼と杵とは女夫でござる
ヤレモサウヤヤレ ヤレサテナ 夜がな夜ひと夜
ホオオヤレ ヤレサ
やれもさ、そうややれ、やれさてな、臼と杵とは夫婦でござるよ。
やれもさ、そうややれ、やれさてな、夜がな、この夜ひと夜とたいせつに。
おおやれ、やれさ。
平成3年、仙台電力ホール「団子売」、お臼・水木歌泰先生、杵造・水木歌惣 |
ととんが上から 月夜はそこだよ
ヤレコリャ よいこの団子が出来たぞ
ホオオヤレ ヤレサ
父ちゃんは上から。月夜だ、それそこだ。
やれこりゃ、お陰で良い子の団子が出来たぞよ。
おおやれ、やれさ。
はれわいさて これわいさて どっこいさてな
よいと よいと よいと よいと よいとなとな
これわいさの よい女夫 臼と杵との仲もよや
あれわいさて、これわいさて、どっこいさてな。
よいと、よいと、よいと、よいと、よいとなとな。
これわいさの、よい夫婦、臼と杵との相性は抜群。
<童謡>
お月様さえ嫁入をなさる ヤットきなさろせ とこせとこせ
年はおいくつえ 十三七つえ
ほんにえ お若いあの子を生んで ヤットきなさろせとこせとこせ
誰に抱かせませうぞえ おまんに抱かそぞえ 見てもうまそな品物め
お月さまさえ嫁入りなさる。
まず、こっちへ来なさい、とことこせ。
年はいくつだい、ほう十三七つか。
母(はは)さんはほんにお若いのに、あの子を産んで。
まず、こっちへ来なさい、とことこせ。
誰に抱かせようか、お万に抱かそうか。
見れば見るほど、たくさん産みそうだ、とお月さまを品定め。
<高砂を謳い、俄(にわか)を披露>
さうだよ 高砂尾上の 爺様と婆様が箒を手に持ち
熊手をかついで目籠をしよひそろ 小松の枯葉をさらりと集めて
戻ろとしたれば
上の枝には鶴の巣籠り 下の小池にや女亀と男亀が
空を眺めて このや松はな 目出たい松にて
高砂文句もここらでとめましよ 尾上
そうだよ。
高い山の峰の上から、長寿の爺さまと婆さまが、
幸福をかき集める箒(ほうき)を持ち、
幸福をかき集める熊手(くまで)をかつぎ、
目駕籠(めかご)をせおって出かけまする。
子宝の象徴・姫小松の枯葉を、さらりと集め、
さて戻ろうかとしたところ、
松の上の枝には鶴が巣篭もりして睦み合い、
下の小さな池では女亀と男亀が重なり合う。
空を眺めて言うことには
「この松は、本当に、目出度い松だのう」と。
そうしておめでた尽くしも、ここらで〆、高い峰へと還(かえ)ってゆく。
平成3年、仙台電力ホール「団子売」、お臼・水木歌泰先生、杵造・水木歌惣 |
<踊りに戻る>
かくては尽きじと 女夫連れ かしこを指して
こうしておめでた尽くしは終わり、
お臼と杵造も夫婦連れ添い、未来を目指して、また歩き始める。
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高砂へ入る「そうだよ」で、曲が一変します。それまではゆっくりですが、速くて美しい旋律に変わります。お人形遊びと馬鹿にしてはいけません。愉(たの)しくて、こころが洗われるような、演目です。
踊り説明記事は水木歌惣と水木歌惣事務局の共作になります。コメントは水木歌惣、本文は水木歌惣事務局・上月まことが書いています。コピーや配布には許諾を得ていただくよう、お願いします。Copyright ©2019 KOUDUKI Makoto All Rights Reserved. |
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